僕は、彼女から見たらまだまだ子どもだけれど
でも僕は彼女を真剣に愛してる
真剣に……愛しているんだ―――――――
隣で気配がして、重たい目蓋を開けると
さっきまで一緒に眠っていた彼女が既に起きて身支度をしていた
いつもアップにしている髪が、今は背中にバラバラに掛かっている
それを1房摘んでみると、僕が起きた事に気付いた彼女は首をこちらに向けてきた
「起こしちゃったかしら?ごめんなさい」
「ううん……もう、帰るの?」
首を横に振って謝罪を遮ってから少し眉を顰めて訝しげに訪ねる
こういう顔をすると、彼女は必ず困ったように笑う
「ごめんなさいね、そろそろ帰らないと怪しまれちゃうわ」
「…だよね、うん」
そんな風に笑われてしまうと逆にこっちが胸を締め付けられてしまう
だから、僕は必ず笑う事にしている
すると少しは安心したように僕の頬を撫でてくれるから
そんなひと時はあっという間に終わりを告げて、彼女は立ち上がって着衣の続きを始めた
腕枕をして、その様子を見ながら口を開く
「1度でいいから朝まで一緒に居たいよ」
「君、そんな事言わないで頂戴。私達の関係は…」
「判ってる、世間じゃ認められない関係だ。…それでも一緒に朝を迎えたいと思うのは僕だけ?」
「……いいえ、私もそう思うわ」
それだけ言うと、彼女は僕の耳に唇を寄せてきた
其処に軽くキスをしてから囁かれる
「今度、別荘に2人で行きましょうか」
「……うん!!」
「セバスチャン、ちゃんとお姫様を無事家まで送り届けてくれよ」
「坊ちゃん、セバスチャンでは無いと何度申したら…」
「はい、いってらっしゃい」
運転手の言い分を相手にせずに車のドアを閉める
窓を開けてくれた彼女に触れるだけのキスをした
「また電話するわ」
「うん、待ってる」
「それじゃあ…」
「うん、愛してるよ」
「ええ、私もよ」
セバスチャンに合図をすると、車は走り出す
段々小さくなっていく車の後ろを見守りながら私は1つため息を吐いた
ポケットから潰れた煙草の箱を取り出して1本咥える
「秘密の逢瀬は無事終わったのかしら?」
ZIPPOで火を着けようと着火した時、上の方から声がして僕は顔を上げた
其処は隣の家の出窓で、1人の女の人が僕を覗き込んでいた
いつも絶やさない落ち着いた笑顔は、何処か苦手意識を持たせて僕は正直言って彼女が苦手だ
でも、小さい頃からの悪友で幼馴染である事は間違いない
「観察してたのかい?悪趣味だな」
「あら失礼ね。外から話し声がすると思って覗いてみたら貴方と例の彼女だったっていうだけよ」
「……今からそっち行っていい?」
「いいけど、もう家族は寝ちゃっているから音を立てないように上がってきて」
「ああ、たまには君の歌が聞きたいんだ。静」
「ええ、聞かせてあげるわ。マリア様を称える歌を」
「…今の僕には1番辛いな、それは」
「だから、よ」
そう言って、僕は煙草を消してから隣の家に入り込んだ
ドアを閉める前にもう1度車の走り去った夜道を見やると、
道の端々に並んだ蛍光灯が照らしているだけの道の先は、真っ暗で何も見えない
きっと、これは僕の未来なんだ
今のままでは先なんて見えてこないし、歩みを進める事も出来ない
なんと際限の無い世界なんだろう
ふと目を逸らして、扉を閉める
其処から逃げるかのように
夢の時間は終わったんだから、目を覚まさないといけないんだ
「どうして君は、小さな手で…傷を背負おうとするのだろう………」
「本当に好きね、その歌」
もう1人の親友の声に、は閉じていた目を開ける
すると真上の木の葉っぱ達の隙間から太陽が差し込んでいて、眩しくて目を細めた
腕枕をして寝転がっていた頭を、隣に座っていた彼女に向ける
「何読んでんの、祥子」
「日本の恋物語。、こんな所で寝たら風邪引くわよ」
「ん〜、珍しいねぇ。令ならともかく」
背伸びをして、優雅に腰掛けている祥子の膝の上に頭を置いた
祥子は少し迷惑そうな顔をするもののすぐに優しく微笑んで、それを許してくれる
下から見上げる彼女は、いつもと違ってとても新鮮でやっぱり綺麗だった
「たまにはこういうのもいいかと思って母の書斎から拝借してきたの」
「小母さんの?そんなの読むんだ、小母さん」
「あの人ああ見えてかなり寂しがりだからこういう物語みたいな恋愛に憧れているんだと思うわ」
「そっか、小笠原家も複雑だからね」
欠伸を1つしながら、さり気無く言うに祥子は苦笑する
祥子の手から本を取り、ペラペラと中身を捲りながらまた欠伸をするに祥子は小首を傾げた
「寝てないの?」
「んぁ…否、寝たけど。疲れが取れてないだけ」
「今日うちに泊まりに来る?ご飯まともな物食べてないから取れないのよ」
「だって1人暮らしだとさぁ、作るのも億劫になっちゃって」
「だからうちにいらっしゃい、貴方の好きな物作らせるわ」
「じゃあオムライス!!」
その色素が薄くて細い、綺麗な髪を撫で付けながら
落ちていた木の葉をの鼻辺りに擽らせた
急にハキハキしだすに祥子は嬉しそうに付け加える
「私のお母様の作った、オムライスが良いんでしょ?」
「うん!お腹いっぱい食べれるし、1から作っているから全てにおいて美味いんだ。小母さんのオムライスは絶品だね」
「有難う、でも大量に作ったそれを始末するのは私の役目なんだけど…」
「大丈夫、持って帰って溜めとくから。お腹空いたらいつでも食べれるように」
「ふふふっ」
指先で弄んでいた葉っぱを鼻の前に持ってこられて、
鬱陶しそうに祥子の腕を払う
今までの会話の流れも含めて、可笑しそうに
それでいて控えめに綺麗に笑う祥子
仮面だ
僕は、とてつもなく黒い仮面を被っているんだ
そんな僕に
皆綺麗な顔で笑いかけてくる
皆の純粋な笑顔を受け止める資格なんて無いのに
仮面は、きっと一生取り外す事は無いんだ
祥子との2人の時間が終わって、令が会議を始めるために祥子を呼びに来ても
僕は令にも仮面を被る
思った事を素直に顔になんか出せない
そうしたら、きっと今の均衡は綺麗に崩れるから
僕がこの世で1番怖いのは、それだから
僕には出来ないんだ
仮面を取り外せない……
「只今帰りました」
「お邪魔します」
ドアを開けると、見慣れた小笠原家の内部が見える
廊下の奥まで何十メートルあるんだろうか、
いつも此処に来ると気になる長い廊下の向こう側から
祥子のお母さんが着物を綺麗に着こなしてやって来た
「いらっしゃい、君」
「お久しぶりです、清子小母様」
「お母様、は一応女性なんだから君付けはやめたら…」
「い〜のい〜の、そっちの方がしっくり来て」
祥子の肩を叩いて、部屋に行こうと促す
「それじゃ、お邪魔します」
「あ、君。お茶を淹れるから後で取りに来てくれるかしら?」
「はい」
部屋に入ると、僕みたいに鞄と制服を床に放置する事なくちゃんと大きなクローゼットに仕舞う祥子に
自分の制服も脱ぎ捨てて渡す
人目を気にする事なく下着姿になる僕に苦笑しながらも、祥子は僕の制服も綺麗にハンガーにかけてくれた
「客人にお茶を取りに来るように催促するなんて信じられないわね」
「いいんだって、レディにそんな事させる方が悪いんだから。私がやる役割、って昔から決まってるじゃない?」
「相変わらず紳士ね」
「まぁ、仕事柄…だから」
「まだ続けてるの?バイト」
祥子の背中越しに、クローゼットの中から自分のYシャツとズボンを取り出す
何度も泊まりに来ているせいで少しずつ私物が移った祥子の部屋は、
まるで同居している恋人同士の部屋のようだった
「うん、1人暮らしにお金は欠かせないじゃない」
「でもその内容とかにも問題はあるでしょう?バレたら拙いわよ」
「時間が限られている学生は時給の高い所じゃないと食べていけないんだ」
それらを軽く羽織ってから、1枚の薄いワンピースを着ただけの祥子を背中からそっと抱きしめる
「祥子がこういう仕事を軽蔑するのは判るよ、でも私は生きていくためにはこれしかないんだ」
「……ええ、判ってるわ」
首だけ振り返ってくる祥子の、頬に軽く触れるだけのキス
それは恋人同士のものなんかじゃない
信頼し合っている無二の親友へ、裏切らない誓いの行為
弱々しく微笑む祥子
やっぱり最近変だ
なにかあったのだろうか
親友として気にかけるものの、先程の約束を思い出して祥子からそっと離れた
「お茶取りに行ってくるよ」
「…ええ」
階段を降りて廊下を慣れた足取りで歩くと厨房に行き着く
途中で何人かのお手伝いさん達とすれ違うたびに挨拶をして、微笑む
これで僕の事を訝しむ人は居なくなる
ドアを開けると、小母さんがケーキを切っていた
「またケーキ作ったんですか?」
「え?あ…ええ、そうよ。作りすぎちゃったの」
突然背後からかかる声に、小母さんは吃驚してから
いつもの穏やかな笑みを浮かべて頷く
その隣に立つとその手元を見た
「何?チョコケーキですか?」
「………」
「うわ、美味しそうだ。令にも食べさせてあげたら喜びそうだな」
「………」
「小母さん?」
返事の消えた親友の母に、は不審感を得て顔を覗き込む
それと同時に、彼女は顔を上げたものだから
顔が至近距離で止まった
2人分の呼吸が聞こえそうなくらいの距離
気付いたら、どちらからともなく顔が更に近付いて行って
軽いけれど、長くて深い口付けを交わす
どれくらいの時間が経ったのだろうか
きっとそんなに経ってないのかもしれない
けれど厨房の外の廊下を誰かが通る音がして、2人はパッと離れた
そして顔を合わせる事も気まずくて、
清子はケーキを分ける事に没頭して
は先程清子が淹れたお茶をお盆に載せていく
「……ひさしぶり、ね。君」
「ふふふっ、ひさしぶり。清子さん」
「昨日会ったばかりじゃなかったかしら?それとも私の記憶違い?」
「多分そうじゃないかな。年なんじゃない?」
「………貴方って意地悪なのね」
「清子さんにだけだよ」
自然と、顔を見合わせて微笑んでいる僕達が居た
側に居るだけで心地が良い
そんな相手にはこの先一生巡り会えない気がする
「それじゃ、頂きます」
「楽しんでらっしゃいね、久しぶりに祥子の嬉しそうな顔見たもの」
「ご期待に添えられる様に頑張ります」
「はい、いってらっしゃい」
扉の向こうに、彼女の姿が消えていく
この先何度も数えきれない程こんな事は経験していくというのに
度々こんなにも寂しくなっていたら、きっと
身が持たないんだろうな
それ程に真剣に愛している
子どもでも、子どもなりに
心から愛してるんだ
清子さん
貴方は親友の、
大切な親友の母親で
結婚もしていて
それでも、僕は清子さんがかけがえの無い
恋人なんだ
秘密の恋人、そして秘密の……
彼女にとったら、愛人だけれど―――――――
死ぬまで一緒に、
否、死ぬ間際まで
死んでも一緒に居たいと思える
この2人に未来なんて無いかもしれないけれど
それでも今だけは夢を見たいんだ
どうして君は
小さな手で
傷を背負おうとするのだろう?
誰かのためだけじゃない
見失わないで……
next...