「僕と聖のどちらが女たらしか?」
「そう、これは是非検証する価値があると思ったのよ」
中庭でボーッとしていると、校舎の方からやって来た人影には顔を顰めた
何故なら彼女がこの世で苦手とするタイプの人間の1人だったから
が嫌そうな顔をする事自体楽しんでいる様子の上級生は、微笑みながらの隣に腰掛ける
そして始まった会話に、が眉を歪めると江利子は目を光らせながら詰め寄ってきたのだ
「価値も何も…相変わらずろくな事考えないんですね、貴方は」
「素敵な褒め言葉だわ、でもこの議題の発端は珍しく蓉子なのよ」
「ボスレッドが?」
「ええ、金曜日の会議の時にぽつりと呟いてね。それから会議そっちのけで話し込んだわ」
「……それで結論はどっちになったんですか?」
「だから決着つかずだったからこれから調べてみようと思ったの」
「…………まぁ、なんて言うか…頑張ってください」
「そのためには貴方の協力が必要なのよ」
「…嫌ですよ」
「断る権限は無いわ」
「何でですか」
「貴方曰くボストリオは貴方の弱みを握っているもの」
「……見事に悪役っすね」
「有難う」
「褒めてねぇよ」
笑顔でとんでも無い事を言い腐る先輩に、は声だけで笑いながらも無表情でベンチに両膝をかける
足を組んでから、江利子の方を見るとやっぱり笑顔のまま肘杖を着いて自分を見ていた
そんな彼女に対して鼻で笑いながらベンチに掛けた腕を片方外して江利子の顔を至近距離で見れる体勢にする
これは第三者からしてみたら口説いているようにしか見えないだろうな、とか思いつつ
江利子の目の前で笑みを深くして、声を潜めた
「いいよ、その案に乗ってあげる。その研究対象は何なの?」
「さすがやり手ホストね、話が早いわ」
「…ボスイエロー、何処まで知っているのかな?」
「全てよ、吃驚したわ。其れを知った時はまさか祥子の親友がそんな事をする筈がないってね」
少し考え込んだ様子を見せてから、やっぱり至近距離では問い詰める
「その経緯は?」
「兄貴の元彼女がね、貴方のお客らしいわ。それでたまたま写真を見せて貰って知ったって訳」
「…誰だろうねぇ、其れは。写真は残さないようにしているんだけどな。これでも学生で危うい立場なんで」
「写真は全て貴方の寝顔よ。…ふふっ、可愛かったわ」
「寝顔?…あぁ、1度だけ疲れきって寝ちゃった時もあったな。あの日は3人連続で疲れていたんだ」
「あら、此処ではなかなか聞き慣れない事言うのね」
「何なら貴方も抱いて差し上げましょうか?黄薔薇様」
「それも面白そうだわ、幾らで?」
「…何やってるんですか!」
校内で有名な2人が顔を近付け合って、中庭で密談している事は既に周囲に知られていた
中庭だから其処は校舎の窓から丸見えで、
噂が広まるのが早いリリアンで女の子達の話の糧となったそれはたちまち祥子の耳にも入ったらしい
2人の正面に立ち、肩を震わせている彼女に2人共更に可笑しそうに笑みを深めた
「や〜だなぁ、冗談だよ。冗談」
「そうよ、そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「私が言いたいのはこんな公衆面前で不埒なやり取りはしないで頂きたいって事です」
「不埒?何処が?単に私達の疑問を解決するために協力を頼みに来ただけよ」
「売春の何処が不埒じゃないと言うんですか!?大体その疑問ってのも如何わしい物なんでしょう」
何だか女同士の喧嘩が始まったので、はのんびりと2人の口論らしきものを眺める事に決め込む
校舎の窓の方から祥子とが付き合っていると思っている好奇心満々の女生徒達が覗き込んでいたので、手を振り返してあげた
さぞかし彼女達の目には自分を巡った女同士の争いに見えるんだろう
けれど当の本人がほのぼのとしているものだから脱力した生徒も少なくなかった
「それは無いんじゃない?にとっては立派な仕事なのにそんな一言で片付けちゃっていいと思う?」
「怒りもしますよ!神聖なリリアンでそういう事があっていいものかどうか」
「神聖さなんて上っ面だけよ、皆やる事やってるわ。それに…」
「…っ何ですか!?」
「皆誤解しているようだけど、は貴方のモノじゃないんでしょう。誰と寝ようが構わないじゃない」
「なっ…」
パンッ
「ちょっ…祥子やり過ぎ……」
ちらりと余所見をしていた隙に江利子の頬を叩いてしまった祥子を見て、
は頭を掻きながらベンチから立ち上がる
そしてポケットからハンカチを取り出して近場にあった蛇口でそれを濡らす
「祥子、謝りな。先輩でしょ」
「っ…、私は……」
「先輩後輩の前に、人に乱暴しちゃ駄目だよ」
そう言いながら湿らせたハンカチを手に、叩かれても表情を変えずにほくそ笑んでベンチに座っている江利子の前にしゃがむ
祥子の顔を見ずに、は続ける
「祥子…私なら幾らでも殴っていい。何をしてもいいから、他人に手を出して祥子のプライドを下げないで」
「何をしてもって…」
「祥子には自身を大切にして欲しいんだ、君の評判を自ら下げてはいけない」
「……、貴方は…何の心配をしてくれているの?」
「…………もちろん、祥子だよ…」
お互いの顔が見えない位置で
お互いの心境が痛い程に伝わっている
何と脆くて儚くて少し触れただけでも崩れそうな関係だろうか
江利子はそんな2人を目の当たりにして、笑みがますます深いものへと変わった
「黄薔薇様、これで冷やしてください」
「…貴方が冷やしてくれる?」
「え?……判りました。祥子、もう教室に戻りな」
面白可笑しく興味深々で言ってみた事も全て、この人間は受け止めるのか
人を拒絶する事を知らない
人を拒絶する事を恐れている
人に拒絶されるのを恐れている目の前の人間は
本人が知らず知らずのうちに近くに居る人間を傷つけているという事を――――
江利子の隣に再度腰掛けて、ハンカチを彼女の頬に当てる
赤くなっている其処を満遍なく冷やせるように優しく押し当てていくの顔を江利子が見つめている
そして自分の頬にあるの手に自らの手を重ねて微笑む江利子
「……っ嫌………嫌よ!!」
「えっ?ちょ、祥子!?」
学校でこんなに我を見失って叫ぶ祥子を見た人間が居るのであろうか
以外の誰も見た事がない彼女に戸惑う
妹である祐巳も、姉である蓉子も見たことのないくらい狂乱する祥子は泣きそうな顔での腕を引いてその場から去っていく
そんな2人の背中を見送りながら江利子は小さく咽を震わせて笑った
「単純ね、もう少し自分に素直になればいいのに」
「…洒落にならないわよ、江利子。叩かれるまで煽ってどうするの」
背後からする声に江利子はの置いていったハンカチを頬に当てたまま振り返る
複雑そうな顔をしている親友に江利子は声を上げて笑った
「あら、貴方の不甲斐ない妹の恋路を応援してあげたんじゃない」
「……そうね、でも果たして其れが良い事なのかどうか」
「って、誰か想い人が居るんでしょう?」
「良く判ったわね、…確かに居るわ。其れが誰なのかも私は知っている、でも言えないわね。貴方でも」
「まぁいいわ。祥子の幸せを望むんでしょう?蓉子は」
「痛いってば、もう…何処に行くの?」
「貴方って人は本当にっ…」
引き摺られて来て数分が経ってる2人は既に中庭から遠ざかっていた
が音を上げると其処でやっと祥子は手を離してくれて、向き直る
涙が零れ落ちそうだった瞳からはもう零れきっており、頬を濡らしている
「何で泣くの?」
「貴方がっ、人の気持ちを知っておきながら平気で私を傷つけるからでしょう」
「人の気持ちを知っておきながら?そんなの詭弁だね、僕は誰にも縛られないよ」
「どうして、どうして置いていくの……貴方も、お父様もお爺様も…皆………」
目の前で声を震わせて泣いている顔を見られないように顔を俯かせている彼女は
が昔から知っている祥子じゃなかった
ヒステリーを起こして泣き叫んだり怒ったりする所は知っていても
ただ静かに涙を流して自らを抱いて守るように泣いている祥子は、初めて見た
この間の夜といい、初めて見るその姿に胸は締め付けられるばかり
今まで避けてきたものが、今度こそ逃れようのない現実だと受け止めざるを得ない
小さく泣き崩れる彼女の肩を抱いて首筋に顔を埋める
並木道に聳える桜の花弁達がひらひらと舞っての鼻を掠めた
視界が、滲む
頬に何か冷たいものが伝い落ちる
……久しぶりに、人前で泣いた気がした
「祥子、ごめんよ。僕には大切な人が居るから…君の気持ちには応えられない」
「清子さん!!」
決して小さくはないけれど自分よりは小さいその身体を力いっぱい抱き締めると
戸惑ったように彼女は胸の中で小さな悲鳴をあげる
突然電話をして、返事も聞かずに家に押しかけて
玄関や人目のつく所では何も喋らなかったのに清子の部屋に入るなり抱きついてきたに清子も困惑の表情を浮かべる
「君?どうかしたの?」
「会いたかったんだ、会いたくて…抱き締めたかった……」
搾り出すようにそう言うと、清子さんは静かに微笑んでの背中を撫でてくれた
それがまた嬉しくて、久しぶりで、温かくて、抱き締める力が更に篭る
「何があったか知らないけれど、こんな小母さんで良ければ慰めてあげる事ぐらい出来ると思うわ」
「小母さんなんかじゃない!!清子さんは…清子さんだよ」
「有難う、でも…本当にどうしたの?」
「ねぇ、清子さん。僕は………僕は…どうすればいいんだろう。幸せって何なのかな」
「……………其れは答えてあげたいわ、貴方は幸せになれると。でも、今のままじゃ無理よ」
「どうして…………何で皆……貴方も、祥子も僕を可哀想な人扱いするの!?」
清子から離れて、後ずさりし始めるの様子はいつもの余裕のある態度とかけ離れていた
信じられないものを見るかのように蒼白な顔つきで清子から離れているの腕を清子が掴む
「君、違うわ。そんな事誰も思ってないわ、祥子も…私も」
「なら、どうして…僕を追い詰めるような事ばかりする?僕はただ…僕はただあの人に……っ」
「あの人?」
「……あいつは僕の母さんを、殺した………」
あいつは、僕の母さんを殺した
僕の幸せは、あいつに奪われた
あいつの気紛れのせいで僕の人生は、綺麗に崩れ去った
あいつさえ居なければ、僕は身体を売ったり
祥子を泣かせ続けたり
清子さんとの愛を疑ったり
そんな事しなくて済んだんだ………
「清子さん、貴方は…僕の正体を知ってる?」
next...