「伊音、麦茶と牛乳どっちが良い?」
「その二択、おかしくないかしら?」
「え?だって普通牛乳でしょ?」
ソファの背縁に腕を置いて尋ねると、
伊音は首だけ振り返って苦笑しながら指摘してきた
が首を傾げると蓉子が微笑みながら麦茶を伊音の前に差し出す
「は牛乳が大好きだものね」
「だから大きいのね」
蓉子の言葉に伊音が納得したようにの頭の上の辺りを見る
は頭をポリポリ掻きながら伊音の隣に居た江利子を更に隅に押し込んで、伊音の隣に座り込んだ
いつもなら文句を言うはずなのに江利子は黙ったまま珈琲を飲んでいる
何か…此の部屋の空気おかしくない?
と、は自分に問いかけてみるが
蓉子は相変わらず温かい笑みを浮かべてにも牛乳を差し出してくれるし、
気のせいだと思う事にした
「それじゃ、貴方達は付き合っているという訳ね?」
「んな脈略の無い話の始め方しないでよ、江利子」
突然の隣からの問いかけには眉を顰めて制する
けれど今に始まった事ではないのだから、
直ぐに気を取り直してにっこりと微笑んだ
「うん、そうだよ」
「…いつから?」
「えっと……小6の冬」
てっきり微笑み返して祝福してくれると思っていたばかりで
面食らったは戸惑いながら答えを返す
伊音の方をちらりと見ると相変わらず落ち着ききった態度で麦茶を一口飲んでいる
伊音を挟んで向こう側に居た蓉子と目が合う
の感じ取っている異変に気付いているのか、
蓉子は苦笑いしながら目を細めた
「……そう」
「…うん?」
やはりおかしな様子で頷くだけの江利子にはとうとう顔を乗り出して江利子の顔を覗き込む
「どしたの?」
「え?」
「何か変だよ」
「……気のせいよ」
「気のせいなんかじゃないよ」
何を根拠にか、
けれど自信満々に突っ込むに江利子は苦笑いを返す
昔から大人に囲まれて育ってきたせいで其の人の状況を読み取れるという鋭い観察力を持つを誤魔化す事など出来やしないだろう
ふと、再び江利子と蓉子が目配せをして目を伏せる
「…っ……」
年相応の只の中学生だったらば、
此処でもどかしい2人に対して怒るかもしれない
けれどは年相応の中学生ではない
問い詰めたい気持ちを堪えて言葉を飲み込む
大好きで大事な伊音との関係を喜んで貰えると思って連れて来たのに…
皆に隠し事なんてしたくないから勇気を出して連れて来たのに…
伊音ならば絶対に気に入って貰えると思って連れて来たのに…
どうして言葉に出来ない雰囲気が出来上がってしまうのだろう
下唇を噛み締めながらはギュっと拳を握り締める
何だか、悔しいんだ………
「何か…ごめん」
「いいのよ、気にしないで。今日が初対面だったんだし、お2人とも親として複雑だったのかもしれないわ」
「そんな感じじゃなかったの判ってるくせに」
「……仕方のない事なのかもしれないわね」
「え?」
「いいえ、何でもないわ。それじゃ、此処で」
繋いだ手を解いて、1歩分離れる伊音を見つめるに
伊音はそっと其の頬に手を添えて優しく微笑んだ
「大丈夫よ、貴方の大切な親御さんだもの。気に入って貰えるよう頑張るわ」
「……伊音、そんな事頑張らなくても良いよ。蓉子も聖も、江利子も…」
「判ってるわ、貴方を育ててる方々だもの。悪い人じゃないって言いたいんでしょう?」
「うん…」
少し俯きがちに呟くに、
伊音は安心させるようにそっと抱き寄せて囁く
すると聖と蓉子に抱きしめられているのと同じ感覚が襲ってきて
至極安心感が纏わりついた
でも、聖と蓉子には私は守られているけど
伊音は私が此の腕で守りたいと思った人なんだ
も腕を伸ばして小さい身体を抱きしめる
「さよなら、そしてまた来週会いましょう」
「うん…伊音」
「何かしら?」
再び身体を離して、今度は嬉しそうに何処か可笑しそうに笑いを浮かべる彼女に
も安心したお陰か柔らかい笑みを返しながら其の名を呼ぶ
「大好きだよ」
「ええ、私も貴方が好きだわ」
「それじゃ」
「ええ」
お互い頬を染めながら照れ臭そうに言葉を紡ぐ
通りの向こうに小さくなっていくその背中をいつまでも見つめているを、
更にじっと見つめている視線があった
「……傍から見れば初々しくて微笑ましい中学生達ね」
「そうね…でもそんな目では見れないわ」
「…蓉子」
「判ってるわ」
「他人の空似かもしれない、けれど」
2人はベランダの手すりに身体を預け、
目の前に広がる道路の中に立っているに聞こえないように小さな声で話し合う
其の顔は2人とも至って真剣で
仕事の話でもしているようだ
けれど内容はそんなものじゃない
小さなため息を吐きながら呟く江利子に蓉子はの姿を見つめながら返す
「間違いなく自分で名乗ったわ、恐らくあの人の子供でしょうね」
「でもあの人に子供が生まれたなんて聞いてなかったわ」
「聖でさえ連絡を取っていないのでしょう?無理もないじゃない」
「……聖…には話すべきよね」
「…ええ」
は大きくなった
身長だけではない、身も心も比べ物にならない程大きくなった
けれど
どんなに昔よりは強くもなったとはいえ
辛い思いはさせたくないというのが本音だ
親として
見守る保護者として
其れは誰しも否応無しに経験する千切れそうな想いなのだ
此れから巻き起こる慌しさを想像して、
蓉子も江利子もため息を吐くしかない―――――
今日様子がおかしかった2人は、
私が伊音を見送って戻ってきた頃には元に戻っていた
いつものようにからかうような口調で話しかけてくる江利子
いつものように其の様子を只見守っているだけの蓉子
そして私も、いつものように江利子に口答えをしたり相手にしなかったり
そう努めていた、んだけど
けれど何処かで今日の出来事を不審がる自分が暴れる
夕食を食べ終えると、家で累が待っているからといつもは帰るのに
珍しく夕食後も
本当に珍しくお風呂まで借りて入っていた
そして私が江利子の後に風呂に入ると、
江利子の前に風呂に入り終えていた蓉子が私の頭を撫でてくる
妙に優しげに
そりゃ蓉子はいつも優しいけどさ
あんな事があった後だからそう感じるだけかな?
ホットミルクを差し出しながら蓉子は言った
「此れ飲んだら歯磨きをしてもう寝なさい」
「まだ10時だよ!これからゲームやろうと思ったのに」
「江利子と大事な話があるの、お願い。今夜だけ」
「蓉子が仕事休みなのも珍しいからいろいろ話したい事があったのに」
「ごめんなさい、その代わり前欲しがっていた本を買ってあげるから」
「そんなのっ…」
要らないよ、とそう答えたかったのに
本なんかよりも蓉子と江利子と話したいと思っていたのに
けれど蓉子の哀願する眼差しに何も言えなくなってしまった
ダイニングテーブルに座って適当な雑誌に目を通していた江利子が此方を見て、
静かに立ちあがって近づいてくる
「、寝ましょう?」
「…2人とももう知らないっ」
フォローしてくれるのかと思った
けれど江利子までが寝ろと言う
邪魔だから部屋へ篭っていろと言う
とても悲しくて切なくて
私は其れだけ言い捨ててリビングを後にする
自分の部屋に早歩きで入り、扉を閉め
その場で息を切らして肩で呼吸をしていたら
少しだけ落ち着いて頭も冴えてきた
そんな事言っても仕方ないのに
『……仕方のない事なのかもしれないわね』
そういえば伊音もそんな事を言っていた
仕方が無い?
そりゃ世の中には仕方の無い事だって沢山ある
けれど…
私達はまだ子供だ
中学1年生で、
まだ13歳だ
何もかも仕方の無い事だと諦めるには早過ぎやしないだろうか
私はもう昔から諦める事には慣れているからいいけど
伊音にそんな思いさせたくない
何なんだ?
何が起ころうとしている?
私は何でこんなに寂しい気分になっている…?
気付いたら少しばかりいつの間にか眠っていたらしい
床に蹲って扉を背にしていたせいで身体中が悲鳴をあげている
頬に指を這わすと涙が流れた痕跡が残っていた
そういや泣いていたせいで喉が痛い
水…と辺りを見回してみても自分の部屋に駆け込んだだけなんだからある筈がない
時計を見てみるともう少しで夜の12時になろうとしている
さすがにもう聖も帰って来ていて、話も終わっているだろうと
私はそっとドアを開けてリビングへ向かう
廊下とリビングを隔てている曇ったガラス張りの扉の向こうから話し声がして
思わず息を潜めて廊下の壁に寄りかかり耳を澄ませてみる
「どういう事!?」
「聖、落ち着いて」
突然夜中の静かな時間に相応しくない大声が聞こえた
蓉子が宥める声が聞こえるけれど
聖は至って落ち着いた様子すら伺えない
「落ち着ける訳ないよ!どういう事!?がっ…」
「だから落ち着きなさいって言っているの」
「だってっ…」
「其れで、此れからどうすべきが話し合おうと貴方の帰りを待っていたんじゃない」
「そんなの決まってる!!」
おかしいのは江利子だけじゃなかった
聖も錯乱しきった声色でガタッと大きな物音を立てた
と、思ったら勢いよくリビングのドアが開く
リビングの光が薄暗い廊下に差し込むのと同時に、
聖の影も其処から現れる
逆光のせいで顔は良く見えなかったけれど
私は目を細めて力を入れると、
聖と目が合う
「っ!起きていたの!?」
「聖、ちょっと待ちなさい!!」
聖の後ろから蓉子と江利子の切羽詰まったような声が聞こえ、
聖は其の2人が追いつく前に私の肩を両手で掴んだ
「!!」
「…っ……」
煙草の薫りがする、聖だけの聖独特の匂い
此れを嗅ぐと安心するのに
今はそれどころじゃない
緊迫している聖の表情に私はすっかり驚きと怯えで
口が全く役にたたなかった
ぱくぱくと間抜けに口を開けたまま、
聖の言葉に耳を傾ける
物凄い力で両肩を掴まれていて
身動きすら出来ない
「あの子は駄目だ、付き合うなんて…っ」
「だ、誰の事……」
「久保伊音って子の事だよ!君は、あの子と親しいんでしょ!?」
「伊音、は…でも、どうしてっ……」
何故伊音と関わってはいけないと聖は言うんだろう
今までどんな友達を連れて来ても、
笑って一緒に仲良くなってくれていたのに…
聖も反対するの?
そんなに…
聖の背中越しに、
蓉子と江利子が戸惑いを浮かべながら立ちつくしていた
目が合う
其の瞳は聖の言う事が正しいと語っているようで
「そんなにっ…3人とも伊音の事気に入らないの……?」
「違うわ、とても良い子だと思うもの…でも」
「…」
慌ててそう言う蓉子と江利子
今更取り繕われたってどうにもならない
私は深く傷ついたんだ
「とにかく!駄目だ、あの子は…あの子だけは駄目だ……」
「嫌だ」
「!!!」
今までどんなに悪い事をしても
立ちの悪い悪戯をしても決して怒鳴られたり手を出されたりした事なんてない
でも今の聖は凄い表情で怒鳴ってくる
怖い
幼い頃に経験した記憶が蘇ってくる
あの人達も言い分すら聞かずに、只怒鳴って掴みかかってきた
今の聖は、あの人達にそっくりだよ
「嫌だ!!!」
私は思わず叫んでしまった
するとズルリと両肩を掴んでた手から力が抜けて、
聖は身体中の力が抜けてしまったみたいで廊下にペタンと両膝をつける
私のお腹辺りのシャツを力一杯に握って祈るように自分の手に額をつけながら聖は泣き出した
「お願いだから…後生のお願いだから言う事聞いて、……っ」
「なんで、そんな……」
「お願いだよ、…頼むよ……」
「…っ……」
縋りつくように目の前で蹲り、
懇願してくる聖
私はとうとう何も言えなくなり呆然と何もない空間に目をやるしかなかった
どうしてなんだよ
判らないよ
どうして、駄目なんだ…
もう何も判らない
何も判りたくない
もう嫌だ………
私は制止してくる蓉子と江利子の声も振り切って家から飛び出していた―――――――
next...