雨は嫌い

あの時を思い出すから



私の全てを拒絶されたあの日を思い出すから






夜は嫌い

あの時を思い出すから



私の生きる意味を失ったあの日を思い出すから




















「何考えているの」

隣でボーッとしている彼女に問いかける
でもそれに応えはなく、相変わらずほうけているに江利子はため息をついた

仕方なく読みかけだった本に再び目を向ける




「江利子」


しばらくして右側から声が聞こえた

顔はそのままで、返事をする


「何?」





「…………何でもない」





説明をする気はないらしく、首を横に振って否定される

そんな状態だっていうのに私の腰に両腕を回してしがみ付いていた小さな身体は、



何かを伝えようとしていた









「江利子」






「……何」







またしても首を弱々しく横に振られる

私は、ため息をついて本を閉じた




「何よ、何か言いたいことでもあるんでしょ?」


その身体を抱き寄せて、耳元で囁く
顔は俯いていて表情は読み取れない



でも、僅かに震えていた……









「……雨、まだ降ってる?」













「え?」







そういえば、と

今日は午後辺りから降ってきていた

その時間帯から元気がないのだ






そういう事なのね







この子は雨の音と夜の闇にとても敏感だった









夜になると小さい子どものように私の側を離れないし、
雨が降っていると昼間だというのにカーテンを閉め切って窓から一番遠い所に佇むのだ







今は夜で、…雨だった……









私の側に居たいけど、でも私がいるのはベッドで

必然的に窓の近くになっている










「ええ、恐らく夜中までは降っているわね」



「………そっか」





その頭を私の胸に押し付けてきた
私は、身体を抱きかかえたままでそっと立ち上がる




「?」

「ソファにでも座りましょう、見たいテレビがあるのよ」




適当に理由を並べてベッドよりは窓から遠いソファに腰を落ち着かせた
左手で肩を抱きかかえ、右手でリモコンを取ると、その電源を入れる



テレビの雑音が少しでも雨の音を打ち消してくれるといい

明るい画面が少しでも夜の静けさを紛らわせてくれるといい








そう思いながら、大して耳に入ってこないテレビ画面を見つめ続ける









「…情けないなぁ」







ふと、呟かれた言葉に私は目をやった
の頭はもう押し付けられておらず、テレビに顔を向けている





「情けない、な…もう何年も前の事なのにまだ雨と夜が怖いんだ」





苦々しげに微笑むその笑顔は、何故かとても切なく







私はその顔を再び胸にかき寄せた



「私も嫌いよ、雨と夜は」

不思議そうに見上げてくるに、優しく微笑んだ
目にかかる前髪を少しずつ払い除けながら、その髪の感触を楽しむように撫でる







「雨の日は憂鬱になるし、夜は何だか気分も暗くなるもの」







「……うん」













「大丈夫よ、私は貴方の前から消えたりしないわ」



額に、目蓋に、頬に軽い口付けを降らせながらそっと囁く

目を瞑って、ただ受け入れているを優しくソファの上に押し倒した






「もちろん、蓉子も聖も祥子も令も由乃ちゃんも祐巳ちゃんも志摩子も貴方の前から居なくならないわよ」






集合をかけたら一発で皆ここに集まるわよ、と笑いながら言うと、
もそうだね、と笑い返してくれた




この間の飲み会の時のことを思い出しているのだろうか
ちょっとしたの呟きで、聖が皆に集合をかけたのだ

いきなり1時間後、と告げられても皆来たのだった

息を切らしながら嬉しそうに幾つかのアルコール類を持ち込んできた面子



呆気にとられているに、聖がこっそりと吹き込んだのを聞き逃さなかった



『皆、に会いたいからそれぞれの用事をすっぽかして来てくれたんだよ』

『何もそこまでしてくれなくても…』

『愛されているからねぇ、は』


とても、嬉しそうに微笑んだ









ふとその笑顔が曇る





「どうしたの?」




「……でも、私が忘れちゃう」







の病気を思い出す

昔のある出来事によって、少しずつ消えていく記憶




初めてそれを聞いた時、ショックを受けたのは蓉子や聖達だけじゃない


私だって相当ショックだった









次の日、朝起きたら恋人が自分を忘れている



貴方は誰ですか、と言われる悲しみは表しきれない






これまでだって何度かそんな事はあった
でも強く抱きしめると、ごめんと何度も呟きながら思い出してくれる









「私が思い出させてあげるわ」





そっと、唇に口付けを落とした
顎を突き出して積極的に応えてくれる

いつもならこんな積極的じゃない

獣とか言って逃げ回るくせに




やっぱりこの雨と夜のセットのお陰だろうか






「………刺しちゃうかもしれない」






唇が離れるのと同時に再び紡がれる言葉


その目は涙が零れ落ちそうなくらい溜まっていた







片手をの服の裾から忍び込ませる

「……っ…」

まだ身体に刻まれている傷跡に指を這わせた










「貴方になら刺されても本望よ」








「嘘吐き」







顔を上げて、思わず顔を覗き込んでしまう



「…何で?」

の両脇が私の首に回された

そしてギュッと抱き寄せられる




「さっき、私の前から消えないって言ったばっかなのに」





ああ、そういう意味











私も、その身体に両腕を回して抱き返す




「消えないわよ、私が殺されても死ぬたまじゃないの貴方がよく知っているでしょう?」









今日初めてから本気の笑い声がした

可笑しそうにお腹から声を出して笑っている




私も思わず笑ってしまった




抱き合ったまま本気で笑っているなんて気持ち悪い構図だろうけど…







雨が嫌い



夜が嫌い




大人が嫌い




野菜が嫌い




怖い人が嫌い











なんて好き嫌いの多い子だろうか

でもそんな彼女を愛したのは私



守りたいと思うのは私




だから、決してこの身体を離さない



例えいつか全て忘れてしまっても………












「もし貴方に刺されて死ぬのなら私も貴方を刺して道連れにするわ」










そしたらずっと、ずっと離れないでしょ?




















fin