「江利子」
「…あら、聖。ごきげんよう」
朝、登校する中にあるマリア像の前で見つけた背中に声を掛けると
彼女は気味の悪い程の笑みを浮かべて振り返ってきた
そして昨日何も無かったかのようにお決まりの挨拶までしてくる
けれど私は至って真面目な顔で江利子を見つめた
「江利子、言っておくけど」
「言っておくけど、には近寄らせないわよ」
「…」
覚悟を決めて切り出そうとした話を江利子によって遮られてしまう
苦虫を噛み潰した顔でちらりと江利子から目を外すと、
ため息を吐いてからもう一度其の目を見返した
「言っておくけど、との事に干渉させないよ」
「……宣戦布告って訳?」
「そんな所かな」
「いいじゃない、やってもらおうじゃないの。でも此方に分があるのは判ってるわよね?」
「…ま、確かに。は誰が見ても江利子側に付いてるし」
「判ってて挑もうというのなら受けてたつわよ」
「……お手柔らかに」
ニヤリと笑い返してから踵を返して校舎への道を進みだす
けれど其の時私は確かに聞いた
背後で江利子が呟く其の一言を
「誰が手柔らかにしてやるかってのよ」
聞こえなかったふりをして朝の空を見上げる
嗚呼、マリアよ
貴女はいつも厳しい試練をお与えになられる
試練は乗り越えられる者にだけ与えられると人は言うけれど
其れは違うな
乗り越えられなくて潰れている人も沢山居るんだよ、この世の中には
でも、絶対に
私は意地でも潰れてなんかやらない
乗り越える所か其の壁をぶっ壊して進んで行ってやるよ
江利子に宣戦布告
そしてマリア様に宣戦布告、見てな――――――
「喧嘩売ったはいいけれど実際全然見込みが無いという訳?」
「………」
「馬っ鹿じゃない」
「……蓉子ちゃんキツイ」
しくしくと涙を流しながら机にうつ伏せている傷心者な私を蓉子の鋭い一言が突き刺す
確かにかなりの痛みを覚えた胸を押さえながら拗ねた口調になると蓉子は冷たい視線を送ってきた
「馬っ鹿じゃない?」
「…二段攻撃とはなかなかやるよのぅ、お主も」
「むしろ大馬鹿?」
「………もう立ち直れないかも」
苛ついている様子の蓉子は持っていたお箸を弁当箱の上に置くと、
私の額に人差し指を当ててきた
「いい?江利子にそんな事しなければ少しはさんに会える確立があったのよ?」
「……」
「其れをわざわざ相手の警戒心を煽るような真似して、貴方は自分の壁を更に大きく塗り加えただけなの」
「…でも」
「ま、江利子も馬鹿じゃないんだからそんな事されなくても警戒しまくっていたでしょうけれど」
「……」
「此処は貴方の根性と江利子の根性、そしてさんの判断に任せるしかないという所よ」
「…うん」
頼もしいなぁ、なんて
言い聞かせるように喋る蓉子をうっとりと眺めていた私
ねぇ、もしかしてさ
もしかして…私は
と江利子の事は忘れて……
蓉子と付き合った方が幸せになれるのかなぁ
そして自分の思考の内容に気づいた私はハッと口を押さえた
なんて事を
今、私は
皆
皆にとても失礼な事を考えてしまった
江利子にも
蓉子にも
にも
とても失礼な事を…
「どうしたの?」
突然蒼白な顔つきになった私を覗き込んできた蓉子から顔を背けて、
震える自分の手を空いてる手で押さえる
そして無理やりにでも笑って首を横に振った
「何でも、ないよ」
「…そう?」
「うん」
「………」
本当に、私は一体どうしたというのだろう…―――――――――
「さん」
「うん?」
昨日、白薔薇様と黄薔薇様の会話に驚いたのは私だけでは無い筈
けれど
紅薔薇様に言われて帰された帰り道、
誰も一言も交わす事は無かった
あんなに優しくて頼りになる白薔薇様がそんな事をするなんて信じられない
だって、私が知ってる白薔薇様はいつも素敵な方だった
だから私は勇気を振り絞って翌日、
同じクラスのさんに話しかけてみた
いつもと同じように爽やかな笑みを浮かべたさんを見ると、
言葉に詰まってしまう
だって信じられないんだもの
白薔薇様がそんな事をするのと同じで、
さんがそんな事をしていたというのも信じられない
「祐巳さん?どうしたの?」
「…あのね」
「うん」
一生懸命言葉を紡ぎだそうとしている私の前で、
さんはニッコリと微笑んだまま待っていてくれた
何だか其の図は
言葉が見つからなくてしどろもになってる幼子に対する態度みたいで
すっかり私は尋ねたい事を忘れてしまって、思わず口にしてしまった
「さんてお母さんみたいだね…」
「……え?」
「あっ、あの老けてるとかそういう意味じゃなくてね。世の中のお母さん独特の雰囲気というか…」
「ああ…私、今小さい子供と暮らしているからそう感じるのかな?」
「そうなんだ!幾つぐらいなの!?」
「2歳くらいよ」
「うわぁっ、可愛いだろうなぁ〜…っ」
「ええ」
そう頷いて微笑むさんは何処か誇らしげだった
「えぇと、親戚の子?」
「…血は繋がっているわ」
「へぇ…今度会わせてね!」
「それは、無理よ」
「え!?」
「とても人見知りをする子だから」
「あぁ、そうなんだ…」
「ごめんね?」
「ううん!」
そんな感じで話に華を咲かせていたせいで、
私は本当に頭の中から白薔薇様との事を忘れていた
けれど微妙な沈黙が続いた時にやっと其の記憶は這い出てきてくれて
気まずそうに咳をひとつしてから
相変わらず微笑んでいるさんに向き直る
「あのね」
「うん」
「さんは…薔薇様方と親しいの?」
「……え?」
「紅薔薇様の水野蓉子さま、黄薔薇様の鳥居江利子さま、白薔薇様の佐藤聖さま、のお三方と」
「…紅薔薇様はそうでもないけれど、黄薔薇様とは親しくさせて頂いてる方だと思うけれど」
其のさんの言葉に教室中が騒然となった
そりゃいち生徒が憧れの薔薇様と親しいなんて、
平和ぼけしている学園では十分大きな話題となるから
けれど私は驚く暇も無かった
どうして、今…
さんの其の言葉には違和感がある
「白薔薇様は?」
「…いいえ、全く知らないわ」
「……でも、黄薔薇様とはお付き合いされているんでしょう?」
「……」
「だったら親友である紅薔薇様と白薔薇様と面識が無いのは有り得ないと思うの」
「…其れ、黄薔薇様がそう言ったの?」
「……うん」
「…そう」
其れっきりさんは黙り込んでしまった
眉間に皺を寄せて
何か考えているようで
私は会話の続きを催促するなんて事出来なかった
普段の私らしくなく、
思わず突っ込んでいろいろと聞いてしまったけれど
さんは深く干渉されても柳の如く交わす術を手に入れているようで
私なんかじゃとても太刀打ちできる相手ではなかった…――――――――
「江利子」
「…なぁに?」
昼休みにぬけぬけしゃあしゃあと何も無かったかのように笑顔で昼食の誘いに来た江利子に、
一瞥くれてやると教室中から集まる視線を背後に感じながらとりあえず江利子の後ろについていった
そして辿り着いた屋上で2人きりなのを確認してから、
私は江利子の腕を引いて真剣な顔を向ける
すると江利子は小首を傾げて可愛らしく返事をした
其れがまた私の怒りを買う事など判っててやっているから性質が悪い
「何で今まで隠し通せていたものが突然明らかになったのかがわかったわ」
「隠し通す…聖から隠れるって事?」
「そうよ」
「わかったの?」
「ええ、貴女が自分で情報を提供したのね。守るとか言っておきながら」
「……」
江利子の腕を掴む手に力を込めると、
痛かったのか少し顔を顰めてから江利子はふうっとため息を吐いた
そして自分の手を私の手に添えて、腕から離れさせて
私の両頬を両手で掴んで額を額にくっ付ける
「…何?」
「私は、貴女を裏切らないと何度も言ってるわよね?」
「……」
「なのにまたそうやって信じられないと言葉を放つのね」
「……」
「其れが私をどれだけ傷つけているか判ってる?」
「…判ってる」
「……ねぇ、」
「判ってるけど!どうにもならないじゃない!!私はっ…」
「"何度も裏切られてきたから"?」
「江利子だけは私を裏切らないという根拠は何処にもないわよ」
目が涙で滲んできた
零れ落ちそうだけれど、零れ落ちない其の滴を見て江利子はそっと目を閉じた
まるで祈っているかのように
まるで懇願でもしているかのように
「…ひとつだけ教えて。貴女は私と付き合いだして、少しでも私への気持ちに変化は起きた?」
「……起きた、と言っても信じてくれないでしょうね」
「信じるわよ」
「え?」
「其れを信じなきゃ、私は何を支えに貴女を愛し続ける事が出来るというの」
其の言葉に私は息を呑む
当たり前の事だった
何も見返りを求めないで人を愛する事なんて出来る筈がない
少しでも、少しでも支えが無いと其の愛なんて消え失せる
其れは誰よりも私が知っている事ではないか
「もう1つだけ教えて。聖、ともう一度向き合いたいと思ってる?」
「…ふっ、…えりこ……わたしは……っ…」
とうとう涙は頬を伝い落ちてしまった
言葉が上手く出てこない
だって、私は江利子の事は当の昔に大好きになっていたから
裏切ってはいけないとか
気持ちを無駄にしてはいけないとか
そんな面倒くさい理由は後だ
好きなんだもの
あの日
聖に傷つけられて、
絶望の中走り抜けていったとき
江利子は私を追いかけて何も言わずに抱きしめてくれたじゃない
『っ…私に、私にしなさいよ』
何処か恐る恐るで、
けれど絶対的な自信も備えていて
江利子らしい台詞だと思った
其の時の江利子の力強い抱擁、忘れる事なんか出来ない
でも私は江利子に真正面から100%向き合う事が出来ない
何故?
そんなの判りきった事
聖の事が私の心で蠢いているから
江利子も其れを判っているから私を力ずくで物にしようとはしてこない
其の優しさが
嬉しくて、
とても痛いのよ……
いっその事力ずくで物にしてくれちゃえば諦めもつくのに……
私達は不器用で
不安定な船で広大な海を航海していく、
とてもちっぽけな存在ね
早く、大人になりたいよ
ねぇ、楓
貴女はこんな私を見て軽蔑するかしら?――――――――
next...