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馨は昔から影を背負ってて
其れが何なのかは未だに私には判らない
話してもくれないし、
此方から聞こうともしないから当たり前なのだけれど
何だか…少しだけ寂しい気がするのは何故でしょうか――――――
「…劇?」
今しがた目の前の人物から聞こえた言葉に馨はきょとんとする
けれどクラスメートは顔を赤らめたまま、
馨の席の側に立って見下ろしてきている
「………劇?」
もう1度問い返してみると、
ようやく伝わってないと理解したクラスメートが再び口を開く
「今年の文化祭の演劇部の出し物に特別ゲストとして参加して欲しいの」
「特別ゲスト?」
「ええ今中等部で1番人気のある方に頼もうと思っていて調べたところ、貴方が選ばれたのよ」
「そんな馬鹿な」
「いいえ、当然の事だと思うわ。もう既に高等部の薔薇さま方だって目をつけていると噂だもの」
「薔薇…さま……其れは嫌だな…」
「どうして?貴方のご家族だって皆、元薔薇さまなのでしょう?」
馨が項垂れて額に手を当てると、
何も知らないクラスメートはいい加減な事を言って目を輝かせる
薔薇さまと騒がれていても、馨にとっては変な人達の集まりだから
いまいち騒がれたり崇拝される理由が理解出来ない
そりゃ人並み外れた美貌の持ち主達だとは思うけど
馨は自分も人並み外れてる事も理解していなかった
「演劇部って何やるの?」
「シェイクスピアの"ロミオとジュリエット"をやる予定よ。もう練習にも取り掛かっているの」
「………」
「馨さんにはロミオを演じて貰いたいのよ」
「……やっぱり遠慮しとくよ」
ええ~っと抗議の声をあげるクラスメートを他所に、
馨はひっそりと苦笑を浮かべて1人思う
洒落にならないよ、と
そう、今の馨と伊音はロミオとジュリエットみたいなものかもしれない
だから余計馨にはそんな役を演じるなんて気にはならなかった
ちらりと前方の席を見ると、
伊音が1人で本を読んでいる背中が目に入る
相変わらず友達と集まって話しに花を咲かせるなんて事ないんだな
と言っても自分もそうだけど…
どちらかと言えば1人で窓の外を眺めているだけだ
時々ゴロンタが通りかかるといつも用意してある猫のオヤツ、にぼしをこっそりと投げてやったりしている
「とにかく、ごめん。私は出来ないや、もっと正真正銘人気のある人を探してみてよ」
「何を言ってるの、貴方こそが正真正銘のスターじゃない」
「…だから無理だよ」
「そんな事を言わずにお願い!」
「………」
拙い、最近どうも感情のスイッチが緩くなっている
此れも其れも全部先週末起きた事のせいだ
此処最近眠りも浅いせいで、身体も悲鳴をあげているし
普段は奥の方で眠っていた気持ちがざわめきを起こすのが早くなってくる
ギュっと握り拳を作り、何とか静めようとするが
1度眠りから覚めた怪物は簡単に元には戻ってくれない
「ねぇ、馨さん。貴方が出てくれると演劇部の大宣伝にもなるのよ」
「………ぃ…」
「え?」
「…煩い」
「馨さん?」
「煩い、さっさと私の前から失せてくれないか」
低く、ドスの効いた声色に異変を感じ取ったのか
クラスメートの女の子は顔を引きつらせて私から1歩離れる
そしてそんな私に気付いた教室内が静まり返って、
私を刺す視線が急激に集まる
伊音も、ちらりと振り返って私を見ていた
「……馨さん…?」
「煩いな!!消えろと言ってるのが判らないのか!!!」
嗚呼、拙い
怪物は完全に起きてしまった
自分が何を言っているのかも判らない
けれど物凄く傷つけるような事を言っているのは判る
目の前のクラスメートは段々目に涙を浮かべて、パッと教室から出て行ってしまう
其れを追いかける友人らしき数人
私を遠巻きに、けれど様子がおかしい事に気付いた教室内のクラスメート達が声を掛けてくるのが聞こえる
けれど息を切らして顔面汗だくになっている私の脳内には、
あの夜の皆の顔が渦巻いていた
笑顔の人なんて居なかった
皆腫れ物に触るかのように…
そう、今のような状態だった
「クソッ……どいつもこいつも…」
「馨」
肩にそっと触れてくる温もりに、私は我に返る
其の手はゆっくりと私の首に回り、気付けば其の手の主に抱きしめられていた
「い、お…ん……」
「大丈夫よ、泣いていいから…」
「っく……うぅ…」
「大丈夫、大丈夫だから」
1番欲しかった言葉なんだ
本当はあの時、
蓉子に言って欲しかった
累さんにも言って欲しかった
ニコリと笑って自信満々に言って欲しかった
でも其の言葉をくれたのは伊音だった
微笑みながら、泣きじゃくる私の頭を抱きしめてそう言ってくれた―――――
驚きと、醜い感情の混ざった視線が感じられるけれど
今の私には関係ない事だ
只此の温もりが大事で、
貴重で、
何よりも嬉しかったんだ……
そして令と祥子の言葉を聞かずに学校に通い始めたのを私は後悔した
こんなに浮かない気分で、
周りに八つ当たりなんかしてしまうなんて
人間として最低じゃないか
聖と蓉子、令と祥子の言う事を素直に聞いておけば良かっただなんて
今更後悔しても遅い
事態は起きてしまったのだから
私と伊音の関係が公けになってしまい、
其の騒ぎは全部伊音に跳ね返ってしまった
傷ついた小心者の私につけ込んだと、ある筈も無い言葉で傷つけられる伊音
もちろん私の知らない所で其れは行われていた
だから私は伊音の日増しにボロボロになっていく心に気付かなかったんだ
けれど気付いた
昼休みに姿の見当たらない伊音を残念に思いつつ、
仕方無しに1人で中庭にてゴロンタとじゃれていた時
校舎の窓からは見えない、薔薇の館と呼ばれる建物の陰から只ならぬ声がした
ゴロンタに向けていた猫じゃらし草を放り、
よっこらしょと年寄りくさい台詞でベンチから立ち上がると
其の方へ向かってみた
いつもならしない
いつもなら他人の関わりに首を突っ込まない
けれど、私には1つだけ許せない事がある
其れは苛め
私自身が幼い頃に経験しているからかは定かではないけれど
人を傷つけ、
何よりも心も傷つけるその行為は何としても見過ごせぬ行為だ
最初はリリアンでも度々見かける苛めを片っ端から止めていただけだった
そしたらそのうちにピンチに助けに来てくれる白馬の王子様として祭り上げられていただけの事
別に私の魅力なんかじゃない
聖と蓉子達の陰ながらの元薔薇さまとしての威力もあったし
たまたまその場に現れて見過ごせない行為を片っ端から止めていたという己の自己満足で
………全然私の魅力なんかじゃない
そう思い髪を後ろへと掻き上げ、ため息を漏らしながら木の陰から其の現場に目をやる
すると其処で行われていた行為の中心には信じられない人物が居たんだ
伊音がじっと立ち竦んでいた
見てるこっちが可哀想になるくらい身を縮めて震えている
直ぐに目がいったのは伊音の周りを取り囲んでいる生徒達
1個上の上級生達だろうか
見覚えがある生徒達は上級生という立場を利用して伊音にいろいろと残酷な言葉を投げかけている
「ちょっと、聞いているの!?」
「っ…はい……」
「どう釈明してくれるつもり?馨さんは手を出してはいけないという暗黙の了解をご存知?」
「そんな…」
知らないよ、そんなの
そんなの
私が決める事じゃないか…
其れに手を出したら私が必ずしも応えるという、
物凄い自信家な決まり事じゃないか
私の意志は無視って訳?
其れに、そんな事…私に言うべきだろう
なのに言い返す事の出来ない気の弱い伊音を標的にして罵声を浴びせるなんて
なんと醜いんだろう
「そんな事してないとでも言うの!?大層な猫被りね!!」
リーダー格の女の腕が振り上げられた
そして其れが降りた時、気持ちの良い音が薔薇の館の裏に響く
けれど苛めをしていた集まりはハッと息を呑んだ
「………痛いじゃないか」
「…っ馨さん」
勢いで乱れた髪を顔に掛けたまま、
横に向いていた顔を擡げて呟く
其の低さにゾッと顔を青冷める一行に私の思考回路はもう既に麻痺していた
伊音を庇うように自分の後ろにやってから、
ギリッと歯軋りをする
けれど其の一行の顔ぶれをはっきりと見て、直ぐに口角が吊り上った
「あ、れぇ?」
「っ…」
「何だ、此処に居る人達ほとんど苛められてた人ですよねぇ」
「…!」
「うわ、最悪。自分がやられて嫌だった事を今度は伊音にやってんですね」
「…其れは…」
「学ばない人間こそ最低最悪の生物ですね」
呆れたように笑いながら頭を掻く私に、
彼女達は俯いて悔しそうに地面を見つめてしまう
頭に血が昇っている私は、何故彼女達が苛められている時に見過ごさなかったんだろうと
其れこそ最悪な考えを浮かべてしまっていた
「アンタ達みたいな人間にこそ1回痛い目にあっても判らないんだ」
「え?」
「つまり、もう1度痛い目にあってみなきゃ判らない…違う?」
「なっ…」
今度腕を振り上げたのは私だった
其れも平手ではなく拳骨で
伊音が制止の声を叫ぶのが聞こえる
けれど時は既に遅し
目を瞑る目の前の女子には、私の顔が恐ろしく見えていたのだろうか
嗚呼、自分でも見たくないな
そんな顔…
急激に冷めた
何故か知らないけれど、冷めた
気付けば前髪から滴り落ちる水がぽたぽたと顔を濡らしていく
そして冷めた理由が判明した
空から水の塊が落ちてきて、私の頭上を直撃した
目の前の少女達にも振り落ちていたようで、彼女達は叫び声をあげながらずぶ濡れの制服を何とかしようともがいている
拳を振り上げたまま固まっていた身体を解き、
濡れた髪を再び掻き上げて頭上を見てみる
只の空しかない
否、其処には薔薇の館の窓が全開になっていて
此方をバケツを持ったまま見下ろしている女性が居た
其の瞳には何とも言えない穏やかさを秘めて
優雅に微笑んでたりする
「……誰?」
「ごきげんよう、紅薔薇様と申します」
「…ども」
「ふふっ」
思わず零れていた言葉は、其れだった
上から見下ろしている人はバケツを中に仕舞い、
窓淵に肘を着きながらそう言い放った
一礼する事もなく何の感情も込めない目で挨拶を返すと、
彼女は可笑しそうに顔を緩ませただけだった
正面に居た苛めっ子達も、紅薔薇様の存在に気付き慌てて周りの仲間達に其の存在を知らせようと指差す
「おや?いきなりバケツを掴んで何をするかと思えば」
「粋な事するじゃない、貴方もたまには」
紅薔薇様の両脇から、また風格のある綺麗な人達が顔を覗かせて見下ろしてくる
どうやら其れは白薔薇様と黄薔薇様らしいという事は、
苛めっ子集団の間で交わされる悲鳴で判った
そして慌てふためいて逃げていく彼女達の背中を見送り、
びしょ濡れになった自らの制服を一瞥してから伊音の方へと振り返る
「…ぐっ、しょ濡れ」
「………ふっ、ふふふ…」
「はは、は」
力を込めて濡れ具合を伝えると、
伊音は少し呆けてから堪えきれず噴出した
私もつられて噴出してしまった
頭上からも控えめな笑い声が聞こえてふと顔を上げてみると、
其のリリアン高等部の有名人達も可笑しそうに私達を見下ろしたまま笑っている
ばちりと目が合うと、
ウインクをされた
名前も知らない、薔薇の名前を称号されている人達
一瞬彼女達に聖と蓉子と江利子の姿がダブって見える
そして次いで彼女達の周りに令と祥子、祐巳ちゃんと由乃と志摩子の姿も見えて、
あの日から久しぶりに目を細めて緩やかに微笑む事が出来た
私の複雑に絡み込んだ心を好き勝手に掻き混ぜられるのは、
今も昔もあの人達だけだ
そう思うと、切れる事のない絆を感じる
いつだって心の奥で繋がっていた私達……
手繰り寄せれば相手を引き寄せる事が出来るんだ
いつでも
いつだって
側に来て欲しい時は来て貰えるなんて、
何て素晴らしい特権だろう
だから、
もう自分の紐を平気で放ったりしないよ
いつだって皆はその紐を引っ張ってくれていたのに
私は気付かなかった、放っていたから
でも、もう…こうやって握り締めているから
其れに、私からも引く事が出来るから
どうか…皆
応えてくれるだろうか…――――――――――――――
next...