「おはよう、累。早いのね」

「うん、おはよ」






まだ考え事をしているらしいを置いといてリビングに入ってきた私を、
寝起きの蓉子だった

少し乱れてしまった髪を手櫛で整えながらほんわかと笑いかけてくる



寝起きの悪い江利子と暮らしてきている累にとっては其れが何だか新鮮だった



少し目をぱちくりしてから、
ふっと小さく笑いながらキッチンへと向かう

自分の分の布団を綺麗に畳みながら蓉子が累に声を掛けた








「あ、今すぐ朝ご飯作るから待ってて」

「いいよ、私が作る」

「でも…」

「折角の日曜なんだからのんびりしててよ、こう見えても料理は得意分野だよ」

「そう、有難う。頼りになる双子ね、貴方と令って」







蓉子に微笑まれて、累はまんざらでもないような微笑みを返した

キッチンに入ると其処は令の城
昔から意思の疎通だけはどの双子にも負けた事のない2人だから


令が何処にどの道具があるかは手に取るように判る

以前令が調理しながら塩を取るように祥子に頼んだ時、
たまたま其処に居た累がぽんっと取って渡した

教えた事もない筈なのに何故判るのかと祥子が複雑な顔をしていたのを覚えている



材料と道具を一通り揃えて累は咥え煙草をしたまま調理に取り掛かった

もちろん令が居る時はシェフという仕事柄其れは許されない行為だけれど、
令はまだ隣の寝室でぐっすり寝こけている筈だったから累はやりたい放題だ




リビングを迂回しながら親友達の寝相と毛布を整えてあげていた心優しき蓉子はベランダに写る影に息を呑む


そして其の正体が可愛い我が子であると判ったら、直ぐに目元を緩ませた

ベランダの窓をゆっくりと開けてしゃがみこみ、累と目線を合わせる






「どうしたの?そんな所で。寒いでしょう、中に入りなさい」

「……うん」

「身体、こんなに冷えちゃって…シャワーでも浴びてきたら?」

「…いいよ」






何処か元気が無い返答にも、蓉子は優しく声を掛ける

昨日の今日で何事も無かったかのように振舞えとは子供にはキツイ課題だ



ひょこっと中へ入ってきたを見てから、
窓を閉め直す

ソファで寝ていた聖が寒かったらしく呻き声をあげたからだった







「早く目が覚めたの?」

「まぁね」

「珈琲飲む?ミルクと砂糖入り」

「うん」






の横を通り過ぎて蓉子もキッチンへと入っていく

キッチンで並んで作業をしている2人は何か会話をしながら笑いあっていた



ふとがそんな光景を見てぽろりと言葉を漏らす









「夫婦みたいだね、2人とも」






がしゃん!




蓉子がマグカップを流しに落とした

隣で累が蓉子の様子を見て苦笑いをしている



そんなにまずい事でも言ったかな?とが首を傾げると、
蓉子は気まずそうにひとつ咳払いをしてマグカップを拾い上げた






「全く突然変な事言う子ねぇ」

、此処だけの話教えてあげようか?」

「うん」





不自然に笑いながら言う蓉子の隣で累がにウインクしてニヤリと笑った
何の疑問も持たずには素直に頷いておく

















「実は…密かに此処で愛人関係を保っていたりして」






がっしゃん!!














今度こそ大きな音が蓉子の方からした


は其れを見て直ぐに冗談だな、と思った

累がからから笑っているのを蓉子が空いた両手で真剣に殴っていたから








「何馬鹿な事言ってるのよ!!!馬鹿馬鹿馬鹿!!」

「あはははっ、痛いってば。痛い痛い」








累の腕をぽかぽかと叩いている蓉子
そんな2人を見ているうちに自然とも笑い出してしまった

笑っているに気づいた蓉子が其の手を止め、呆けている


そしていつもの様子に戻っているをしばし見てから、累を見上げて耳打ちした







「何か、言ったの?私が寝ている間に」

「さぁ?此れが累さんマジック、種は明かせませんな」






人差し指をぴんと立てて意地悪そうに笑う累に蓉子は眉間に皺を寄せる




ふと普通に微笑んでから蓉子に耳打ちし返す累











から何か聞かれると思うけど、全部ちゃんと答えてあげてね」













其の台詞に蓉子はまた疑問が1つ増えただけだった


けれど其の疑問は直ぐに掻き消える

しきりに思う存分笑い終えたが蓉子に尋ねた













「ねぇ、蓉子にとって人生とは何?」


「え?」


「蓉子は、どんな人生を歩んできたの?」


「…あぁ」








ちらりと累を見上げると、
累は微笑んで頷いた

蓉子は其れから累にもキッチンの隅に珈琲を淹れてあげて置いといて


2人分の珈琲を手にリビングへとやって来て食卓に着く

も自然と蓉子の向かいに座って真顔で聞く体勢に入っていた



珈琲を一口飲み、

一息吐いてからぽそりと蓉子は話し始める












「私は…そうね、自分が納得出来ないとどんな事も受け入れられない性格だったわ。




うん、今の

貴方にそっくりだった。





けどね。



其れは決して悪い事じゃないわ。







小さい頃から親の期待に応えて一生懸命勉強して…
中学からリリアンに入学した。


其処で出会ったのが聖と江利子よ。



江利子はまぁ、一生懸命努力して何かを得る私と比べて、
大して努力しなくても何でも平均以上にこなしてしまうから少しムカついたわね。


聖は…本当に何を考えているか判らない…ややこしい人だった。





吃驚?



そうね。

でも聖は元々今みたいな性格だった訳じゃないのよ。





そして何の因果か…其処で出会った私達3人は高校に上がるにつれて一緒に山百合会に入ったわ。


其処から始まっていたのよね、私が苦労するという運命は。

ふふっ。



1年生は誰よりも早く薔薇の館に来て掃除したりお茶を用意したりしないといけないのにね、

………やる訳ないでしょう?あの2人が。




だから其の頃から既に私は1人で3人分の仕事に追われていたわよ。







そして…多分、



初めて会った時から私は聖に惹かれていたかもしれない。

もちろん最初は恋とかじゃなかったと思う。



お節介な私の性格が放っておけなかっただけだと思うんだけど…。




でも、いつの間にか恋になっていたわね。








そして私達が高2になった時、聖は妹も作らずに栞さんと常に一緒に居るようになったわ。



私やお姉さま方がどんなに言っても聖は決して1つ下の栞さんを妹にはしようとしなかった。







壊れそうな聖を無限の愛で受け止める栞さん。


傍から見たら微笑ましい恋人同士に見えたかもしれない。

でも…私にはいつか其れは終わりが来るようにしか見えなかった。



聖が其のまま現状維持出来ると思えなかったもの。


そして思ったとおり2人はクリスマスの晩に終わったわ。









此れで…此れで聖はやっと私を見てくれるかもしれない。



そんな自分勝手なこと、思っていたけれど…。






次の年に祐巳ちゃん達が入ってきて、


聖は志摩子を妹にして、




今までの聖が嘘のように明るくなって…。









そして私はずっと何も出来ずにぐずぐずしてる内に、



私達は卒業したわ。




けれど私達は卒業してもちょくちょく会って遊んでいた、けど。


其れも困難になったの。



何故なら、聖が祐巳ちゃんと付き合い始めたから。






其れまで集会場所になっていた聖の部屋に、

どんどん祐巳ちゃんの物が増えていって、
3人だけの居場所がどんどん無くなっていくような気がして…。





でも、私は何もしなかった。










其の頃既に聖は祐巳ちゃんに気持ちが無いのも知っていた。

そして其の気持ちは誰に向けられているのかも、恐らく判っていた。



でも、何もしなかった。




誰も傷つけたくないから。

祥子も、祐巳ちゃんも大事な私の妹達だから…。






…でもね。


ある日聖からの密かな視線に耐えられなくなって、


思わず口走っちゃったわ。



聖、貴方だけは手に入らないのね、と。






其れからなし崩しに何かが壊れていく音が聞こえたの。







聖は苦しんで。


私は悲しんで。


祐巳ちゃんは覚悟を決めて。


祥子は堪えて。









聖は、私の所へ来てくれるって誓ってくれたのよ。


そして祐巳ちゃんと別れて。

私の元へ約束どおり来てくれた。


あの、困ったような笑顔で…。





其の瞬間。


長年の想いがやっと叶った気がして、

こんなにも聖の事が好きだったんだって改めて思い知ったの。





















ねぇ、









叶わぬ想いをずっと諦め切れずに抱かえている事は決して格好悪い事じゃないわ。


































願うだけでは叶わない夢を実現させるには、






どうしたらいいと思う?












叶わない夢を叶えてくれるのは、

たいてい自分じゃない誰かよ。





そんな人を探しなさい。






其れが…人生だと思うわ……。」



























蓉子が遠い目をしながら思い出を掘り返して話し終えると


は、しばらく無言だったけれど

直ぐに微笑んで、頷いた














「うん、判ったよ。蓉子…有難う」


「いいえ」










其の礼に蓉子は首を横に振ってから、


の頭に手を置いて愛しそうに撫でる




可愛くて可愛くて仕方の無い我が子





どうか苦渋の道を歩んで欲しくは無いと思ってしまうのが親心だけれど、

そしたら何も得る物がないから



だから傷つきながらも前を向いて歩いていって欲しい




疲れたら私達が腕を広げて貴方を抱きしめてあげるから……



















時計の短い針が7時を指した――――――――――――――――




























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