「あら、聖」
「…やぁ、江利子」
ビスケット扉を開くと、其処は白薔薇の世界だった
元々日本人離れした聖が自分の世界に入ってしまうとその光景は絵になる
窓淵に腰掛けて読書をしていた聖が本から顔を上げて私の顔を見る
そして弱々しく微笑んで手元に置いてあった珈琲を一口飲んだ
私は聖しか居ないのを確認して内心舌打ちをしたい気分だった
聖と2人きりだといろいろ都合が悪い
このまま何も無かった事にして帰ってしまおうかしら、とも思ったくらい
けれどテーブルの上には蓉子からの書置きがあって目を通すと、どうやら私宛てらしい
令と由乃ちゃんは病院に行くから今日は来ないらしい
祐巳ちゃんと祥子は其々クラスの用事があるため不在
そして志摩子は委員会
自分は提出しないといけない書類があるから職員室に向かってる、と
そういう書置きだった
其れだけだったらとんずらする事も出来たのだけれど、
最後に一文付け加えられている
『私が帰って来るまでにこの書類片付けておいて』
…其処で聖に頼まない所が憎たらしい
全く
脇に置かれている数枚の書類を手に、
ため息を吐きながら席に着く
聖は微塵も手伝うなんて気はないようで一向に此方へと注意を向けない
何を読んでいるのかと手元を覗き込んでみると、どうやら洋書のようだ
英語は苦手ではないけれどあえて進んで読みたいとは思わないから興味を逸らして仕事を始めたのが間違いだったのかもしれない
黙々とシャープペンが動く音が薔薇の館に響いた
30分程した頃蓉子が帰ってきて、
聖はようやく顔を上げて蓉子と私に紅茶を淹れてくれた
私も一休みしてペンを卓上に置き、背伸びをする
聖が流しで紅茶を淹れてくれている間、
机の上に置きっぱなしになっていた聖の本に目を止めた蓉子が其れを何の気もなしにパラパラと捲り始めたのだ
「面白いの?此れ」
「うん、まぁそこそこ」
蓉子の前に紅茶を差し出しながら蓉子の問いに聖が答えた
ふぅん、とだけ返して蓉子は其の洋書の最後のページを開く
「こんなの借りるの貴方だけじゃないの?」
「そうでもないみたいだよ、抜けている巻あったし」
「…あ、本当だわ」
そう言って蓉子は図書カードを抜き出して眺めだした
蓉子の隣に腰掛けた聖は興味が無いようで自分用に淹れなおした珈琲を飲んでいる
私も身を乗り出して図書カードを眺めていると、
自分の心臓がとんでもなく高鳴り始めた
蓉子の手から其れを奪うと急いで元の場所、洋書の最後尾へと戻す
若干驚いている蓉子が訝しげに眉を顰めると、
私は只方を竦めて「何でもないわ」と告げる
聖はどうやら其のやり取りを見ていなかったようで
目の前に出された本に気づくと其れを鞄の中へ仕舞った
迂闊だったわ
は小さい頃英国で暮らしていた頃があると聞いていた
だったから彼女が図書室の洋書を借りていてもおかしくはない
蓉子はの事は知らない
だから気づくとかそんな事はなかったけれど、
聖がもし何気に其のカードを見たら直ぐに気づくであろう
は言った
『聖には絶対に知られたくない、絶対に』
窓から見える月を眺めながら言う彼女のうなじは、愛し合った証でいっぱいだった
否、愛し合った、ではない
私が一方的に愛した証し
月明かりが照らす彼女の横顔はとても綺麗だった
ふと寝室の向こう側から泣き声が聞こえてきて、
は毛布を被って泣き声がする部屋へと消えた
残された私は独り
彼女の頭を、心を、全てを占めている親友を思い浮かべていた
ずるい人
何処までも…
ずるくて滑稽な人
ねぇ、聖
貴方
自分の犯した罪の重さを判ってる?――――――――――
「そういう訳だから、宜しくね」
ぽかんと口を開けて呆けている彼女に、
私は念を押してから背を向ける
すると図書委員の生徒は慌てて私を呼び止めてきた
「あのっ、黄薔薇様…意味が良くわからないのですが…」
「……だから、聖…白薔薇様が借りる本からは図書カードを抜き出しておいてと言ってるの」
「はあ…」
「いい?絶対よ、他の図書委員の子達にも伝えておいてね」
彼女の手の中には数枚の図書カードが握られている
其れはたった今私が渡したもので、
洋書のコーナーでの名前が書かれている図書カードだ
の名前が書かれているもの、
そしてが読みそうなもの全てを抜き出して渡したのだ
聖が読み終えるまで絶対に戻さないように、と
「で、でもどうして…?」
「…ごめんなさいね、お手数お掛けするわ。お願い」
「はっ、はいっ」
上級生に脅された哀れな1年生の委員
きっと同じ委員会の上級生に怒られてしまうのだろう
其れも踏まえて私は最後に一言付け加えた
「もし怒られでもしたら黄薔薇様からの命だと伝えなさい」
未だに呆けている下級生を置いて私は図書室を後にした
薔薇の館からの帰り道に寄った図書室の出口には蓉子が鞄とコートを抱えて待ち伏せていた
私は蓉子を一瞥して、
裏口への道を歩き出す
後ろから蓉子が追いかけてくる足跡が聞こえた
「江利子、ちょっと待ちなさいよ」
「…何?」
「薔薇の館での事といい、今といい…貴女何を企んでいるの?」
「企んでいるって、人聞きの悪い」
微笑を浮かべながら私が言うと、
蓉子は私の隣に並んで歩幅を合わせて歩き始める
其の親友の足を止めるために私は立ち止まり、蓉子に向き直った
「とにかく、この件は貴女には関係の無い事なの。だから首を突っ込まないで」
「江利子…其れは聖には関係のある事なの?」
「……さぁ?」
「…」
「私、人を待たせているから。じゃあね、ごきげんよう」
肩を竦めて首を傾げる私に何も言わないのを良しとして、
私は蓉子の肩を軽く叩いてから裏門へと向かった
其処の近くの木の下ではいつもがスケッチをしている
其の場所は私達の待ち合わせ場所
は私に気づくとスケッチ道具を片付け始め、
そして鞄を手に立ち上がると私に微笑みかけてくれる
私も微笑み返すとは私のずっと後ろの方に居る蓉子に気づいたらしく
小さく一礼した
一緒に振り返って蓉子に手を振るとの手を握り、学校を出る
「図書室に何の用があったの?」
「…ちょっと貴女が読んでいる本を読んでみたくなって」
「江利子には難しいんじゃないかな」
「……"でも聖なら大丈夫だと思うけど"?」
何処か不機嫌な様子が出ていたのだろうか
は目を丸くして私の顔を凝視してきた
けれど私は彼女と目を合わせる事が出来ず、其のまま前を向いて歩き続ける
「…そうだね、聖ならきっと読めるわね」
は小さな小さな声で其れだけ言って、
そして私の手を強く握り返してきた
何で
どうして
貴女はいつも聖の事ばかり…
聖は?
聖はの事ばかり考えてるの?
もし違うなら
不平等じゃない
だったら、
貴女は私の事を考えてくれてもいいんじゃないの?
夕日を背に、
帰り道
私はに祈りを捧げてキスをした―――――――――
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