ピンポーン
小気味の良い音が家の中に響いて、
廊下を慌てて走っていく
訪問者が誰なのか確認もせずには扉を開けた
「セバスチャン、ちょっと来て」
「はっ、はい?」
扉を開けるなり、挨拶もせずに小笠原家ご用達の運転手の腕を引いて家の中に上がらせる
突然の事に戸惑う彼など気にもせずに、Yシャツとスーツをラフに着ただけのは部屋の奥からネクタイを数本持ってきた
「ねぇ、これ悩んでいるだけどさ。どれが良い?」
「あ、ああ……えぇと、坊ちゃまの良いと思った物で良いんじゃないかと思います」
きっと何十年もこの職を続けていた間で、初めての仕事に運転手は苦笑しながら頷く
その答えでは満足出来なかったのか、は眉間に皺を寄せて唸った
「だって勝負服昨日クリーニングに出しちゃったんだよ、うっかりしててさぁ!」
「なるほど…そういう事ですか。なら、そのグレーのシャツならば黒いネクタイが合うんじゃないかと」
「これ?うん…セバスチャンがそう言うならこれにする」
やっと悩みから解放されたように嬉々として黒いネクタイを全身鏡の前で締めるに、
運転手は頬を緩める
目の前で、髪もきちんとセットして
グレーのYシャツに其れよりも少し濃いグレーのスーツを着込んだ若者は
どう見てもホストにしか見えないくらい決まっていた
小笠原家に仕える者として、主君の妻の浮気相手と仲良くなるなんて言語道断だったけれど何故かには嫌悪感など抱かなかった
素直に子どもの様に表情をクルクル変えて、
感情のままに生きる彼女に対して嫌悪感を抱く人間なんて存在しないのだろうと思えるくらい
こんな事を言っては何だが、浮気相手がで良かったと心底思う
心の奥から繋がっている2人を見るとこちらまで温かい気持ちになってくるから
この際が愛する人の子どもである祥子とも親密な関係だとしても
本気で愛していてくれるのなら、それでいい――――
「お母様、本当にも呼んだんですか?」
「ええ、そうよ。2人だけだと殿方にお声をかけられるから嫌なのでしょう?」
「それは…まぁ、そうだけど」
「でも仕事上のお付き合いなのだから、逃げる訳にはいかないわ。だから君を呼んだのよ」
「……確かには格好良いから連れ添っていて鼻が高いですが、…そういうのは何だか利用しているみたいで……」
「祥子さん…それは違うわ、君は貴方の親友として招待したの」
少し俯きがちになって小さな声で呟く母に、祥子は顔を向ける
もう2人共仕度は終えていて、が来るまで待つだけという時
リビングで2人紅茶を啜っていた
祥子は不思議でならなかった
何故か親友であるの話になると、母は塞ぎ込んでしまう
話しかければちゃんと返事はするのだが自ら話題を振舞わなくなるのだ
どうしての事となると普段のおっとりした母は姿を消すのか
むしろ母というよりも1人の女性が姿を現す
それは…何故なのか
私には判らなかった―――――
「……これからパーティだって言うのにどうしてこんな所で寝ているのかしら」
「ふふっ、君らしいわ」
戻ってきた運転手にドアを開けられたリムジンの中では、
向かい合ってシートがあるうち右側の後方に横になってすっかり眠りこけているが居た
「こちらへ向かう途中で眠りこけてしまったんですよ、どうやら昨夜余り寝ていなかったらしくて」
運転手によると2人で話しながら家へ向かっている時に
ふと返事がしなくなったと思ったら何時の間にやら眠っていたらしい
想定外の出来事に2人は驚いたもののすぐに苦笑して車に乗り込む
「私、進行方向に背を向けるの駄目なのよね…」
「あら、そうだったわね。じゃあ君の隣に座ればいいんじゃないかしら」
「こんなに全身を使ってまるまる陣取っている何処に私の座るスペースがあるの?」
「膝に頭を乗せれば大丈夫でしょう?」
「えっ!?」
「君、ちょっとごめんなさいね」
「お母様っ!」
そう言ういなや、清子はの頭を持ち上げて其処に出来た空間に座るよう祥子に促した
戸惑いながらも恥ずかしそうに素直に座り込んだ我が娘の膝に、秘密の恋人の頭をそっと置く
胸を何かが刺すのはきっと気のせい
彼女を独占する権利なんか自分には無いのだと、
その向かい側に
眩しい2人の若者を見守るように座り込んだ
車が静かに発進した中で、
祥子が恐る恐るの頭に手を伸ばす
「んっ……すー…」
くすぐったそうに眉を顰めて身じろぎするが起きる気配は無い
段々祥子の笑みが深くなっていって、
その金色の綺麗な髪を撫で付ける
正面から2人を見なくてはいけないというのは
なんと残酷な事なのだろうか
きっと、祥子はが好きなのだろう
そして、はそれに気付いている
それでも2人共ある線を越えないのは、
清子がと関係を持っているから
は、あの人にとても良く似ていた
きっと、は……
其処で清子は考えるのをやめる事にした
何だかんだ言っても目の前で寝ているのはただの17歳の子どもだから
普段いくら大人びていて
冷静な彼女も
ある日ふと子どもに戻ってしまう
とても可愛いし、普段とのギャップがあって好きだけど
多分彼女が私に求めているのは…
それは本人もきっと無自覚なのだと思う
だから
例え暖かい日に降る雪のように儚いものだとしても………
「…ふふっ、くすぐったいよ」
「っ起きてたの?」
「うん、人の気配で起きるタイプなのは良くご存知でしょ」
「…そうね」
何時の間にやら起きていたと、祥子が穏やかな顔で会話をしていた
前髪を弄っている祥子の手を握り返して微笑んでいる
2人のやり取りは、
若い仲の良い恋人同士みたいで
つい、目を窓の外に逸らしてしまった
「なんかさぁ、さっき頭持ち上げたでしょ?」
「え?…ああ……」
「その手がすっごい心地良くて、起きたんだよね」
「…………」
何も知らずに、無邪気に笑う貴方
全てを見通していてそれでいて尚、笑みを向ける貴方
君は言った
永い夢を見た
とても悲しい夢だったと
それでもその姿は
少しも曇らない……
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