「はい…判りました、それでは」





電話を切ると、キッチンで趣味のデザート作りをしていた令が何事?と首を傾げてくる

祥子はため息を吐きながらリビングの端へ行き、
カーテンで閉ざされている窓から外を見下ろした






「祥子?」

が家を飛び出したそうよ、此処に来るだろうから何も言わずに迎え入れてってお姉さまから」

が?何かあったの?」

「……来たわ」





ゼリーを冷蔵庫に入れながら言う令の問いかけに祥子は応えず、
そう呟くとツカツカと玄関へ早歩きしていく

令が手をタオルで拭いながら先程まで祥子が居た場所へ行き、外を見下ろすと

真っ暗な闇の住宅街の中で街灯に照らされたがぽつんと立ってこっちを見上げていた


其の時ドアが閉まる音が聞こえ、
祥子が迎えに行ったのだと悟る


令は苦笑しながらキッチンに再び戻り、の大好物である牛乳を電子レンジい押し込んだ





そして少し経った頃祥子に抱きかかえられて放心状態のが入ってくる

別に他意はないが何だか自然と表情が緩んでしまった


今は夏の季節だから身体こそは冷えてはいないだろうが、
きっと心は冷え切っている筈だ

事情は知らない


けれど、
祥子の表情やら今目の前に居るの表情を見れば異変が起こったのは判っている






「いらっしゃい」

「……令」




ぽつりと令の名前を呼ぶの声は擦れている


祥子からを受け取り、
其の肩を抱きかかえてリビングにあるソファへと座らせて

先程準備しておいたマグカップを差し出す





「はい、此れ温めておいたよ」

「…ありがとう……」


「祥子も、此れ」

「有難う」



祥子にも珈琲の入ったマグカップを差し出すと、
其れまで真剣に張り詰めていた顔が緩んで

苦笑しながら受け取ってくれる



すると動じていない私に気付いたが顔を上げてきょとんとした








「令…聞いてない、の?」

「うん、何も知らない。でもね、何かあったんだろうなとは思うよ」

「………聞かないの?」

「話したくなければいいんじゃない?」




無理に聞き出す必要は無いし、と
令が微笑みながら言うとは切なそうに眉を寄せた


まるで捨てられた子犬みたいな顔をするなぁと


令は祥子に目をやる

祥子は祥子で何か考え事をしているようで
ダイニングテーブルに腰掛けて黙って珈琲を飲んでいた




令も仕方なく1人でが居る場所から垂直になっている場所のソファに腰掛け、
明日の仕事の事で片付けなくてはならない事に取り掛かる

今週の売り上げ
そして材料費
人件費
店の維持費…


今月も余裕で良い感じに儲けが出そうだ


此れで祥子に好きな物を買ってあげられるな

もちろん祥子の稼ぎと比べて少ない方だけど
気持ちが大事なんだ

祥子は無駄遣いだからやめてと言う


でも私はそうしたいからする
ぶつくさ文句を言いながら嬉しそうに笑う祥子が見たいから



1人でニヤニヤ考え込みながら手の中のボールペンをくるくる回していたら、
どうやら回り続けるボールペンをがじっと見ていたらしく

ふと口を開いた








「上手だね、回すの…」

「え?あぁ、此れ?」

「私も授業中練習してるんだけど、失敗すると先生に睨まれるんだよね」

「ははっ、此れ落とすと煩いからねぇ」

「何かコツあるの?」





先程までボーッとしていたというのに
今のは真剣にこんな事のコツなんか聞いてきている

そこら辺がまだ子供なのかなぁと令は1人でしみじみ思ったり思わなかったり





「此の親指に重力を乗せて、こうやってバランスを…」

「こんなにしちゃったら動けないじゃん」

「だから勢いで、こうしてさ」

「勢いって言われても」




頭をくっつけ合い、
側にあったもう1本のボールペン相手に苦戦しているに、
いろいろとアドバイスをする令

其れが10分程続いたであろうか


始めた頃よりは大分様になって2回転くらいは出来るようになったは、
連続で回し続ける練習に意識を集中しながら口を何気なく開いた







「令さ、伊音の事知ってる?」

「え?」

「私の恋人、なんだけど。聖が付き合っちゃ駄目だって言うんだ」

「…其れはまたどうして?」

「知らないよ、だから困ってるんじゃん」





ペンを取り、の顔を見ると
は相変わらずジッと自分の手の上のペンを見つめたまま喋っていた

ちらりと祥子の方を振り返ってみれば祥子もこっちを見て苦渋に顔を歪めている





「伊音は凄く良い子だし、綺麗で魅力的な子だよ」

「そっかぁ…何でだろうね」

「…令、しばらく此処に居てもいい?」

「其れは、私達は良いけど聖さま達が何て言うかによりけりだよ」

「いい、あんな…訳判らない人はもういいよ……」





ソファに身を深く沈め
静かに搾り出すようにそう呟くに令は祥子に困ったように目配せをする

令の目線を受け取った祥子はため息を吐きながら立ち上がり、
2人の側までやって来るとの頭に手を置いて至極優しい声色で語り掛ける






、聖さまには訳がちゃんとあるのよ。反対した…」

「…………」

「貴方の恋人である子は聖さまの昔の知り合いの子供なの」

「え?」

「"伊音"ちゃん、素敵な名前ね。とても響きも良いわ」

「祥子、何が言いたいの?」

「けれどね、。"久保伊音"ちゃんは、私達の胸をざわつかせる」





祥子の口から聞いた言葉に令がガタッとソファから滑り落ちた

2人が驚いたようにそちらを見やると令は苦笑しながら照れ隠しに咳を1つして、
そろりと再びソファに座りなおす






「けれどその原因を私達は話してあげる事は出来ないの」

「そんな…!」

「此れは聖さまの大事な大事な事だから…」

「……っ…」

「私からお姉さまに頼んであげるわ、に全てを話すように」

「……じゃあ、帰れって事…?」

「いいえ、貴方が落ち着くまで居させてあげてって頼まれているからいつまで居ても良いわ」

「…ごめんなさい」





最後に令と祥子に申し訳なさそうに、
泣きそうな顔で頭を下げるに2人とも笑った

今更何言ってるの、と―――――














は?」

「今祥子からメールが来たわ、やっぱりあっち行ってるって」




江利子が尋ねると蓉子は小さく微笑みながら安堵のため息を漏らす

混乱してしまった聖を何とか宥めすかし、
寝かせてから2人は改めて落ち着きを取り戻し就寝前の珈琲を飲んでいた




「そう」

「また2人を巻き込んでしまったわね」

「久保栞が絡んできた所で巻き込まれない訳無いわ」

「そう、ね…何年ぶりかしら、その名前を聞くのは」

「……これからどうなるのかしらね」

「…ええ」









2人もまた、人知れず静かにため息を吐いた
此れから先の事を思って…――――

















「お母さん」

「何かしら?」





久保伊音は自分にそっくりな女性の背後から声を掛ける


声を掛けられた女性は長い髪を揺らし、ゆっくりと振り返った








「私、と想い合ってはいけないの?」

「……そんな事ないわ」





その名前が出てきた途端少し微笑みを浮かべている表情が揺れるが、


伊音の肩に手を優しく置いて首を振る








「でも私、のご家族に歓迎されていないみたいなんだもの」

「其れは前にも言ったでしょう?私とあの方達は昔いろいろあったの、だから戸惑われてしまっているのね」

「……私は只が好きなのに…」

「…ごめんなさい、私のせいで貴方にまで辛い想いをさせて」







其れだけ言うとそっと抱きしめてくる母が、
伊音は温かくて切なかった





無邪気に笑う


拗ねたように口を尖らせる



照れて困っている





最近いつも頭の中には必ず様々なが居る

想えば胸が締め付けられて、
直ぐに会いたくなってあの大きな身体で抱きしめて貰いたくて


落ち着いた低い声で名前を呼んで欲しくて







私はこんなにも貴方が好きで堪らないのに、


私達の間に立ち塞がる壁は果てしなく大きいわ――――――























伊音、君を初めて見た時マリア様かと思ったんだ


けれど違ったね
君は普通の只の人間だった


怒りもすれば泣きもするし


けれど必ず振り返れば君は其処に居てくれた

そんな存在だった




伊音


君の髪に触れたい
君の瞳に映りたい


誰にも邪魔される事なく君と2人っきりの時間を過ごしたい





世界中の誰よりも私が君を知っていると、そう自惚れたい


自惚れさせて欲しい




いつだって君が其処に居てくれるように
私もいつだって君の側に居てあげたい










私はこんなに君が好きで堪らないのに、


私達の間に立ち塞がる壁は果てしなく大きいような気がするんだ―――――

























久保栞


此の名前を聞くのは懐かしいとまで思わせる程昔の事だ




けれど神に誓ってでも

此れだけは言わせて欲しい


私は蓉子と暮らしていてという子供も出来た

でも1度だって君の事を忘れた事なんか無かった



栞はどうしているだろう

栞は今幸せかな


そんな事を思い続けていたんだ
もちろん、其れは蓉子も判ってくれている


忘れてはいけない事だから、と許してくれた蓉子が
とても尊い存在だと改めて思った




好き、という感情はもう無い
今私の中に居るのは蓉子だけだから

けれどもう1度会ってしまったら、どうなるかは判らない


だから怖かった

を通じて栞と繋がっているなんて思いもしなかった


伊音って子はもしかして
私達の事を知っていてに近づいたのだろうか


もしそうならば

私があの冬に経験した辛い体験をもしなくてはならなくなる



そう思うと胸が千切れそう



にはあんなに辛い思いをさせたくない


だからどうか





どうか…あの子の事は諦めて

普通に人並みに恋をして幸せになって欲しい……―――――





……」










願わくば



願わくば








貴方の幸せを望むばかり











「伊音……」










願わくば



願わくば








貴方の幸せを望むばかり





















…願わくば、君を守るために……」













願わくば





























願わくば













願わくば








貴方の幸せを望むばかり

















next...