初めて、出会った時もう既に
私は自分の年も弁えずに恋をしていたのかもしれない
それはミルクをたっぷり淹れた珈琲に似た感覚だった
本来の色はミルクに消えて、味もとてもまろやかになっているのに
何度か飲んでいると苦味が少しずつ戻ってきて
結局珈琲は珈琲で
元の存在が消える事などないのだ
小さい頃から人付き合いが苦手で弱点を晒し出す事が出来ない、不器用な我が娘に
山百合会以外の友達が出来たと知って私は嬉しかった
やっとあの子にも明るい暖かい心地の良い道を歩む事を教えてくれる人が現れたのだと
口を開けばその友人の名前が出てくるようになって2ヶ月が過ぎた頃
家にやって来ると聞いて私は嬉しくて嬉しくて仕方なくて
ケーキを足りなくならないように沢山焼いて
学校が終わる時間をまだかまだかと待ち焦がれていた
そしてやっと呼び鈴が鳴って、娘の帰宅を知らせる
玄関まで出迎えに行った時、
私は娘の友人をひと目見ただけで言葉を呑んでしまう
『こんにちわ、お母さん。祥子さんにお世話になっている です』
祥子の隣で礼儀正しく頭を下げて、
作ったものっぽくない綺麗な笑顔で挨拶される
慌ててこちらも頭を下げて自分を紹介して
家の中に上がるように促す
『随分と、綺麗な方なのね。男に見えなくもないわ』
『ふふっ、そうね。でも礼儀正しくて言葉遣いも綺麗なのよ、今はなかなか見かけない紳士みたい』
『何処か優さんに似ているわね』
『そうかもしれないわ、優さんも紳士だもの』
その横顔は鼻筋が通っていて目も鋭く切れていて確かに小笠原家の男性に似てなくもなかった
1つだけ違ったのは小笠原家の血筋は全員真っ黒な髪なのに、彼女は綺麗な金髪
生まれつきだと言っていたからきっと先祖に外国の方が混じっているのかもしれない
其れを尋ねてみたけれど、彼女は孤児だから親の顔も親類も全く知らないと
笑顔で答えてくる
どうしてそんな事を笑顔で答えられるのか不思議でならなかった
彼女が家によく泊まりに来るようになって更に数ヶ月経った頃
昔から無理やり納得させて来た気持ちがとうとう爆発してしまい、私は1人で泣いていた
夫が外に他の女性を作っているという事
義父も同じだという事
そして、祥子も将来こういう苦しみを味わうのかと思うと
長年押さえつけていた想いが溢れ出てきて
涙が止まらなくなって
家政婦達も誰も近寄らない小さな部屋で喚く訳でもなくただ静かに、涙を一筋零してしまった時
誰も私が此処に居る事を知らない筈なのに背後で襖をそっと開けられる音が聞こえた
突然の事に吃驚して濡れた頬を襖の方に向けると其処に立っていたのは娘の親友で
何故此処に居るのかも理解できずに、ただ驚愕の瞳で見つめていると
君は初めて会った時のような無邪気な笑顔じゃなくて
今にも泣きそうな静かな笑みで私を見ていた
『…君……?』
『…ごめんなさい、貴方が気になって。やっぱり泣いていたね』
『どうして…』
『貴方は何時も微笑んでいても、何処か影が差し掛かっていたから。いつかボロボロになって壊れちゃいそうだと思ったんだ』
『…どうして貴方にそんな事が…』
『僕は、貴方を愛してるから。もちろん1人の女性として、常に貴方を目を追っていた』
『な、何言って……』
そう言うと、君はそのまま私の座っている窓辺まで近寄ってきてしゃがんだ
目線を合わせてから私の頬を大きな手の平で包み込み涙を拭ってくれる
『清子さん、僕が貴方の傍に居るよ。寂しい夜はいつでも駆けつけて貴方の話を聞いてあげる』
娘と同じ年の彼女に
まだ幼さも少し残っている顔つきの彼女に
私は縋ってしまった
その胸を借りて子どもみたいに泣き叫んでしまった
夫も義父も優しい言葉をかけてはくれたけれど
1番聞きたかった言葉だけは絶対言ってくれなくて、
目の前に居る彼女は真っ直ぐな眼差しでずっと待ち望んでいた言葉をかけてくれたから…
彼女と交わす口付けはとても温かい
私を気遣ってくれているのがひしひしと伝わってくる
私を抱いてくれるその腕も、華奢で細いけれど
何よりも私を守ってくれている気がして
全ての愛を確かめ合う行為は彼女は初めてだと思っていたけれど
意外に慣れているようで、
少し癪に障る時もあった
でも大人の悪い癖を私も持ちえていて
ずっと年下の彼女に幻滅されないように、と
いつでも表情を崩さずに落ち着いて居る事が私の日課となる
でも私は知らなかった
其れが彼女を傷つけていたという事に――――
「貴方の、正体…?」
たった今紡がれた言葉の意図を確かめるように口にすると、
君は困ったように微笑みながら頭を掻く
そして私の腕を静かに下ろしてから、部屋の中にある大きなソファに腰掛ける
「どういう事?正体って、貴方は貴方でしょう?」
「…ごめん、忘れて。何でもないよ」
忘れて、と言われて忘れる事の出来る人が居る筈ないだろうに
それでも君はもうこの話題を続ける気はないらしく
窓の外で降り続く雨を眺めているだけだった
此処で追求すれば、きっと彼女は私を疎んじるだろう
此れまで築き上げてきた私の大人の風格を壊してしまうかもしれない
そう思うとそれ以上問いかける事は出来なかった
私も何も言わずに彼女の隣に座る
一緒に窓の外を眺めながら、君の肩に頭を持たれかけると
何も言わずに接している方の手を握ってくれる
「来週の日曜日、例の別荘に行きましょうか」
「…うん」
窓の外は暗くて
この世で私達2人しか存在しないように思わせられて
何だか少し寂しかったけれど
君が隣で手を握ってくれていたから、心細くは無かった
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