私はふと思い当たって、聖に尋ねた
「聖、あの噂って…」
聖は竹刀を弄りながらこっちを見る
私は祥子や令達に聞こえないように、耳打ちした
「聞いたんでしょう?に」
「…うん」
「どうだったの?」
立ち上がって頭を掻きながら、
「知らないみたいだったよ、嘘ついている目じゃなかったもん」
とため息をついた
「…聞いてみない?」
「だからあれは本当に知らない顔だったって」
「そうじゃなくて、静さんによ」
「え」
驚愕する聖に私は真剣に言う
「いいわね、行ってみましょう」
隣で黙って聞いていた江利子も同意した
私達は剣道部の部員達に囲まれている妹達に声をかけて、
その場をあとにする
放課後、丁度部活の時間帯は、
音楽室からも話し声が聞こえてきた
邪魔をしないようにゆっくりとドアを開けて目的の人物を探す
「邪魔をしてごめんなさいね、私達静さんに用があるのよ」
驚いて、もしくは顔を赤らめる生徒達にニッコリと微笑みながらそう言うと、
その目的の人物が私達の前に歩み寄ってきた
「久しぶり、静」
「久しぶりです、白薔薇様」
「静さん、ちょっといいかしら?」
優雅な笑みを浮かべて聖にそう応える静さんを、もう人気のない廊下に誘い出す
何も言わずに音楽室のドアを閉める彼女に、江利子が口を開いた
「私達の目的、わかるわよね?」
勘の鋭い子だったから
「ええ」
それだけ言うと、窓の外に目をやる
「なら話は早いわ。 と知り合いなの?」
私はその横顔に声をかけた
そんな直球な、と呆れる聖は置いといて、
その答えを待つ
「…はい」
「えぇっ!?でも向こうは知らないみたいだったけど…」
そう言う聖に、静は名の通り静かに向き合った
そして、この一言が私達とあの子の関係をおおいに深くさせるものとなった
「は覚えていないんです、数日前の出来事も、1時間前の出来事も、1秒前の出来事も」
眉を顰めて聖と江利子と顔を見合わせる様子を見て、彼女は悲しそうに微笑んだ
「いえ、正確には少しずつ全てを忘れていく病気なんです」
「…少しずつ全てを忘れていく病気……?」
江利子の呟きに静は頷く
そういう事ね
だからあの子はあんな事を言うんだわ
人は変わるから、とか
私達と仲良くするつもりはないから、とか
自分と他人の間に壁を作ろうとしている
「私とは、7年前に病院で知り合ったんです」
ゆっくりと、思い出すように語り始める静に私達は黙って耳を傾けた
「熱を出して入院してたら、隣の病室から大きな泣き声がして…。
夜中もずっと泣き続けているから気になって看護婦さんに聞いたんです。
どうしてあんなに悲痛的な泣き方をしてるの、って。
そしたら看護婦さんは独りになっちゃった小さな子が入院しているって教えてくれて…。
私、どうしても気になって熱が引いて身体が楽になった頃にその病室に行ったら…、
そこに居たのがだったんです。
ただ泣いて、泣いて、宙に必死に何かを求めるように伸ばされた両手がとても痛々しくて。
その脇では伯父さんが煩いと怒鳴りつけているだけで。
放っておけなくて夜中に何度もあの子の所に行って泣き止むまでずっと手を握ってあげてた…。
日が経つうちにその泣く回数は少なくなって、
の方から私の病室にやってくるようになり、そして仲良くなったんです。と私は。」
「が…」
悲痛的に泣く
必死に何かを求めて宙をもがく両手
そんな様子が想像できなくて、
たまに見せるあの優しそうな笑みからは到底考えられなかった
「ええ、あの子は両親を亡くしているんです。事故で。その衝撃で周りを拒否してしまい、無意識に自分の記憶が消える病気になってしまった…」
目が、見開かれる
両脇の聖と江利子も信じられないというように静を見つめ続けている
「それでどの家もまだ小さな、泣き続けているあの子を引き取りたがらなくて最終的には父方の兄…を怒鳴っていた伯父さんの家に養ってもらうことになったんです」
「7年前からって事は祥子と令や由乃ちゃんの事は知ってたの?」
聖が訪ねると、静はまた頷いた
そしてニッコリと微笑んで私と江利子を見た
「あの三人の事を話しているは何をする時よりもとても嬉しそうで、幸せそうな笑顔でしたから」
静が言うには、退院した後も手紙のやり取りをしたり、
同じ市内に住んでいるとわかってからこっそり会ったりしてたらしい
を引き取った伯父さんはとても冷酷な方で、に暴力などしばしば振るっていたと言う
心の拠り所はその頃近所に暮らしていた二人の女の子だった
それが、令と由乃ちゃん
そして思い出すようによくその口から出てきた言葉は『祥子姉ちゃん』
嬉しそうに、静に祥子の事を喋っていたらしい
「まるで本当の姉みたいに誇らしげに話してましたよ?」
まさか祥子さんだとは思わなかったけど、と
朝礼の時のことを思い出して可笑しそうに笑う
「つまり、はその事故があってから祥子の家と母親同士が親友という繋がりが無くなって祥子の前から消えたんだね?」
「ええ、はすごく会いたがってましたけど」
「じゃあ令と由乃ちゃんは?」
聖と江利子が代わる代わる問いかけた
ふと、今まで微笑んでいた静の顔が急に強張った
「………ある日は目の前で自分に暴力を振るう伯父さんが誰だかわからなくなって、」
強張った顔は段々とても悲しげになっていく
「自分の身を守るために刺したんです、その伯父さんを」
「「「………っ!?」」」
「は暴力を振るわれていたから、というのもあって罪には問われなかったんですけどね」
その日から、令と由乃ちゃんの前にも現れなくなった、と
その頃からだと静は言った
の髪の毛が段々白くなっていったのは
『医者が言うにはストレス性だと思うって。実際こんな例は類まれらしいけど』
ストレス…
あの子の髪が変色したのは両親を亡くして独りになってしまった事から?
全てを少しずつ忘れていくというのも両親を亡くしたという厳しい現実から目を背けるため?
「…………そう、ありがとう、話してくれて」
私は必死の思いで言葉を紡ぎだし、静にお礼を言った
いいえ、と微笑んで音楽室に戻ろうとする彼女の背中を聖も江利子もただ、見つめている
「あ、そうだわ」
そこで一旦動きを止めた静に、また意識は集中した
「あの子には、ナイフ類は見せないでくださいね?包丁やカッター類も」
とにかく切れるものはハサミ以外はNGだと、そう言い残してその扉の向こうへ消える
「参ったね、にそんな過去があるなんて」
聖が髪をかき上げながら私を見た
私はそうね、と苦々しげに答える事しかできなくて、
たった今しがた彼女が言っていた言葉の意味を考える
「それにしてもあの子にナイフは見せるな、ってどういう事かしら」
「刺したんでしょう」
私達は江利子の言葉にギョッとして、本人を見やる
当の本人はシレッとした顔つきで居た
「とにかくああだこうだ言ってても仕方ないでしょう」
私はため息をついて聖の方を見る
「そうね、まずこの事を祥子と令と由乃ちゃんに…」
「言うの!?」
「言わないとあの四人の絆はいつまでも壁が立ち塞がったままよ?」
「…そうだね、そのつもりで静も話してくれたんだろうし」
「早速薔薇の館に行くわよ、皆そこにいると思うわ」
ビスケット型扉を開けると、
居るはずもない人物が居た…
「あ、そうだ、剣道部行った後薔薇の館に顔を出してくれるって言ってたっけ」
…聖、そういう事は早く言いなさいよ
本日何度目かわからないため息をついて眉間に指をやる
ああ、頭が痛い
「どこに行ってらしたんですか?お姉さま方」
祥子が不思議そうに訪ねてきた
祥子の隣では、が我関せずと言う顔で紅茶を飲んでいる
「職員室に寄ってたのよ、用があって」
そう返すと、いつもの定位置に三人で納まった
「あ、の淹れてくれる紅茶が美味しいんですよ」
そう嬉しそうに紅茶を飲みながら令が言ってきた
「あら、そうなの。じゃあ私達にも淹れてくれない?」
「……はい」
余計な事を…と令をジトリと睨む
でも嬉しそうな令はそれに気付いていないらしい
「あ、紅茶切れてる」
それを聞いた聖が、流しに備え付けてある引き出しを指差す
「そこの引き出しに予備が入ってるよ」
…ちょっと待って
そこの引き出しには………
確か、良く令がケーキを作って来てくれるからそれを切るために、
包丁が置いてあるはず
それに気付いたのか、聖も蒼白な顔つきになってく
江利子が阻止するために声をかけようとした時にはもうの手は引き出しを開けていた
「…………………」
その顔が一瞬にて強張る
ガタッ
私は居ても立ってもられなくなり、急いで彼女の身体を引き寄せて両眼に片手をやった
「お姉さま…?」
「紅薔薇様、どうしたんですか?」
妹達が何事かと声をかけてくる
事情を知らない祥子達には私の行動は奇天烈な物に見えたのだろう
聖が慌てて立ち上がり、その開いた引き出しを閉める
「大丈夫?」
「……………痛っ…」
「…え?」
そう呟くとは両手をお腹にあてた
の身体を引き寄せるために脇腹に置いていた手に、何か湿った感触が伝わる
思わずそれを剥がして見ると、
真っ赤なものが薄っすらと手の平を覆っていた
「血っ…!?」
「痛い、痛い、痛い、痛いよ!!!」
突然目の前で身体を屈めて叫ぶを、私は聖と江利子に目をやって伝える
二人はすぐ側までやって来て、
聖がの身体を持ち上げる
世間では所謂お姫様抱っこと言われている抱き方だった
でもその方が都合がいい
「痛い!痛いよぉ、お母さん!!助けて…っ」
いつもの冷静な顔からは想像できない泣き顔
これが、静の言っていた悲痛な泣き声
7年前病室で宙をもがいていたという両手は今、聖の首にがっしり巻かれているが
その両手も離すまいと、必死に掴んでいた
「お母さん何処!?置いていかないで…!!!」
私は江利子と一緒に聖の腕の中のの制服を脱がし始める
は制服の下には黒いスパッツと、タンクトップを着ていた
そしてその布からは血が滴り落ちている
それを明らかに目にした祥子や令達が息を呑むのが聞えた
そこには、無数の切り傷が散らばっていた
幾つかは縫った後があり、それは痛々しく身体に切り刻まれている
その無数の切り傷から、血が滲み出ている
傷口を見るとそれは何年も前についたものだとわかるが
それらから滲み出ているものは真っ赤な血だった…
「何これ…」
江利子が目を見開いてその傷を指先で撫でる
触っても痛みは感じないらしく、は叫ぶように泣きながら聖の肩口に顔を埋めていた
精神的なものだとわかった
「とにかく落ち着かせないと!このままじゃ血が止まらないわよ!!」
そう言って、
立ち尽くしている妹達に気を取り戻すように促す
「貴方達、ハンカチ、布類何でもいいから出して!祐巳ちゃんと志摩子は保健室へ言って応急セットを借りてきて頂戴」
祐巳ちゃんと志摩子が一番最初に行動を起こしてくれた
大きな音を立てて扉から出て行く
それに次いで慌てて祥子が側に寄ってきて自分の真っ白なハンカチを差し出してくれた
それに続くように令も差し出す
それを受け取って、自分のハンカチも含めてそれらでの身体から滴り落ちている血を拭く
「あ゛ぁぁ〜〜〜〜っっ!!!!!」
その泣き声はまるで、小さな子が迷子になってお母さんを捜し求めている時のようだった
聖が「よしよし、泣かないで、大丈夫だから…」との頭をあやす様にポンポンと叩き続ける
それでも泣き止まなく、聖は困り果てた顔を私に向けた
「紅薔薇様、これ…」
その時由乃ちゃんが私の横に立って、
の脇腹を大きく横切っている一番大きな傷を指して言う
「手術の跡ですよ?」
「…7年前のヤツだよ!」
聖がふと、そう叫んだ
祥子、令、由乃ちゃんが顔を上げて聖を見つめている
それもそうだろう
祥子がと会えなくなったのも、
令と由乃ちゃんがと出会ったのも、
その7年前なのだから思い当たる節があったのだろう
「どういう事ですか!?お姉さま、何か知っていらっしゃるんですか?」
令が江利子に詰め寄った
江利子は令の肩を押しやって、自分のハンカチを取り出すと、
私と同じように流れ出ている血を拭き始める
「何なんですか、これはっ…!何かあったんですか?に!!!」
祥子の訴えも、私は聞き入れる余裕がなかった
「後で話すから」とそれだけ言うと真っ赤に染まった自分のハンカチを令に手渡して、祥子のハンカチで拭きだす
「痛っ…」
爪が首に食い込んだらしく、聖がそう呟くのと同時にさっきとは比べ物にならない声では叫びだした
「嫌だ!!置いてかないで……私も連れて行って!お母さん、お父さんっっ!!!」
置いてかないで
私も連れて行って
その言葉は私達の胸に突き刺さる
死にたがっている
独りを怖がっている
そうか、だからこの子は……
こんなにも優しいのだ
『そのうち勘とか全部忘れちゃうから』
next....