「其れでさ、令がヘマしてボールを顔面で受け取ってさ」
昼下がりのリリアン
中庭で2人きりの昼食は何よりも和む時間だ
伊音はこの間の夜の事については触れてこない
朝だって何も無かったかのように声を掛けてくれた
少なからずとも私は其れで随分と安心したんだ
そして昨日のプールでの出来事を話して聞かせると、
一緒に笑いながら楽しそうに聞いててくれる
其れがまた何とも嬉しくて
私はウキウキとあった事を話して聞かせていた
「それで、友達が出来たのね?」
「ふぇ?」
蓉子お手製の玉子焼きを口に入れた時、
伊音が穏やかに微笑みながらそう言ったので
私は間抜けな返答をしてしまった
でも伊音は嬉しそうに続けた
「私以外じゃ初めての友達じゃない?」
「う〜ん、まぁ…そうかも」
「良かったわね」
「……うん」
何の恥じらいも無く告げてくるものだから、
逆に私が恥ずかしくなってしまって俯いて紅潮したまま頷く
すると伊音はよしよし、と私の頭を撫でる
最近判ったけれど、私はこうされるのが嫌じゃないみたいだ
もしかしたら小さい頃から聖と蓉子達が常にこういう行為をしていたのかもしれない
「これで安心だわ」
「え?」
「いいえ、何でもないわよ」
「そう?」
変な事を呟いた伊音に首を傾げるが、
彼女は否定するので私は大して気にもせずに弁当の咀嚼を再開させた
この時問い詰めていれば
君は今も此処に居てくれたのかなぁ
あの頃思い描いていた未来に、
私の隣には君が居たんだよ
けれど其の思い描いていた未来は実現する事無かった……――――――――
帰宅する先にあるのは令と祥子の家
聖と蓉子と私の家ではない
令も祥子も何も言わないでくれているし
聖も蓉子も何も言わないでくれている
だから私は今の生活がとても楽しくて、
そして気づいたんだ
人生も同じ事かもしれない
限りある時間の中に居るからこそ、
私達人間は楽しめるんじゃないかって
永遠には味わえない空気を大事に大事に楽しもうとしているんじゃないかって
もちろん聖と蓉子との暮らしが嫌な訳じゃない
むしろ大好きだよ
だからあと少ししたら家に帰ろう
2人が待っていてくれるあの温かい家に…
「うわ」
令も祥子も仕事で家には居ない
2人から渡されている合鍵で家の中に入る
ふと目に入ったリビングの食卓に置かれている箱を、開けたら彩り鮮やかなケーキが数個入っていた
其のあまりにも綺麗な装飾のケーキに驚いて出た言葉だった
箱と一緒に備え付けられていた紙には令直筆のメモ
"おかえり、
これ新作のケーキなんだけど味見してみて欲しいんだ
そして感想を聞かせてくれる?
冷蔵庫に大好きなコーラ入ってるから飲んでね
8時には帰るようにするよ
祥子は6時には帰って来るってさ
追伸、知らない人が来ても出ちゃ駄目だよ
令"
「子供かっつぅの」
其の紙を人差し指でビシッと叩いてから、
自分の言葉に気づく
「子供だっつぅの」
1人ボケツッコミは結構哀しいものだ
1人だけの家の中に静寂が戻る
そして少ししてから苦笑したまま箱の中にあるケーキの1つを掴んで齧った
ケーキやお菓子の類をお皿やフォークを使わずに食べるというの癖
祥子や蓉子にはお行儀悪いと言われてきたけれど
令は私にこっそりと囁いてきたんだ
『食べる時にクリームやくずを気にしながら食べる人よりも豪快に食べてくれる人の方がケーキの本当の味を味わってくれるんだよ』
そんな事言ったら祥子達が怒るのは目に見えているので、
令は本当にこっそりと私にだけ言ってきたから
だから私はこの癖を直す気はない
口に入れたケーキは甘過ぎず苦過ぎず
ココアをベースに作られた新作はとても美味しかった
新作じゃなくても令の作るケーキは全部美味しいんだけどね
「んまい」
指に付いたクリームを舐めながら冷蔵庫からコーラを取り出す
令も祥子も基本的には物凄い気ぃ遣い屋さんだ
冷蔵庫の中にはの好物が沢山詰め込まれていた
コーラを始めとし、
いろいろな食材
卵もあるし、
キムチもあるし、
アイスもあるし、
凄い量で詰め込まれていた
「どれだけ過保護なんだよ、此れ」
そう言いつつもコーラとホワイトチョコを取り出して、
リビングでおやつの時間を満喫したりしなかったり
こんな、1人の時間は嫌いじゃないけれど
好きでもないんだ
だってこんなに静かだといろいろな事を思い出してしまう
実の両親に罵られていた時間も大体夕飯前のこんな時間だった
"死ね"なんて何度言われてきた事だろう
『死ねば?』
『何でアンタなんか産んじゃったんだろう』
『死ねばいいのに』
『いっその事殺してやろうか』
『死んじまえ』
ぎゅっと両耳を押さえる
幻聴なんだからそんな事で消える筈もないけれど
それでもせずにはいられない
膝を抱え込んで小さな子供が自分の身を守るように縮こまって
コーラの炭酸がぶすぶすと口内で弾けて消えてく
どれ程の時間が過ぎただろうか硬直していた身体がふと温かいものに包まれた
恐る恐る顔を上げると、
見覚えのあるブラウンの髪が上から靡いていた
「え、りこ…?」
「耳塞いでちゃチャイムの音も呼ばれても判らないでしょう」
「はは、ごめん」
「いいわよ、貴方のブルーな気分の時に鉢合わせるのは私の役目みたいなものだもの」
「そうだよね、昔も今も…」
放心して掠れた声で喋ると、
江利子は後ろから覆い被さるように抱きしめてきてくれていて
前に回された手で口を塞がれる
「…?」
「で、今度は何でブルーになってる訳?」
「別に……」
「今まで私に隠し事をして隠し通せた事あった?」
「…なんかね、嫌な予感がするだけだよ」
「予感は予感よ、根拠なんて何処にもありゃしないわ」
何だか江利子らしいや、と
笑うと背後で江利子もふっと微笑んだ気がした
は肩口にある江利子の顔を覗きこんで訊ねる
「江利子はさ、累さん好き?」
「ええ、好きよ」
「即答だね」
「まぁ此れでもいろいろあったもの、私達」
やれやれとため息を吐く江利子がまた可笑しくて、
は小さく笑った
「累さん、浮気性でしょ?もう病気といっていいくらいに。それでも?」
「…そうね、それでもだわ」
「何で?」
「何でって……仕方ないじゃない。理屈じゃないんだもの」
「だって私だって何度か学校の帰りに累さんが知らない女性と歩いているの見かけた事あるよ?」
「累のアレは、貴女の言う通り。病気ね、それもとびっきり性質の悪い」
「やっぱり」
「累は、アレをする時逃げも隠れもしない。堂々とやるわ。何故か判る?」
「隠れないの!?」
「そうよ?私の目の前で平然とメールしたりしてるもの。香水の匂いだってぷんぷんさせて帰ってくるし」
「はぁ〜」
「でも私は累が好きよ、何故か判る?」
判る?と再度問いかけてきた江利子に、
は素直にぶんぶんと首を横に振る
「構って欲しい時の行動なのよ、アレは。それに限度を弁えているから私も許せる範囲なの」
「江利子は、累さん…どうして其処まで人を好きになれたの?」
「何故かしら」
「私が聞いてるんだけど」
「だから理屈じゃないのよ、多分初めて会った時から惹かれていたのよね」
「……運命?」
「運命なんて洒落た言葉で片付ける気はないわ。でも…そうね、必然よ」
「ひつぜん…」
「私は累を好きになって、累は祥子と私どちらかを選ぶ時に私を選んだという…ね」
そう言って江利子は、
私の肩を両腕で抱きしめてきた
「いつの間にかこんなに大きく頼もしくなっちゃったのね、は」
数年前とは大違い、と
江利子は私の成長した背中の感触を楽しんでいるようだった
「ずっと、累には振り回されてきたわ
だから今は私が振り回しているのよ
令へのけしかけのために私を利用するなんて良い根性だと思わない?
2回も私の前から姿を消して、
けれど私が決して自分の事を忘れないように保険だけはかけといて
ずるい人ね
でもやっぱり好きなんだわ
愛してるんだわ
本人や周りが思っている以上に私は累の事を愛している
、欲しい物があったら遠慮せずに手を伸ばしなさい
私は
欲しい物はどんな手を使ってでも手に入れる
其れが例え宇宙に輝く星だとしてもよ
私は手に入れてみせるわ
まぁ別に欲しくないけどね」
いつの間にか江利子の身体はとても小さく軽いものになっていた
いつの間にか私は江利子の身体を超していんだ
「ねぇ、江利子」
「なぁに?」
「きっと累さんも江利子が思っている以上に江利子の事愛してると思うよ」
「ありがと」
人を信じるというのは
きっと物凄く勇気が要る事なんだろうね
人を好きになるというのは
きっと物凄く勇気が要る事なんだろうね
人を愛するというのは
きっと物凄く勇気が要る事なんだろうね
でも私の周りに居る人々は、互いを何の偽りも無く愛し合って信じ合っている
けれどさ、最初から皆が愛し合って信じ合っていた訳じゃないんだろうね
相手がどんなに素っ気無くて鬱陶しがられても、
ただ、ただ聖のために何かをしようとしてきた蓉子や
哀しい別れを経験した後に付き合った後輩と平和な日々を送れると思っていた時、
常に、常に傍に居てくれた蓉子に気づいた聖や
何度も裏切られてきても自分の元を去られても、
結局、結局笑顔で戻ってくる累さんを受けれてしまう江利子や
怖くて何かをするのも何かを信じるのも怖くて、
其れでも、其れでも江利子を愛する事だけは止めなかった累さんや
純粋に好きだったけれどどうすればいいのか判らなくて、
ずっと、ずっと一途に祥子を大事にしてきた令や
踏ん切りの付かない不器用な令相手に苛々する事もしばしば、
けれども、けれどもやっぱりどうしようもなく令が好きで傍に居る事を選んだ祥子や
……皆、皆
誰かに支えてもらわないと生きていけない
でも、
其れと逆に誰かを愛さないと生きていけない
それは
とっても
人間だけにしかない弱さだけど
それでも
素敵だと思わない?――――――――――――
next...