携帯の着信音が受話器の向こう側から聞こえる
幾度目かの着信を告げた頃、ボタンが押されて電話の主が出るのが判った
(はい、もしもし……坊ちゃんですか?)
「やぁ、セバスチャン。久しぶり」
(…………坊ちゃん…)
口を紡ぐセバスチャンに、は苦笑しながら煙草を咥える
もう部屋の電気は点く役割を忘れており、ずっと使われていない
だから夕方だというせいもあって、部屋は薄暗いままだった
昼間、令に叩かれた所が痛い
其の後の授業や学校生活は最悪なものだった
沢山の生徒達がひそひそ噂をしながら此方を見ていて
でも決して声をかけようとしない
やっぱり令は山百合会だから学校中の支持を集めている
だから必然的には祥子を騙した裏切り者となった
滑稽だ
これが罰だと判っていても
其れでもやっぱり悔しいし、寂しい
誰も僕を知ろうとしない
誰も、僕の事情を知ろうとしない
「この間はごめんね、巻き込んじゃって」
(巻き込むだなんてとんでもない!ただ、私は…まさかあんな事になろうとは……)
「…ごめん、でもセバスチャン。アンタの事は好きだったよ、復讐だとかそんなの全然関係なしに」
(坊ちゃん、私も坊ちゃんの事を好いておりました。けれど…)
「そっか、セバスチャンは小笠原の人間だもんね。僕は敵か」
(いいえ!私個人で坊ちゃんは好いてましたよ!我が子のように!)
「有難う、セバスチャン。…こんな身でもう図々しいかもしれないけど、清子さんどうしてる?」
棚の上に伏せられている写真立てを起こすと其処には1年くらい前の自分と清子が写っていた
2人とも裸で、ベッドの上で何をする訳でもなくただまったりとしていたあの頃
情事を終えた後2人でベッドの中でいろんな話をするのが好きだった
僕がどんなに我侭を言っても、
決して清子さんは怒らなかった
いつも微笑んで、優しく頭を撫でてくれた
僕は清子さんの居ない世界なんて生きていけない
そう思ってたのに、
突然別れを切り出された
『何時までも私達は一緒に居られないわ、私が貴方に求めるものと貴方が私に求めるものも違ってきている』
求めているものが違ってきている?
そんな、事はない…
だって僕は清子さんが恋しくて愛しくて大好きだ
その気持ちはあの日から少しも変わっていない
むしろ其れはどんどん安定してきて、
それが当たり前のように僕の中へ染み込んできてる
清子さんは、何が言いたかったんだろう
(奥様はあの日以来ずっと塞ぎ込んでおられます、きっと坊ちゃまと別れてしまった事と…坊ちゃまが血の繋がらない子どもだと判ったから)
「血の繋がらない子どもって…僕はただの他人の子どもだよ?祥子はともかく清子さんは何も関係ないじゃないか」
(……そういう訳にはいかないんですよ、大人の世界は。実際貴方の父親である旦那様は奥様の夫なのですから)
「…セバスチャン、最後に1つだけ頼まれてくれないか」
もう1度だけ会おう
それで話すんだ
僕の生い立ちとか
此れまで何をして、何を思って生きてきたのか、とか
祥子に対する気持ちとか…
どうしよう
目の前が真っ暗ってこういう事を言うのかしら
私はずっとが好きだった
初めて会った時から、ずっと
決して私を見てくれないと判っていてもそれでも諦められないこの気持ち
行き場をなくして彷徨っているこの気持ち
膨れ上がるだけ膨れ上がって、
消える事も許されない
此れがの望み?
私が苦しむのを見たかったの?
お姉さまや祐巳、
令、山百合会の仲間達
皆が心配そうに声をかけてくれるけれど
今の私を呼び止められるのはあの声しかない
ハスキーボイスで優しく名前を呼んでくれるあの人しかいない
でも最初からの目には、お父様しか映ってなくて
心にはお母様しか居なくて
……私の立つ瀬など始めから無かったのよ
此処は暗い海に囲まれた小さな浮き島
周りには誰も居なくて幾ら声を出しても誰も答えてくれない
疲れて泣きだしたくても、座る場所も横になるスペースもない
私は独り立ち続けるの
腹違いの想い人だけを想って死に逝くのを待ち続けるしかないの――――――
ケリーはとても礼儀正しくて明るくて優しい外国人の女性だった
女は売婦
男はヤクザ
そんな場所で暮らしてきたというのに、
彼女だけはそんな雰囲気を醸し出していなかった
いつも明るくて、決して弱い自分を見せない彼女に惹かれた
僕が小笠原の社長だと知っても普通に1人の男として接してくれた
だから僕等が結ばれるのにそう時間はかからなかった
けれど僕にも限界があった
仕事が忙しくて会える日は少なく
連絡もままならない状態になった
そして、気付いたら連絡不通になり
僕等の関係は自然消滅してしまった…
けれどその彼女に、子どもが居たなんて一言も聞いていなかった
全然、知らなかった
そしてケリーは僕の事を想いながら死んだ、と…
そして、という女の子は僕の気をひくために産み落とされたという…
僕はとんでもない事をしてしまったのだろうか―――――
2人の関係を知っていた只1人の人に、
一言告げられ急いで荷物をまとめたのは朝の事
もう車は見覚えのある道を走っていた
後30分程で着くと聞いてから、途端に胸はざわめきを伴う
運転手さんとは玄関で別れて、
その場で待機しているという彼に有難うと告げる
ドアは鍵が開いていて、
運転手さんによると彼女は一足先に行って待っているらしいという事が思い出された
ひっそりと開けると、確かに靴が1つ揃っていて中に人がいる気配を出している
すると直ぐに廊下の向こう側から彼女はやって来て笑顔で出迎えてくれる
数日前にあんな事があったばかりだというのに、
彼女は何も変わっていなかった
「待ってたよ、遠路はるばるご苦労さま。疲れたでしょ?荷物持つよ」
「あ…君……」
「ほら、あがってよ。紅茶とか淹れてあるんだ」
口を開く私などお構いなしに、
君はさり気無い優しさで私の手の中のボストンバックを取って中へと入っていってしまう
ため息を小さく吐くと、私も草履を脱いで中へ入る事にする
「此処久しぶりだよね、半年くらい前にも1度だけ来た事あるけどやっぱり良い所だな」
「…ええ」
「今日は突然呼んじゃってごめんなさい」
「いいのよ、貴方の頼みとあらば」
少し申し訳なさそうな笑みを浮かべる君の、
肩にそっと手を添えると一瞬身を竦ませられた
けれど緊張していたのか君は小さく息を吐いてから柔らかく微笑む
でも其の笑顔は何処か私の知っている君のものじゃなくて
頬に手を添える
しかし今度はすぐに手首を掴まれて引き剥がされる
「…どうしたの?」
「……もう、終ったんでしょ?僕達は…だからそういう事しちゃ駄目」
「あら、私は1人の人間として貴方を心配しているのよ」
「…ずるいなぁ、清子さんは」
安心させるように微笑むと、
君は小さく笑ってから私の身体を強く抱き締めてきた
その腕の温もりが懐かしかった
縋りつくように強く抱き締めてくれるその背中に手を回すと
君の口から嗚咽に似たものが聞こえてくる
だけど、私は聞こえなかったふりをした――――
答えを出す事
きっと全てじゃない
焦らなくて いいんだよ
あなたも……
next...