初めて会った時には、

きっともう惹かれていた



ふとこちらを見たあの表情が忘れられない

興味なさそうに
面倒くさそうに


それでいて強い眼差しを、忘れられない....














「ごめん、蓉子」




そう呟いたその唇は震えていた
俯いて前髪で隠れているその瞳は濡れているのだろうか

そう思うと堪らなくなって、
その顎に手をかけてこちらを向かせる



色素の薄い瞳は今にも涙が零れ落ちそうな程に
綺麗だった
その拍子にだろうか、一筋頬を涙が伝う

精一杯の作り笑顔を返して、こう返した

「なぜ、謝るの?」



若干居心地悪そうに言葉を詰らせる
でも、何とかして口を開いてくれた





「蓉子をこれ以上悲しませたくない」




だからもう付き合えない、と






彼女はそう言った
私の頭が真っ白になる

ついさっきまであんなに幸せだったのに?
いつものように二人だけの中庭でじゃれてたのに?
なぜ……

こうなってしまったのだろう










「蓉子、どうしたの?」
と何かあった?」

長年の付き合いからか、
鋭く私の変化を察してきた友人達は声をかけてきた
どうやってあの場所からここまで来たのかが思い出せない
いつの間にこの二人が来ていたのかがわからない
いや、最初から居たのだろうか?
……何も考えたくない

あの胸を裂かれたような出来事から数時間が経っていた





「…そういえば今日はいないのね、ちゃん」
江利子の言葉に身体を硬くする
その名前は今の私を動揺させるには十分だった

それに気づいてか、聖が苦笑しながらもう一度訪ねてきた
「喧嘩でもした?」









「…フラれたわ」





ガタッ
ガチャンッ



私の呟きにいつもは見せない驚きを見せた友人達に、苦笑する
両腕を伸ばして背伸びをし、唸っていた聖は思いっきり椅子から落ちそうに、
紅茶を飲んでいた江利子は思わずそれを落としていた

気を紛らわすためかどうかは知らないけど流しに行って布巾を手に取る
それで江利子の前に無残にも撒き散った液体を拭き取った
その茶色い染みはまるで今の私のようだと、そう思ってしまった
もっともっと、と広がろうとする欲に対して、
それを吸い取ろうとするもう一人の自分
そして、その二つをする間もなく拭き取られた想いは



どこにも行き場を失くして彷徨う





「「………え?」」




「だから、フラれたと言っているの」





あまりにも間抜けな顔で聞き返してきた親友に再度告げる
そんな顔をしていると薔薇様としての威厳がなくなるわよ
まぁ、今の私はそれ以上に威厳も何もないだろうけど




が?蓉子を?」



「…そうよ、が私を」







「何で?」



こういう時ストレートな知り合いは望ましくないかもしれない
でも何も関心を持たれないよりマシだ
江利子の関心が向けられるのは彼女が心を開いている人物にだけだから





「さぁ、わからないわ、こっちが聞きたいくらいよ」


ふとある考えに行き着く





「もう嫌いになっちゃったのかもね」

もしくは他に好きな人が出来たとか






「まさか、あんなに好き合ってたじゃない」
私がそう呟くと聖が何とか体勢を整えて言った






「わからないわ、あの子が何を考えているのかなんて」




もうわからない
全てがわからない


わかりたくない…





ああ、きっと1年前の聖はこうだったのかもしれない
全てを委ねて信じてたのにそれを失うと、
もう何も考えられないくらいに、





哀しい








「ごきげんようっ、紅薔薇さまっ!!」

礼儀としてリリアン独特の挨拶だけはして、
やって来てすぐに私を呼ぶ声にふと顔を上げた





「はぁっ、はぁ…、紅薔薇さま、ちゃんが……!」


「とりあえず落ち着いたら?祐巳ちゃん」

「…っ……大丈夫です、あの、ちゃんが…………」




「どうかしたの?」




息を切らして辛そうに話す祐巳ちゃんに聖が声をかける
それでも言葉を紡ぎだそうとするのを見て、江利子が訪ねた
二人に話しかけられたにも関わらず祐巳ちゃんは私を見ているだけ
が?
どうかしたのだろうか…



「『今日からもう薔薇の館には行けない』って」

「あ〜、こりゃ本気だね」


祐巳ちゃんの言葉に聖が大きくため息をついた


ため息をつきたいのは私のほうだってのに





全く










「それが、紅薔薇さまに嫌われたからって!」






………………え?

ちょっと待って、フラれたのは私の方よ?




嫌われたのはこっちじゃないの?



思考が追いつかない





「私が?どうして?あの子を嫌うのよ?」


呆気に取られた表情を隠すこともせずに目を見開いて祐巳ちゃんを見つめた




「蓉子、祐巳ちゃんにそんなこと聞いてもわからないでしょ」







江利子がため息をついて咎める


少しして、それもそうねと納得して祐巳ちゃんにいつもの笑顔を見せる
笑えているのだろうか、少し安心した彼女に気になっていることを聞いた





「…それで、他には何か言ってた?」

「あ、いえ…今、由乃さんが追いかけているんですけど」
「そう」




そういえば、いつだったか前に宣戦布告を自分からかましたは由乃ちゃんをいとも容易く捕まえた

それからして、は由乃ちゃんよりも足は早いという事が証明されたけど


今度はどうだろう





いや、きっと無理だ
由乃ちゃんじゃなくてものあの身体能力に追いつくものはいない
本気を出せば由乃ちゃんを撒くことだってできるのだから





バァンッッ




今度は何事かと半ば諦め気味で扉を見る、と
何とがいた
あのが捕まったということに驚いて先程あった事も忘れて思わず凝視してしまう

……の両腕は僅かに上に上がっていて、
その両脇には二人がガッシリと腕を掴んでに立ってた




あぁ、そういう事




令がいたわね







「お姉さま、捕獲しました」

「ありがと、令」



かなり苦戦したのだろうか、祐巳ちゃんと同様息が上がっていて、
気のせいだろうか身なりも結構ボロボロの令が自分の姉に微笑んで言う

そして姉も令の苦悩ぶりを理解したらしく、微笑んでお礼を返した









「由乃ちゃんもありがとう」

令とは対になっての脇に立っている由乃ちゃんには声をかけない江利子を見てか、


聖もお礼を言った






それに対してかなり機嫌悪そうに頭を一礼するだけの由乃ちゃんが可愛く思えてしまった

相変わらず仲が良いのか悪いのか、黄薔薇ファミリー





「……捕獲って何」




はそんな黄薔薇ファミリー内情などお構い無しにもう逃げられないと観念したのか、

かなりダルそうな口調で令を見上げる


離して、と両腕を振るけれど二人は離さない

そして更に機嫌が悪くなったにどんな顔をすればいいのかがわからない







付き合う前のように振舞えばいい?

嘘ついて強がればいい?

それとも、何故なの、と泣けばいい?




「だっていきなり薔薇の館にはもう行きませんなんて言われたなら何事かと思うでしょ」

「別に私は山百合会でも何でもないじゃん」

「だからって今まで毎日来てた人が来なくなるのは心配じゃない」

「一般の生徒が薔薇の館に来るのを強制される覚えないけどね」


そう言って睨まれた令がちょっと困ったように言い聞かせる

それでも抵抗するに少し怒ったように由乃ちゃんが言った






機嫌の悪い時のには何を言っても無駄だ


それは私がよくわかっている
もちろん山百合会の皆もわかっている



「だって紅薔薇様の恋人じゃない、一緒に居たいとか思わないの?」



を部屋に入れてドアを閉めながら由乃ちゃんがめげずに言った





ふと、身体が固まった

今日はよく動揺する日だ




今まで宙を漂っていた視線を恐る恐るに向けると、
しっかり目が合ってしまった

こちらから目を逸らすなんてことできなくて、

も目を逸らさないでいる




何とも言えない重い空気が部屋を包み込んだ








「もう、恋人じゃない」





だから、山百合会とは何の関わりもないただの一般生徒なんだ、と

そう言った




頭を鉄で殴られたみたいにガンガンする






事の次第が呑み込めずに目をパチクリさせている祐巳ちゃんと令と由乃ちゃん

私の言ったことは本当だったのか、とため息をつく聖と江利子







「じゃあ、もういいよね?行くから」




そう言って出て行こうとした所でまたドアが開いた

そしてその影から出てきた人物にはぶつかった


「本当なの、

ぶつかった鼻を擦りながらは自分より高い顔を見上げる


その顔は明らかに両者とも機嫌悪いという雰囲気を醸し出していた

は少し離れて祥子が部屋に入れるように下がる

祥子の後ろから志摩子も続いて入ってきた

きっと祥子を呼びに行ってたのだろう



「別に、祥子姉ちゃんには関係ない」


「あるわ、大有りなの、紅薔薇様は私のお姉さまなのよ?そしてあなたは大事な幼馴染」






「幼馴染で、それ以上でも以下でもないはずだけど」





祥子の眉を僅かに釣りあがる

の眉間にも皺が寄る




事の成り行きを知らない人からしてみれば、
背後に龍と虎が見えているのであろう

祐巳ちゃんなんてオロオロと両者を見ている





私は、椅子から立ち上がっての腕を取った







「ちょっと悪いけど、話があるから失礼するわ」





そう言っての腕を引いて部屋から出る

は抵抗する様子もなく、私に大人しく引かれて階段を下りた所にある物置部屋に入った



ドアを閉めると、私は部屋の真ん中で立ち尽くしているに向き合う





「で、訳を聞かせてくれる?」
「……何の」



「昼の、突然あんなことを言った訳よ」





しっかりと目の前の人物を見据えている私と対なって、
地面を見つめているにそう言った
は顔をゆっくりと上げて、自虐的に微笑む




「だから言ったじゃない、蓉子を悲しませたくないから」




昼と同じ答えに私は彼女の頬に手を添える

そして身体を少し屈ませてその顔を覗き込んだ






「だから、どうして私が悲しむような事になるの?」




「だってっ…………!!!」




勢い良く顔を上げるの目には涙が溜まっている
口篭もるの頬にそっと唇を寄せた

その涙を拭い取る


すると隻を切ったかのように唇から言葉が漏れ始めた





「私は何も蓉子を支えられない、好きだけど、愛しているけどっ!」


「うん」


「でも、その気持ちが大きくなるほどに失う時が怖くて…」


「…うん」


「だからまだ、もっと深く深くならないうちに離れた方が良いと、思ったんだ」




それだけ言うと抱きついてくる

その身体を抱きしめ返しながら私は耳に顔を寄せて囁いた




「そんなの無理よ」

「……え?」




「だって昨日より深く、一昨日より深く、1週間前より深く、愛し合うごとにこの気持ちは抑えられないの」



「……っ」



「好きよ、、あなたが愛しくて堪らない」



「蓉子っ…」



「今別れるって言われただけでもこんなに辛いのに」



「ひっく……うぇ…っ…」







「だからこれから先ずっと一緒に居ればいいだけの話じゃない?」





それだけ言って、の身体を離した

不安そうに泣き顔を更に歪める

ふと微笑んで、その顔に唇を寄せた




ゆっくりと愛を確かめ合うように重ね合う口付けに、

私はそれだけで気絶してしまいそうに想いが抑えられなくなる



「んっ……、蓉子?」

「恋人関係、復活でいいのね?」


そう訪ねると顔を真っ赤にさせて、

それでもニッコリと微笑むは私の唇に自分の唇を近づけながら呟いた





「恋人関係以外なんて考えられない」







好きだから相手のことを考え過ぎてしまう

好きだから別れが怖くなる



好きだから、もっと欲してしまう





きっとそれは誰でも経験した事のある気持ち





だったら誓えばいい





ずっと離れない、と







あなたを愛し続けると.................


















fin







おまけ

聖「全く人騒がせな…」
江「でも残念だわ、ちゃんがフリーになった所でつけこもうと思ってたのに」
蓉「ちょっと、やめてよ」
祥「……、無言でこっち伺うのやめなさい」
令「また怯えちゃってるじゃない、祥子があんなに怒るから」
祥「あなただって無理やり捕獲したじゃない」
由「〜、お菓子食べる?」
祐「あ、ちゃん紅茶甘いほうがいいよね?」
蓉「二人ともあまり甘やかさないでくれる?また虫歯になっちゃうわ」
聖「あっコラッ、そんなに食べちゃダメだってば!」
江「いいじゃない、ほら私のもあげるわ」
蓉&聖「江利子!!」

…こうして薔薇の館には平穏が戻った
……平穏が?

……………多分ね