「はね、小さい頃にプールで溺れた事があるんだよ」
令の言葉には目を丸くした
プールや海は好きだけれど、
100mとか長距離泳ぐのは得意じゃないのって何故だろうというの疑問への回答だった
大抵激しい運動以外のものなら難無くこなすのに、
何故だろう、と
足の障害で走る事は出来ないので、例えば野球でも代走を立てて貰い、
バッターボックスに入ればアウトなんて1度だってない
バスケだってコートの前に突っ立っているだけで、
チームメイトが必死で繋いできたボールをパスされれば必ず入れてみせる
大好きな剣道だって、
今も時々令の家の道場を借りてやっている
走れなくとも困ったことは無かった…のに
1つだけ出来なかったのが水泳だった
水泳だったら足を上下に動かしてほとんど手で進む運動だから大丈夫だと思っていたのだが、
肩まで水に浸かってしまうと動けなくなってしまうのだ
其の長年の疑問をプールサイドに座り込んだが令にぶつけてみた
すると1度水の中へ潜り、頭まで濡らしてから令は髪を掻き上げながらそう言った
「溺れた?」
「うん、ほら波のプールってあるじゃない?遊園地とかに良くある…」
「ああ、奥の方から延々と波がやって来るアレね」
「そう。其処に1人で入って行っちゃってね、私達が目を離した隙に」
「…へぇ?」
其の頃の思い出が思い出せないのか、
が首を傾げながら相槌を打つと、令はの両肩に手を置いて真剣な表情になった
「其処の浅瀬に座って遊んでたんだろうね、君は。そしたら…大きな波が来ちゃって」
「溺れた?…でもびしょ濡れにはなっても溺れはしないでしょ?」
「アレを侮っちゃいけない。確かに1度大きな波が来ても瞬間的に息を止める事は出来るよ」
「うん、そりゃ…」
「でもね、"ああ吃驚した"って顔を上げたらまた大きな波が目の前に来ているんだよ?」
「………」
「其れが何度も何度も…ほとんど死にかけていたよ、幸い其の前に聖さまが抱き上げて救ったから良かったものの」
「……」
其の光景を想像したのか、
それともトラウマとして記憶から消されていたのが再び甦ったのか、
は笑顔を引き攣らせてしまった
蓉子達は未だにプールの奥の方で、
今度は令と入れ替えに祥子を仲間に加えてビーチボールで遊んでいた
祥子と替わって令がの元へとやって来てこうして話し相手となっていたのだ
「聖さまがが居なくなった事に真っ先に気づいて必死で探し回ってくれたからね」
「…うん」
「時期で言えば夏休み、其の尋常じゃない人混みの中で小さな女の子1人を探し出すのってどれだけ大変か判る?」
「……うん」
「確かに聖さまはちょっとちゃらんぽんかもしれないけど」
「……」
「でも其の時其の時自分の手の中にあるもの、目の前にあるものは一生懸命大事に出来る方だよ」
「…うん」
少しだけ項垂れてしまったに気づいて、
令は顔面の緊張を解いてふっと笑いながら其の頭を撫でてあげた
其れを気持ちよさそうに受け止めながらが口を開く
「皆こうして私の頭を撫でてくれるよね、其れって子供扱いしてない?」
「え〜?そうかなぁ」
「だって私、もう蓉子よりも大きいよ?なのに手を伸ばしてまで撫でられる事ないと思う」
「外見なんて関係ないよ、例えが20歳になっても30歳になっても私達の中では"可愛い"だもん」
「でもさ…」
「撫でられるの嫌?」
「…ううん、むしろ………好き…」
「……あぁっ、もう可愛いな〜!!」
顔を赤らめながら肯定するに令はたまらなくなったらしく、
其の頭を掻き抱いて頬擦りし始めた
事情を知らない辺りからしてみればかなり異常な光景だ
蓉子達もついボールを取り落として2人を呆けて見つめていた
水の流れにボールが乗ってどんどん向こうの方へ流されていっている事にも気づかずに
そして気づいたら既にお昼時になっていた
メンバーが集い、其のプールの中に備え付けられている喫茶で食事を摂る事になり、
蓉子と江利子と祥子が食事を買って持ってくる役を承り、
残された4人は席確保のためにテラスの客席の方へ移動した
もちろん日曜だから席は人でいっぱいで、
更に7人という大所帯で座れる場所なんて無かった
「やっぱり空いてないな〜」
「車で食べます?」
「でも江利子さん文句言いそう」
「だよねぇ、江利子って最近昔より輪にかけて我侭になったよね」
「累が甘やかすからでしょ?」
「令こそ逆らえる?江利子さんに」
「うん、無理」
目の前で人目を引く3人組が和気藹々と言葉を交わし合いながら辺りを見回している
其の後ろでは大人しくお腹を鳴らせながら突っ立っていた
今日朝から聖とは一言も交わしていない
別に意識して避けている訳じゃない
でも、何となくだ
聖も私も互いに相手の至近距離に寄らないようにしている
もう聖に対しての怒りなんてとうの昔に消え去っている
確かに今付き合っている人とずっと両想いで愛し合ってきたなんて、
そんなのに残された子供の部分、一部である
だからはそんな自分の子供染みた考え方に反省をした
話を聞いているうちに判った
聖も
蓉子も
江利子も
累さんも
令も
祥子も
恐らく祐巳ちゃんも由乃も志摩子も乃梨子も
皆過去にいろいろ抱えていて
今一緒に居るパートナーと最初から結ばれていた訳じゃない
其のいろんな壁を乗り越えて、
互いを慈しみ合ってきたから
今の彼女達の間には深い深い絆が出来上がったんだ
私と伊音がそうだったように……
「あれ?さん?」
ふと1人そんな事を考え耽っていた時、
背後から声がした
顔だけ振り向いてそちらを見ると見た事のある女の子達の顔だった
確かクラスメートの子達だろう
彼女達は4人組で遊びに来ていたのか、
其の4人で占めている席はまだまだ余裕がありそうだ
前方で未だに席を探し回っている3人をちらりと見て、
は其のクラスメート達の元へ寄った
「…やぁ」
「ごきげんよう、どなたといらしているの?」
「家族…と。あのさ、もし良かったら此処……」
「あぁ、満席だものね。私達も一緒で良かったら是非座って」
「いいの?助かる、有難う」
快く席を数人分空けてくれる彼女達に微笑して礼を言うと、
少し離れた所にいる聖達に声を掛けようとした
「実はね、さっきから私達あそこに居る人々が素敵ねって話していたのよ」
「…あそこ?」
「そう、あの3人組。あの人達が来てからプールの方でも華やかになったもの」
「…へぇ、そうなんだ」
やっぱり人目を惹きつけていたんだな、と
他人事のように前方にいる3人を眺めながらは相槌を打つ
クラスメート達はが自分達の話に参加してくれた事に喜んできゃいきゃいと黄色い声で騒いでいた
其の中で一段と落ち着いている子が1人、優雅にお嬢様らしく微笑みながらを見上げてくる
教室の中ではあまり人と交流を持たないは、
初めて其の子に嫌悪感を抱かなかった
むしろいい子じゃないか、と
「ああいう人達と一緒に出かけたり遊んだり出来たら最高よね、って」
「じゃあ遊ぼうか?」
「え?」
夢の中の物語のように光悦に語る彼女達を見て、
は何でもないというふうにさらりと応えた
其の子達がはて、と首を傾げた時
は右手を上げて大声を出す
「こっちこっち!」
すると先程まで噂の中心人物だった3人が此方を振り返るではないか
少女達は驚愕に目を見開き、
の背中を見上げた
そういえば学校での彼女の呼び名は
『薔薇の正式後継者』
だったのだ
一体何処からそんな皮肉な愛称が付いたのかは定かでないが、
リリアンでは山百合会に次いで有名な存在なのだ
薔薇さまに自然と求められる条件
人々を纏める力量
凛々しく優雅で
何よりも沢山の生徒達が従うために必要なスター性
そのどれもを備えている彼女は中等部1年で既に山百合会からも目を掛けられている
「えっと、此方学校の人達。こっちは…聖と令と累さん」
最初に聖達に少女達を紹介し、
其れから何処か意地悪そうに微笑みながら少女達に聖達を紹介した
呆気に取られている彼女達を他所には椅子を数個引いて、指し示す
「此処空いているからいいって。私はいいから6人分、丁度でしょ?」
「私はいいからって、どうするの?」
「そこら辺に適当に座るって」
「まぁ椅子の1個や2個くらいはいつでも調達出来そうだからいいじゃない、令。有難うね、君達」
戸惑う令に朗らかに笑い掛けてから、
のクラスメートだという彼女達に礼を述べる
少女達は只必死に首を横に振り、其れを否定した
そして横に突っ立っているの腕を引いて耳元に顔を寄せる
「さん、6人って…もしかして」
「うん、えっと聖が白薔薇様時代の薔薇三色と其の蕾。ぷらすアルファ」
累の事はどう説明していいのか判らず、
というか単に面倒くさかったのではそう言った
言われた瞬間累がはァ?!という顔つきでを見下ろしたので令が宥めようとしている
「でも別に支障はないよね?」
「支障なんて…でも私達どう接したらいいか」
「普通でいいよ、全然。昔は薔薇さまと呼ばれていても今は只のつまらない大人の女だから」
累と入れ替わりに聖がずいっと前に出た
今度は累と令が必死で聖の身体を押し留めている
さくっさくっと先程から大人達に喧嘩を売ってるを見て、
少女達は密かに思った
もしかしたら見た目は確かに凄く綺麗だけど、人としては大した事ないんじゃないかと
まぁ何とも失礼な事を思ってみた
けれど其の考えは直ぐに打ち消されるのだが
蓉子達が其々の食事を持ってやって来た
お盆の上にはハンバーガーやら焼き蕎麦やら適当に乗っかっている
遠くに見えた彼女達を認めるなり、令が手を振って所在地を教える
ぶすっと不機嫌面の聖の隣で、
累がに報復をしていた
頭の両脇に握りこぶしを押し当ててぐりぐりと押す
其の場の変な空気に、到着した蓉子と江利子と祥子が怪訝そうに眉間に皺を寄せていた
「えっと…此方の可愛らしいお嬢さん達は…?」
「ナンパ?」
「何で其処で私を見る!?」
蓉子が恐る恐る言うと、江利子が判りきった事だとでも言うように累を見て確認する
の頭から手を離して累が悲観そうに叫んだ
そんな2人を見やってから聖が蓉子へ告げる
「の学校の子達だって」
「あら、がいつもお世話になってるのね。水野蓉子です」
「名前で名乗るよりも名称で言った方が通じるんじゃない?」
「其れもそうだわ、元紅薔薇様…でいいのかしら?」
「じゃあ私は元白薔薇様」
「元黄薔薇様」
3人がそう言うと、呆気に取られたままだった少女達の間から歓声が沸き起こる
其の3人の脇で令と祥子が耳打ちしていた
「私も…一応元黄薔薇様なんだけど」
「お姉さま方の妹です、って言えばいいんじゃない?」
「そっか!」
相談を終えたらしい2人は改めて向き直って相談通りに名乗った
「はぁ…伝説の方々にお会い出来るなんて果報者です、私達」
「伝説なんて大層なものじゃないよ、私達も君達と同じようにリリアンに居てリリアンを卒業しただけの事さ」
「でも私達の中ではずっと皆様の名は残り続けてきているんですよ?」
「何て?」
「"真実の愛を求めて彷徨う永遠の白薔薇様"」
少女達と言葉を交わしていた聖と蓉子の脇からが身体を突き出し、
テーブルの上に置かれたハンバーガーを手に取りながら噂の名称を伝えた
聖が呆気に取られている間、は言葉を続ける
「"真の優しき存在真の統率者紅薔薇様"」
そして最後にはちらりと江利子を見ると、
可笑しそうに指を指し、言い放つ
「"太陽より最強の光を放つスッポン凸黄薔薇様"!」
江利子の眉が冗談抜きに物凄く吊り上ったのを確認して、
は腕を下ろすとニコリと微笑んだ
「というのは冗談で、"死の世界でなく生の中で天国を見出す黄薔薇様"」
そして未だに怒りオーラを放っている江利子を放っておいて、
祥子を見ると続ける
「祥子は"由々しき因果の螺旋を支配した紅薔薇様"」
最後にまたはニヤリと笑って
「そんで令は"ヘタ令"」
「嘘っ!!???」
「嘘」
「え?」
「"武士の強さ優しさを備えた女侍黄薔薇様"だよ」
心底ショックを受けたようで叫ぶ令に、
は満面の笑みで嘘である事を肯定した
最後まで聞き終えると、其れまで黙っていた累がお腹を抱えて大笑いしだす
「"太陽より最強の光を放つスッポン凸黄薔薇様"と"ヘタ令"の方がしっくり来る!!」
と命知らずな事を言ってのけたので、
机の下で令と江利子に思いっきり足を蹴り飛ばされたのは此処だけの話
其々受け継がれているという自分の肩書きに蓉子達は照れくさそうに咳払いをしたりして誤魔化していた
微笑ましい空気が流れた頃
聖が静かに珈琲を飲んでから口を開いた
其の台詞によって其の場はより一層微笑ましい優しい空気が流れたのだ――――――
『でも私はもう真実の愛を見つけたから、其の愛称はちょっと違うかな』
next...