古い温室

蔦子さんとやらに教えて貰ったとおりに敷地内を進むと、そこにあった
手入れが届いているのか届いていないのか微妙な小汚い温室だった


ガラスが何枚か割れているドアをゆっくりと押してみる
案の定ギィィッと音を立て、パラパラと埃が落ちながら開かれた



中に居た人陰はハッとこちらを振り向くのが曇った硝子越しに見える
室内の中央にあるのは薔薇か…
まだ蕾のそれの前に緊張した様子で少女が立っていた




そんなに固まらなくてもいいのに

何だか微笑ましくて、少し微笑んでみせた



すると安心でもしたのか、少女も微笑んで少し頭を下げる










「君がこの手紙の主?」


「はい、そうです」


ふぅん、とその手紙を指先で弄ぶ
可愛いといえば可愛いけど…


最近美人を見過ぎたのかな



…あそこは異常だろう



あの面子と合コンでもやると言ったら
高額のお金を払ってまで参加したいという男は腐るほど居るはずだ

……今度やってみようかな





まぁ、最近ちょっと暇だし



ツインテール達には断るとか言ったけど、
…断らないのもアリかも






「で?私と付き合いたいって事?」

「は、はいっ!!」







「……………いいよ」





パァッと表情が明るくなる少女に、作った笑顔を見せてあげた

これでしばらくは退屈しない



……祥子姉ちゃんにバレなきゃいいか

………令ちゃんは別に怖くないからいいけどね


…………あ、でも由乃に知られたらちょっとマズイかも




うん、気をつけよう








「嬉しいっ!さん、私初めて貴方を見たときからずっと気になってて…」

涙をボロボロ溢しながら泣き崩れる少女の身体を出来るだけ触れるか触れないかの距離で抱き寄せる




そういえば名前知らない……

まぁ、いっか
後でさり気無くチェックしとけば














「まさかその子も家に連れ込むつもり?」






「「!?」」


突然の背後からの声に勢い良く離れて振り返った
そこには見慣れた姿があった

いつもとは違うオーラを纏った人



「湊……っ!?」





何でここにっ?
そう出かけた言葉は咽元で押し留まる


その表情は怒りと、悲しみが混雑した微妙なものだった






まさかここまで来てしまう程、
彼女を本気にさせてしまっていた?


そうならない事だけは気をつけてたのに……




私は、その告白してきた少女を置いて入り口から離れた穴から温室を出る
入り口には湊が居たから…
ビニールが破れていた穴から飛び出した

とにかく中庭を全力で走り抜ける




息が切れて、お腹辺りが痛くて、とてもしんどかったけど、
それでも全力でその場を離れた

今見たのは全て幻だったとでもいうように




視界に、見慣れた人々が映る

出来れば今は会いたくない面子だったけどそんなことも言ってられない






「祥子姉ちゃん、令ちゃん、由乃、ツインテール!!その他メンバー!!!!」

突然の叫び声に、それまで微笑んで談笑をしていた全員がこちらを振り返った
私の姿を確認して、薔薇様とやら三人組が不機嫌そうに、自分達の元へ駆け寄って来た私に咎めの言葉を発する

「ちょっと、"その他"はないでしょ。"その他"は」




「そんな事よりっ…はぁ、はぁっ……この辺でどっか隠れられる場所ない!?」



確か白だったと思うけど、まぁとにかく白だ
白が代表してそんな事を言ったが、私は肩で息をしながらそう叫んだ

辺りを見回して、追いつかれてないかどうか確認しながら



その異変にさすがに気付いたのか、由乃が一歩歩み寄ってきた


「どうしたの?かくれんぼでもやってるの?」
少し可笑しそうだ…
クソッ
こっちは一大事なのにっ!


「あ〜、そんな感じ!で?知らない?つぅか知ってるでしょ、教えて!!」



今にもキレそうな剣幕に皆引いている
引かれても困る!今!


早くしないと、あの高校時代は陸上部在籍だったあの人が…っ!!





「待ちなさい、!!」





ゲームオーバー


あ〜あ、役に立たない…

まぁ、普通いきなりそんな事を言われて瞬時に対応できる人なんて少ないだろうけど





「あら…知り合い?」

私の隣に駆け寄ってきた彼女は息ひとつ乱れておらず、それが余計私をイラつかせた
最近煙草吸いすぎたかな

スタミナ落ちてる…





「……祥子姉ちゃん、と令ちゃん、と由乃、と……ツインテール。その他皆さん」

それぞれを指してそう説明を施す
そうでもしないともっと面倒くさいことになり兼ねない


最後に薔薇三人組と志摩子を適当に指してそう言うと、手を叩かれた

痛い…


「だから"その他"は止めなさいって言ってるでしょ」


「……じゃあリリアン最終ボス達」





紅かな
うん、紅だと思う
そう言って鋭い目で睨んでくる

少し怒ったぞ、私は
この機嫌が悪い時に更に煽ったアンタ達が悪い




「あぁ、貴方達が例の…」



「……何、こんな所まで来て」



感嘆する湊に私は向かい直って睨んだ

そういえばここ、マリア像の前だった


丁度薔薇の館で昼食を取ろうと集ったのだろう
メンバー達の手にはそれぞれ弁当らしき包みがかかっている





「一目見たいと思ってね、リリアンとこの人達を」



「そういうの嫌がるって知ってるでしょ?何で来るかなぁ…」


盛大にため息をつくと、湊は微笑んでいたその顔を急に私に向けた
既にその笑みは消えている

いつもは見ないような表情に私は一瞬動揺した


湊はいつも柔らかくて優しい、そんな人だったのに







「仕事帰りに寄ってみたら、貴方また新しい子を手篭めにしようとしているんだものね」


「…別に関係ないじゃん、湊には」




「あの…?この方は部外者だよね?服装見ると…」

お互い睨みを利かせて一触即発という二人に、
勇敢にも令ちゃんが割って入った


「そりゃそうでしょ、どう見てもホステスじゃん」



ジロリと、令ちゃんを横目で見て湊を指して言う
山百合会メンバーが少し驚愕の顔をしてみせた

そうか、リリアンにはホステスなんて言葉は縁が無さそうだもんね







「関係無いって言い切るの?」
会話を続ける湊は、腕を組んで私を見下ろす



「関係ないでしょ」


「……そう、は暇だと誰でも抱くのね」




「「「「「「「「………っ!?」」」」」」」」



全員が息を呑むのが聞こえた


あぁ、もう面倒くさくなっちゃった

どうにでもなれ…




「そうだけど何?」

「……私もその一人で、ただあても無く町を歩いていたら都合良さそうな私に声をかけて抱いただけって事ね」



「…………それで?」




「私はもう飽きたから、あの純粋な気持ちで貴方に想いを打ち明けてきたあの子を抱こう、とそういう事?」





「「あっ…」」
後ろでツインテールと…人形が声を漏らした
きっと休み時間の出来事を思い出したのだろうか



「そう!そうだよ!!分かってんなら何で本気になっちゃうかな」


ヤケクソになってそう叫ぶ
湊の目が何だか潤んでいたのは置いとく

…そんな気にかけてられる状況じゃないんだよ




「軽そうな格好して公園で一人、飲んでたから暇つぶしに声かけてみたら、
案の定乗ってきたからツイてると思って家にも上げたさ。
だけど本気の慰め合いだなんてアンタだって思ってなかっただろう!?」





あぁ〜っ、失敗だった!



そう叫んだ時のこと


頬に鋭い痛みが走った






「「「「祥子ッ!?」」」」
「「祥子さま!?」」
「お姉さまっ」



目の前では息づいて私を睨む祥子姉ちゃん
その目から涙が溢れていた


「……何すんの」

「…っそんな最低な事…言う子じゃなかったわ!」



またそれか


昔の私が今も として存在してると思わないで欲しい




「祥子姉ちゃんの””はね。言わなかったと思うけど」


「どういう意味よ」


「だからそんな幻想をいつまでも私に求めないでくれない?って意味」



!それは言い過ぎだよ」

祥子姉ちゃんを守るように優しく肩を抱きながら、
令ちゃんが凄い剣幕で制してきた



…いつだってそうだよね、令ちゃんは



近くのものに囚われ過ぎて周りが見えない


そう、見えてないんだ
私の事も…






「……鍵」

二人から目を離して、再び湊を見据えると私は片手を差し出した

何事かと目を見張る湊に私はぶっきらぼうにそれだけ呟く


「鍵、返して。私の家の」


「………っ!!」


とうとうその目から涙が零れ落ちた

頬を伝うそれをなるべく見ないように焦点を歪める




「湊の言う通り、あの子に貸すから。湊はもう要らないでしょ」


立ち竦んでる彼女の鞄を一目見やると、
鞄の金具にキーホルダーが繋がれていたのを思い出した

行動を起こさない湊を無視してそのストラップを引き出す


桜色の花びらの形をしたストラップに、自分の家の物だと確認できる鍵が付いていた



それを翳して、笑う

出来るだけ



傷つけるように





もう私に近づいて来ないように







近づきすぎて壊れてしまう事が二度とないように…






「それじゃ、さよなら。湊」






踵を返して、私はその場を離れる

さっきと同じように走りながら


頬を何か温かいものが伝う




あぁ、多分泣いているんだ…





あんな言い方したけど、

湊に救われていた時も少なくなかった

柔らかく抱きしめてくれたあの温もりに縋りついた時もあった



傷つけて、ごめん



でも、近づきすぎると




私に近づきすぎると、皆不幸になるから…













適当に走っていたら、校門が遠くに見えてきた
私は足を止めて空を仰ぐ

風がこの涙を乾かしてくれるような気がした





ふと、耳を澄ますと背後から誰かが走ってくる音が聞こえる

懐かしい、足音だった



確認するようにゆっくりと後ろを振り向く





「……参ったな、一番追いかけてくる筈ないと思ってた由乃が来ちゃったか」


3mくらい離れた所で立ち止まり、肩で息を整える由乃に言った
その表情が何を責めているのか痛いくらいに分かる

そして、しばらくしてから由乃は胸を張った


「…っ……はぁっ………まあねっ」


昔と変わらない仕草に笑みが漏れる
涙は、乾いていた



「手術、受けたんだ」


走れるって事は、
心臓の病気は治ったって事かな

そう思って言ってみた


「そうよ、この間ね」


そう言って自分のお腹の辺りを擦る由乃を見る

……そっか、由乃なら分かってくれるかもしれない



「痛いよね」


「…そうでもなかったわよ」


強がりな所も変わってない

そこを素直に出せばもっと可愛らしい女の子になると思うんだけど


…まぁ、そんなの由乃じゃないけど




無意識に足が由乃の方へ向かい、すぐ近くまで寄ると自分より少し小さな身体に靠れかかった

温かい…
湊さんとは違った温かさが身体を支配する


驚いて言葉も発せない由乃の肩に額を置いた



「そう。私は痛かった」


…?」


「死んだ方がマシってくらい、痛かった…身も心も……」


自分だけ生き残ってしまったという後悔と、
自分のせいで皆死んでしまったという責めの想いが、

同時におきよせて来た、7年前を想い出した





あの時は、静が居たから何とか壊れずに済んだ

その後も由乃と令ちゃんが居たから精神を保っていられた



でも、その必死に守り続けてきた自分は






あの日呆気なく崩れ去った………










やばい




悲しい




苦しい




淋しい







…心細い





一気に今まで堪えてきたものが溢れてくる


首に回された由乃の腕や、
離れないように強く抱き寄せられたその身体が、


とても温かい

居心地が良い





ああ、いつの間にか私は

自分に耐えられなかったんだ…









そう実感した








零れてくる涙越しに、たくさんの人陰が見える




どれも輝いて見える






そこに湊さんは居なかったけど

多分静の所にでも行ったのだろう


あの二人はたまたま私の家で鉢合わせした事があったから、
結構親しい間柄だったし…








皆、微笑んでいる


そうか、少し手を伸ばせば


それに答えてくれる人はたくさん居たんだ……









私はこの日



大事な人を失って


大事な想いを手に入れた




大切なものを手に入れた










固く締め切った心の扉を開ける鍵…









それを持っていたのは私じゃなくて、






目の前に居る人達だった


















next...