もう身体に馴染んできた制服を身に纏い、
最後に着けるべきであるタイだけを手にして自分の部屋を出る

良い匂いが流れてくるキッチンでは蓉子が朝食を作っていた



は、中学1年生


季節は夏

蒸し暑い季節を過ごすために、
学園が夏服を許可した時期だった

テレビが丁度見える席に着き、テレビをリモコンで着けると
の存在に気付いた蓉子が顔を上げて優しい笑みで挨拶してくれる




「おはよう、

「おはよう」

「今日も暑くなるわよ」

「うん、最高気温34度だって」



お天気キャスターが読む原稿に書かれているであろう、
予想気温には顔を顰めながら蓉子に顔を向ける

蓉子も嫌そうな顔をしてみせ、
直ぐに元に戻る




「私達社会人はクーラーのある部屋で仕事出来るから良いけど、学生はそうはいかないものね」

「でも私も出来る限り図書室やら保健室に避難しているから其処まで嫌ではないけどね」

「言っておくけど」

「判ってるって、授業はちゃんと出てる」

「ならいいわ」




念を押すようにしかめっ面になる蓉子には苦笑しながら答えた
すると満足したようで頷きながら料理に取り掛かる




「少しでも楽な方に避難しようとする所、聖とそっくりね」

「違うよ、聖は逃げているけど私は自分にとってプラスな方を選んでるんだ」

「同じ事よ」

「違うって、私は世渡り上手なの。聖は世渡り下手でしょ?」

「ふふっ、其れは違いないわね。でも貴方の意見は同意出来ないわ」

「ちぇっ」




口調は柔らかいものの否定せぬ蓉子に対して、
は少し拗ねて口を窄ませた

そんなを見て蓉子はまた小さく笑う





「あ、蓉子。明後日休みなんだよね?仕事」

「ええ、そうよ」

「じゃあ伊音連れて来ていい?」

「もちろんよ、でも聖が居ないと思うけど…」

「だからだよ!聖が居る時に連れてきたら大騒ぎになるしさ。蓉子なら大丈夫だから」

「判ったわ、ケーキ買っておいてあげる」

「やった!」



キッチンの方に身を乗り出して問う

そんな彼女に蓉子は仕方ないわねという表情をしてから、
ニッコリと微笑む


蓉子のことだから自分の大好物のケーキを買ってきてくれるに違いない

と、は心底嬉しそうな顔をしてから朝食の登場を待つのだった
















リリアンは何年経っても変わらない
きっとそういう特別な場所なんだろう

数え切れない程通り過ぎたマリア像だって今日も変わらない笑みを浮かべている






!」





自分を呼ぶ優しい声に、
はマリア像を見上げていた目線を外して

校門から続く並木道の方にやる


まだ登校途中の高校生やら中学生やらが沢山居る中で、
彼女はひと際輝いて見えた





「伊音」




彼女の名前を呼び返すと伊音と呼ばれた少女は走る事も無く、
優雅にゆっくりと歩いてに近づいてくる

聖と蓉子達にしか見せた事の無い微笑みを出すは愛しいものを見る目つきで目の前の少女を見下ろした







「おはよう」

「おはよう、

「そして、ごきげんよう」

「ごきげんよう」




悪戯っぽくウインクしながら言うと、
伊音は可笑しそうに笑いながらも返してくれる


小学部から持ち上がりしているとはいえ、
なかなか馴染めない挨拶を使っていなかったのだが

つい先日見知らぬ上級生に注意されてしまったのだ



伊音


その名前を持つ彼女は同学年の人々には無い落ち着きを持っている

もどちらかといえばそうなのだが、
纏っている空気の種類が違うとでもいうのだろうか



リリアン中学部での宝塚スターの

そしていち女生徒



決して同じ身分ではない彼女達の絆を認めない輩も多く

けれど2人の間はそんなもので立ちきれるものではない


誰よりも信頼し合っている間柄だから――















「明後日?」

「うん」





伊音の席に座りながら頷くを伊音は不思議そうに見上げる


が頷くと、彼女は首を傾げた






「でも、大丈夫なの?お母さんが煩いから駄目だって言っていたじゃない」

「明後日なら煩い人が居ないけど、煩くない人が居るからさ」

「いいのかしら、突然お邪魔してしまって」

「大丈夫だよ、蓉子は伊音の事知っているしさ」

「…そう、じゃあそうさせて貰おうかしら」

「ん」





今まで伊音が家に来るのを拒む方法として使用していた理由を持ち出され、
は苦笑しながら彼女の真っ黒な長い髪を撫でながら微笑む


けれど律儀で真面目な彼女だ

それでも多少戸惑っている


めげずにが念を押すと伊音は弱々しく微笑んで頷いてくれた




昼休みは後15分程で終わってしまう
クラスが違う2人ともとうに昼食は済ませていたのだが

突如は立ち上がって口を開いた







「そうだ!私昼休みに呼び出されていたんだった」

「あら、じゃあ急いで行かないと」

「でもなぁ、嫌だな…」

「そんな事言っちゃいけないわ」

「判ったよ、じゃあ行ってくる…放課後にね。一緒に途中まで帰ろう」

「ええ」






思い出したような顔つきから、
段々嫌そうな顔つきになるを窘めるように言う伊音

やれやれとため息を吐いてポケットに入っている手紙を握りながらは約束を取り付け、

教室から出て行く



そのの背中を見送りながら
伊音は静かに机の中から手紙を取り出した


其処には適当に自分宛の名前を書き綴られている


伊音も小さくため息を吐いて、
教室を後にした

とは全く違う意図の手紙の内容なのだ
無視してもいい

けれど、そういう訳にもいかない

其れをすると今度はに迷惑がかかってしまうのだ



儚げな空気を纏った和風美人は髪を揺らしながら静かに歩いていく――――――





















「だから、ごめんね?」

「そんな…」

「でもどうしても君とは付き合えない」

「どうしてですかっ!?」




目の前の気が強そうな少女は、
途端に泣き崩れてしまう

は心の中で深いため息を吐きながら頭を掻く


此の手の女は厄介だ

なかなか諦めてくれない





「だからさ、好きな人が居るから」

さまは特定の相手を作ってはいけないという決まり、お忘れなんですか!?」




は中学1年生

同学年なのに自分を"さま"付けで呼ぶ少女


其れもリリアンで先輩後輩問わず人気を得ているせいだ

もちろん納得いかない
どうして自分が?というのもあるし、

どうして自分の友人関係をこうやって制されないといけないのだ、という


不満足たらたらの環境だから






「じゃあ、言うけど。私は伊音が好きなの。知ってる?藤組の伊音」

「其れは…噂で聞いた事あります。さまに近づいている性悪な女が居ると」

「伊音の事を悪く言わないで」

「っ……」




聞き捨てならない言葉には声を低くして睨む
すると名前も知らない少女は肩を竦めて怯えたような声を出した

そして涙を溢しながらその場から走り去って行ってしまう


此処数週間で一体何度同じような事があったのだろうか



普段は心が広いと言えるでさえ、
さすがにそろそろ限界だった
















「仕方ないわよ、は身長も高くて凛々しくて…女の子達の憧れの的になるもの」







伊音でさえそんな事を言ってくる

けれど其れを言うのが伊音だと、悪い気はしない
なんと現金な奴だろう、と自分で少し嫌な気分になる


そんな事もお見通しなのか、
伊音は「大丈夫よ、貴方は魅力的だわ」と言ってくれる






「でもさ、最近蓉子よりも大きくなっちゃって…」

「あら、其れはおめでとう」

「でも…小さい頃は凄く大きく見えていた背中がとても小さく見えるんだ」

「誰しも訪れる事よ、順番だもの」




こうして自分の弱い処を見せても
伊音は常に落ち着き払って最もな意見を言ってくれて、

そして自分の心でさえ宥めすかしてくれる


まるで、蓉子みたいだなと

は思って


そして


自分はマザコンだな、と

再び自己嫌悪に陥るのだった
何とも感情の浮き沈みが忙しい中学生だ







ふと隣を歩く伊音の小さな手が目に入る
は何も言わずに自然と其の小さな手を握った

伊音も何も言わずむしろ其れが当たり前のように握り返してくる




特に愛の言葉を交わす訳でもない

特に絆を確かめ合う訳でもない

特に必要以上の接触をする訳でもない






けれど今の2人には其れでも充分だった



時が訪れる其の瞬間まで……―――――――




























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