記憶が段々薄くなっていく


数年前のことが思い出せない
そして数日前の事も思い出せなくなってく
その間隔は少しずつ短くなっていく…


確実に過去が私の中から消えている






顔が思い出せない

目の前にいるのは、誰だっけ……





?」


「………」







頭に手が置かれる
上手く思考が巡らない頭をそっと撫でられた

誰?


、大丈夫?」



優しく、微笑んでこっちを見ている人

…思い出した


「うん、ごめん、静」
















「ねぇ、祥子、令、由乃ちゃん」
私はどうしても気になっている事があった
テーブルを囲んで元気がない三人に声をかける

「「「はい?」」」

って子、どんな子だったの?」
三人はあの子を犬と例えた
けれど昨日薔薇の館に来たあの子は犬とは全然かけ離れていた

まるで周りを警戒している小さな子猫みたいな、子だった



黙る三人に、視線を投げかける
やっぱりあの子は変わったらしい
三人が会っていた頃とは随分違うと、その表情が物語っていた



「私はほとんど生まれた時から一緒で、辛い時や悲しい時いつも側にいてくれました」
祥子が力なく微笑んでそう言う
「私は由乃のことでへこんでいた時いつも一括してくれてましたよ、年下なのに」
困ったように笑いながら令が続けた
「入院が長引いて暇な時はいつもこっそり外に連れ出してくれて、心配しながらも私の我侭に付き合ってくれる子でした」

少しばかり涙目で苦虫を噛み潰したような顔をしてそう呟く由乃ちゃん




「由乃さん…」
祐巳ちゃんが心配そうに声をかける
志摩子も心配そうだ



全て過去形




そう今は違うんだ
三人の思い出の中にいた とは








「聖、どうかしたの?」
「珍しいわね、そこまで他人に気をかけるなんて」

紅茶を飲みながらそう言ってくる親友達に、私は苦笑する


「そんな事言って二人だって気になってるくせに」







「……祐巳」

「え?あっ、はい!」

不意に呼びかけられて慌ててる

「放課後にを連れてきて頂戴、同じクラスでしょう」
「えっ!?でも…っ」


あ〜あ、そんな事突然言われても祐巳ちゃん困るだけだよ、祥子
まぁまだ”お姉さま”で言えばピッカピッカ1年生だしね

志摩子でも無理だったんだから自分でも無理だろう、とか考えてるな
多分祐巳ちゃんだったら大丈夫だと思うけど…

わからないけどね





「祥子、私が呼びに行くから」


「え?白薔薇様が!?」
「うん、ちょっと用があるし」
祐巳ちゃんにニッコリと微笑んで、蓉子達に視線をやった

「面白い、噂聞いたんだ」



「…そう、わかったわ」
それだけ言うと蓉子達は黙る

私も黙る




放課後起こる事を予想して

















ふとこちらを振り向く背中を見つめる
歓声が巻き起こっている桃組の中で、彼女の周りだけが何故かとても冷たく感じた

まるで、1年前の私みたい

少し苦笑してこちらを振り向いたに手招きをする





何を企んでいるのかと窺うような目つきで近寄ってくる彼女を廊下に誘った





「何ですか」


「ん〜、に会いたくて」



「寝言は寝て言え」




ふふっ
思わず笑ってしまう

私に対してこんな口聞けるのは親友達とこの子ぐらいだろうな




「まぁ、そんなカリカリしないでよ。喧嘩売りに来たんじゃないし」

「別にしてないよ。で、何の用ですか」



私は彼女の耳に口を近づけた
そして囁く




「2年の蟹名 静嬢と親しい仲ってホント?」





そう、教室でたまたま聞こえた話題
クラスメートが一緒に帰る処を見たらしい

静とはいろいろあったから覚えている
見知った名前が出たことでそちらに耳を傾けたらの名前も出た訳だ



「……」

「あれ、黙秘?まぁいいけど」


軽口を叩いてみたはいいけど、さて、これは困ったぞ
話題がない…

こんな詰め寄っておいていきなり薔薇の館に誘っても断られること必須だ



「いえ、誰ですか?それ」


キョトンとした顔をして聞き返してくる少女
やっぱり綺麗な顔をしている
肌も日本人離れした白さだ

人の事言えないけどね



「え?だから2年の静だよ。合唱部で有名じゃない」




…そういえば静って何組だろう

そんな事を考えながら思い当たる記憶を説明してみた




でも





本当に知らないらしい










「いや、知らない。って言うか転校したての私が知る訳ないし」





……あ、そう



そうだったの





あはは。







やばい、苦笑いしか出てこない










「まぁ、それはともかくさ。放課後…」


「行かない」




「まだ何も言ってないんだけど」


言いかけの言葉を遮って断られる
その目は鋭い眼光を放っていた

この子、蓉子並に勘鋭いね



「昨日言った通り私は山百合会とやらと親しくするつもりないんで」






それじゃ、と踵を返して背を向ける彼女の背中をただ見ているしかできなかった





!」


背後でその背中に声をかけられた
ふとそちらを見ると、令が立っていた

少し緊張しているのか、振り向いたに遠慮がちに告げる




「今日さ、剣道部の練習があるんだけど見に来ない?」


「……行く」



「そう」



安堵の表情を見せて微笑む令は、何処か嬉しそうだった
私は返事に応えたと、令を驚きの目で見張る


断ると思ったのに




「あ、聖さま。は私の家の道場でよく一緒に稽古してたんですよ」

令がの肩に手をやりながらそう言った
その一瞬、彼女の顔が強張るのがわかる

昨日もそうだった
祥子の手から身体を避けていた

朝礼の時は嬉しそうに自分から抱きついてたのに、
人からの触れ合いは逃れていた






「ふぅん、じゃあ放課後は令に取られちゃったね」
祥子に怒られるよ?と令を脅してみる
「嫌がっている人間を無理やり連れてきても祥子は喜ばないでしょう」

少し困ったように笑いながらそう断言された
それもそうだ



「でも由乃ちゃんには罵られることは間違いないよ」

「…ですよね」



ガックリとうな垂れる令を見て、が1つため息をついた

「わかったよ、そっちにも行くから」




よし、引っかかった
令を餌に釣れば引っかかると思ったんだ


多分根はすごく優しい子だと思うから














何故だろう
昨日から頻繁に人が話しかけてくる
知らない人にも声をかけられる

正直言って知らない人と何を喋ればいいのかわからない
でも、話題はいつも向こうが提供してくるからそれに適当に応えてればいいんだ


廊下を歩いていても、昼休み声をかけたそうな人達を避けてミルクホールへ向かう時も、
知らない上級生に声をかけられる

ごきげんよう、さん、と




ふっ、ごきげんよう…、笑える





ここに居る人達は卒業して社会に出てもごきげんようとか言うのかなって思ったら笑えた
そう言われた人間は困ると思うから



、ちょっと1本相手してくれない?」

そう言われてそっちを向く
剣道の装備をした令ちゃんが面の防具を外しながらこっちにやってきた
ふと、横にあったタオルを令ちゃんに投げてよこす
それを受け取りながらありがとうと、顔の汗をふき始めた令ちゃんに聞き返す

「1本?誰と」

「私と」

「今?」

「そう、今」

「…負けるに決まってんじゃん」


そう言うと、令ちゃんは笑いながら竹刀を私に渡した
懐かしい感触と重さだ

数年前、少し面白そうだから令ちゃんの隣で見よう見まねをしてたら、
令ちゃんのお父さんに声をかけられて本格的に教えて貰うことになったんだ


「大丈夫、は私よりも強いからさ」

「いつの話、それ。ずっとやってないんだから勘だって忘れてるよ」

物色するように渡された竹刀を軽く振っていたら少し身体が疼いた
懐かしい、やりたい、とでも言うように、
頭とは別に身体がそれを求めている


仕方ない、と上履きを脱いで畳の上に上がった

他の部員達が不思議そうに私を見る
そりゃ、部員でもない私が竹刀を片手にやって来たらね



、防具は」

「要らない、邪魔」

「でも怪我したらどうするの」

予備の防具を持ってやって来た令ちゃんに私は肩を回しながら言う
だって動き辛いし、重いんだもん
昔だって防具を着たくないから道場同士の練習試合だって避けてたくらいだし




「大丈夫だって、令ちゃんも本気でかかって来て大丈夫だから」




そう言って、構えをとる
周りで稽古をしていた部員達はそろそろと離れて正座をした

私と剣道部のエースを見学するつもりらしい
いいのかな、中断しちゃって

と思ったら部長らしき人も一緒に正座しやがった
好奇の目に晒されることになる


やり辛い…



令ちゃんは苦笑をしながら防具をかぶり直して私の前に立つ

「久しぶりだね、とこうして向き合うの」
「うん」
「あの頃、私の相手になったのはだけだったよ」
「そうだね」
が居なくなった後私困ったんだよ、知ってる?」
「練習相手居なくて?」
「そう」

「ふふっ」


そんな雑談を交わして、お互い微笑むと、
真剣な顔つきになった


そして、部長による掛け声で始まった


十分な気合で向かってくる令ちゃんを寸の所でかわす
間合いを取りながらかわし続けていると、


段々目が慣れてきた



令ちゃんの動きがスローに見える
そんな事言っても稽古してた他の部員達に比べたら随分早いんだけど

身体が感覚を取り戻す


喜びに震える



武者震いってやつかな



私は一瞬の隙を見つけて、突っ込んだ



「そこまで!」





気がついたら私の竹刀は令ちゃんの胴を突いていた
ざわめきが起こる

まさか負けるなんて思わなかったんだろう


当の令ちゃんは息を切らしながら、防具を脱ぐ



「やっぱりは凄い」


「…令ちゃんも強くなってるよ」


少し悔しそうに俯いた令ちゃんに声をかけた


ところで、さっきから部員達とは違うところから視線を感じるんだけど


………………


私は竹刀を肩に担いだまま、入り口のドアのところまで行った




そして思いっきり開ける




「…何してんの」
「お姉さま!?皆揃って何してるんですか!」

令ちゃんが隣に駆け寄ってきてドアの外に叫ぶ
そりゃ驚くだろう、令ちゃんを除く山百合会が揃ってたんだから

部室の中から歓声が沸き起こる


「ごきげんよう、ちゃん、令」
「いやぁ、凄い試合だったねぇ」
「聖に聞いたのよ、面白いことになるかもって」
「貴方、剣道もできたのね」
「昔から運動神経だけは良かったからねぇ、
さん、カッコよかったわ」
「本当、息をするのも忘れて見惚れちゃいましたよ!」

どう見ても明らかにわかる、それは志摩子さんとやらと祐巳さんの腕は由乃に抱えられていた
無理やり連れて来られたんだろうな

水野蓉子
佐藤聖
鳥居江利子
祥子姉ちゃん
由乃
藤堂志摩子
福沢祐巳


勢揃い



クラスメート達が言うには学園の憧れの的、のあんた達がこんな所で何してんだ
と冷ややかな目線を投げつけてみた

まぁ経由の行き先は佐藤聖だろうけど…



「それにしても凄かったわよ。ちゃん、剣道部へ入れば?」
「そうだよ、大歓迎だよ!」
江利子の言葉に令ちゃんが嬉しそうに言った
私は竹刀を壁に立てかけて、令ちゃんを見る

「悪いけど、もう一度剣道やるつもりは無いから」



落胆の表情をする令ちゃんを見て、私は苦笑いをした



「今だけだから、強いのは」




「……え?どういう事?」

意味がわからないという顔をして聞き返してくる由乃の脇をすり抜ける



「そのうち勘とか全部忘れちゃうから」



そう言い残してその場を離れた





そう、忘れるから







全部







全てを忘れてしまうから
















人は変わるんだよ、皆
私もその一例だから












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