「あ、いいよ、私がやるから」

白薔薇様が私の手から布巾を取る
「え!?いいですよ、このくらい私が…」

「いいから。破片も散らばってるし、危ないでしょ」


そう言って白薔薇様はしゃがんで、床に散ったカップの欠片を拾い集めだした






何かが崩れていく…



ついこの間まで平穏だった薔薇の館が





「ごめんなさい、静さん。忠告されたばかりなのに」

紅薔薇様が静さまに申し訳なさそうに微笑む


静さまは、物静かに微笑み返された



「いいえ、いつかぶつかる事だったと思いますし」



今、さんは紅薔薇様の腕の中で眠っている
先程まであんなに泣いて、暴れていたのが嘘のように今は静かに眠っていた
紅薔薇様の、蓉子さまの胸に両腕を回して、その顔はまるで嬉しそうに微笑んでいる


見てて、こっちまで微笑ましくなってくるような寝顔だ

紅薔薇様も、微笑んでいる


白薔薇様も、黄薔薇様も、令さまも、静さまも、由乃さんも、志摩子さんも、優しそうに微笑んでいた




でも、皆その笑みには影があった





それは先程、紅白黄薔薇様達と静さまの口によって紡がれた真実によるもの







目の前で頬を濡らしたまま、それでも愛しい寝顔を見せている彼女の、
暗くて、深くて、
悲しみに覆われた部分


そんなの到底想像できるものじゃなかった






私は、窓淵へ目をやる
そこではただ一人、静かに外を眺めているお姉さまだけ

実際には外なんて見てないんだろうけど





「お姉さま…」
勇気を絞り出して呼びかけてみた



「最後に…、最後に別れた時喧嘩してたのよ。」



「え…」


お姉さまは重たそうに頭をこちらに向けて、そっと微笑む
髪がそれを追いかけるように一房はらりと舞い落ちた


その頬には、さんと同じように一筋の涙が流れていた




「昔から武道とか心得があってね、。喧嘩だけは強かったの」

皆が、ふとお姉さまの方を振り向く



「だからいつも、苛めてくる近所の子達から私を守ってくれたわ」





「祥子…」


「でも、ある日優さんと遊んでいる時におつかいの途中のと会ったのよ」





お姉さまは紅薔薇様に近づき、腕の中のさんの涙を拭った




「そしたら優さんが自己紹介をする間もなく、彼のこと殴り飛ばしちゃったの」


「……ざまぁみろ」
鼻で笑った聖さまの方振り向いたお姉さまが苦笑なされる

相変わらず仲悪いんだなぁ、聖さまと柏木さん



「まだ恋愛感情があった私は、怒ったのよを」


恋愛感情…

小さい頃は柏木さんに憧れを抱いていたのだろう




そんな柏木さんをさんは問答無用で殴っちゃったのだから、
お姉さまが怒るのも仕方ない




「それで、つい大嫌いって言ってしまって…」




そのまま泣きじゃくるさんを置いて帰ってしまったお姉さまは、
それ以来さんと会うことがなかったと、

そういう事だった





「でもね、はわかってたのよ。私が優さんと居ると淋しそうだったって事を」







「祥子」



「私、この子を傷つけてしまったのよ!」







令さまの気遣いにも、お姉さまはただ涙を流してさんを見つめるだけだった







「私もね、由乃の事で頭がいっぱいで、傷だらけのに気付いてやる事ができなかったんだ」

悲しそうにその口から漏れる言葉は震えていた



と由乃が二人で傷だらけで帰って来た時があってね」




「令ちゃん…?」



「二人で公園で遊んでたんだって。それで滑り台から落ちた由乃を庇ってが下敷きになったらしい」



らしいわ」

静さまの言葉に令さまはうん、と微笑みながら頷かれる



「でも私はそんな事耳に入らなくて由乃の事ばかり心配して、そんな私をこの子は黙って見てた」








あの時の目が、忘れられない



そう言ってさんの頭を軽く撫でた







そんなに優しい子が何故、こんな辛い目にあわないといけないの?






「祐巳…?」

「祐巳ちゃん」



私の想いは言葉になって出ていたらしく、皆がこちらを振り向いた





いつの間にか、私の目にも涙が溢れている
今に零れ落ちそうだ




「マリア様は不公平ですよ…っ…」



肩を抱きすくめる
堪えろ、堪えろ、と

でもそれに反するように涙は止まらなくて




そんな弱い自分が嫌になる







「信じてないよ、マリア様なんて」




「「「「「「「「「・・・・・・!」」」」」」」」」」







さんは、そう言って顔を上げた
そっと蓉子さまの上から降りると、白い髪を掻き上げる




「世の中は不公平で、矛盾で成り立ってるのにマリア様や神様が居る訳ないじゃん」






静さまが咎めるような声を発された
でもそんな静さまをさんは一瞥くれてやるだけで、
ふと床にやる




「あ〜あ、またやっちゃった?」






苦笑して、自分の頭を掻き毟った
白薔薇様の前にしゃがんでその手から布巾を取ると、染みになった床を拭き始める





、いいから…」
「自分の後始末くらいやるって」

そう制してその手を休めないさんに白薔薇様は弱々しげに微笑んだ




「参ったな、包丁なんてこの先いくらでも見る機会あるのに」



そう小さく呟くのを私は聞き逃さなかった
紅薔薇様が立ち上がる

何か言いたげだったけど、結局その口から言葉は漏れず、

その様子を見たさんは何か察したらしく、静さんに再び目をやった


「言ったの?全部」


「ええ」



「………そう」








しばらく俯いた後、さんはパッと顔を上げて微笑んだ
そして


「あの日もさ、こんな風に床に染みができてたよ」






自虚的に微笑んでいるようにしか見えなかった







「気付いたら両手が真っ赤で、床には大きな染みがあって…その中で伯父さんが倒れていた」







!!」


聞いていられなかったのか、お姉さまが叫ぶ
さんはゆっくりと、お姉さまを顔を見やるとまた微笑んだ




「何で伯父さん刺しちゃったんだろうね」






自分を刺せば良かったのに


全てが終わったのに




……楽になれたのに









そう呟くさんを、目の前にいた白薔薇様が抱き寄せた


「そんなこと言わないで」

「………」

に会えて嬉しいと思っているんだから、私は」



「……出会っても忘れちゃうんだ」

そろりと身体を離して、立ち上がる





「昨日まで仲の良かった人が次の日には忘れている、誰だかわからないなんて悲しいだけだよ」





「でも、私は側にいるわよ?」

そこで静さまは、さんの肩に手を置かれた
彼女は静さんを見ると、力無く微笑んだ



















「同情は要らない」












その日、私達は儚い愛と夢と、現実に出会った....









next...