「ふむ、ぴったり」







静まり返った体育館で、パイプ椅子にやけに偉そうに座りながらそう呟く人間が1人

もっとも静まり返っているのは其の少女の周りに居る人々の群れで、
体育館の前方にある舞台の上からはお腹に力の入っている透き通った声が響いている


何だか熱演している彼女達に、少女は感嘆のため息を漏らしたのだった

すると隣に居たリリアンの生徒らしき子が静かにするように促してくる
恐らくあの中の誰かの熱狂的なファンなのだろう、と少女は1人納得して黙る事にした




しばらく眺めていたら、やっと劇は終わったらしく生徒会のメンバーが頭を下げていた

隣に居た女生徒も立ち上がり、やっぱり黄色い声で生徒会のメンバーの名前を叫んでいる


少女は其の子に聞こえないように、小さくため息を吐いた






「相変わらずすげぇ人気だこと」















劇は終わったというのに、まだ出演者達に熱狂的な声を上げている観客達の合間を掻い潜ってやっとの思いで体育館から抜け出す



沢山の人が密集している場所に長時間居たせいで、
外に出ると新鮮な空気が美味しい


1度背伸びをすると辺りを見回してみるが、
やはり有名な女学校という事もあり

そして此の文化祭の目玉である生徒会の劇には学校中という人々が集っていた訳で


辺りは人混み

目的の人物を探すにしても容易く見つけられそうにも無い







「あんの馬鹿共何処に行きやがった…」









とりあえず、と少女は彼女達に捕まる前にその場を離れる事にした
目的の人物達は恐らく体育館で未だに生徒会の中のあの人に歓声を上げているだろう

今日家に帰ったらあの人専用のアルバムが1つ、リビングに増えている事間違いなし


其れを嬉しそうに見せつけられるのかと思うと今からゲンナリする







気を取り直すと校舎に入り込んで生徒達の催し物を覗いたりと1人有意義な時間を過ごす


廊下を歩いているだけなのに物凄い人垣が綺麗に割れるのは、少女の外見のせい



山百合会のメンバーのように人並み外れた美しさ、ではない
此の規則の厳しいお嬢様学校に似合わない格好のせいだ





少女にしては大きい身長

髪は金髪

ピアスも女性がするような控えめな綺麗なものではなく、ゴツイもの
はっきり言えば骸骨やらそんなピアス

服も血のりっぽいペイントのされた黒いTシャツに、
お尻の辺りまで下げたダブダブのズボン






どう見ても

どう見ても



不良



柄が悪い












そのせいで人垣は割れて、少女のために道は作られる








1年生達がやっている喫茶店でバナナチョコを買い、
其れを頬張りながら廊下をぶらぶら歩いていた所

突如背後から声が掛かる






!」





其の声に少女は顔を顰め、
振り返る事もせずに廊下を全力でダッシュし始めた



お淑やかに、がモットーなリリアンなのに全力ダッシュで廊下を駆け抜けている少女にまたしても視線が集まる


そして次いで走ってくる人を見て、更に人々は目を丸くする





少女が走っていくと、
前方に見覚えのある人影が現れた







「げっ」








蛙が潰れたような声を出し、少女は足に急ブレーキを掛けて立ち止まる

そして逃げる場所が無いものかと辺りを窺うが、
窓と人々以外何も無い


背後から近づきある足音に、少女は堰を切って窓淵に足を掛けた









「聖!捕まえて!!」


「え?あ…ちょっと!?」









親友からの掛け声に聖は何事かと振り返るが、
其処には窓に足を掛けて如何にもたった今窓から飛び降りようとしています、という不良姿の少女が居た

此処は2階だから死にはしなくても怪我をする事間違いなしだろう



慌てて聖は少女の腰に腕を回し、
何とか引き戻そうと掴む

しかし少女も何がそんなに意地にさせるのか、一生懸命窓から降りようとしていた









「何、何やってるの!危ないって!」

「後生のお願いだから此処は見逃して、聖!!」

「駄目だってば!せめて他に逃げ場考えなよ」

「…此処はアイツの庭だろぉ!?俺が真剣に逃げて敵う訳ないじゃないか!」










少女、と呼ばれる人物は直ぐ其処まで走ってきているかの人物をちらりと視界に捕らえ、そう叫んだ

その人物は肩で息を…すらしておらず、全力疾走したというのに息1つ乱さずにヒタヒタと2人に近寄ってくる



聖が渾身の力を振り絞ってを窓から離すと、
は観念したかのように廊下の真ん中に立って窓から見える空を見上げてチョコバナナを食す








「聖、良くやったわ。さて、もう逃げられないわよ。

「……君らもさ、仲良いのか悪いのかハッキリしてくれない?江利子」








劇の衣装のままニッコリと微笑むのは黄薔薇様こと鳥居江利子

此方も劇の衣装のまま頭を掻く白薔薇様こと佐藤 聖



学内で最も目立つ2人に囲まれてもは普通に我関せずな顔でチョコバナナを食べるだけ

普通の人間だったらこんな美人2人に挟まれたら硬直して挙動不審にすらなってしまいそうなものの
は只、只チョコバナナを食すだけ…







「で、何で私から逃げるのかしら?」

「そりゃあ…貴方の兄貴達に怒られるから?」

「兄貴達なんて関係ないじゃない。貴方は…」

「姉貴はもう少し俺の立場考えて欲しいなぁ」








姉貴と言われた鳥居 江利子は眉を顰めて、
劇の衣装であるドレスを翻しながら不良少女に近寄る

少女というよりも目つきやら髪やら、健康に日焼けした肌のせいで夏場の少年に見えなくもないが


聖が頭を掻いてた手を止めて、辺りを見回す









「とりあえずさ、江利子、も。此処じゃ目立つから場所変えようよ」






「目立つのはアンタ達の格好のせいだ、着替えて来い」

「貴方の格好のせいでしょう、良くお母さんがその格好で此処に来る事を許したわね」

「許す訳ないじゃん、母さんだけに限らず親父も兄貴達も『江利ちゃんの名前を汚す様な真似するな』って激怒」

「汚す?そんな事言ったの?あの人達。ったく、だからがグレるのがまだ判らないのかしら」

「…姉貴、俺別にグレてないけど」

「そうね、服の趣味が一風変わっているだけね」

「………」







話を打ち止めようとする聖のささやかな気遣いも、
鳥居姉妹は簡単に打ち壊して口論を始める


いつの間にか廊下には人だかりができ、

憧れの黄薔薇様の妹をひと目見ようと人々が押し寄せていた



その人垣が再び割れ、今度は聖に負け劣らず男装の似合う人気者が現れる









「お姉さま!が来ているって本当ですか!?」


「令!!」










令の姿を見つけるなり、令に抱きつく


抱きつくというよりも猿のように飛び跳ね、令の身体にダイブした
けれども過激なのスキンシップにも慣れている令は臆する事もなく受け止める

身長は令と大して変わらないのに、令が軽々を抱き上げる事が出来るの体重は軽い








、来てくれたんだ」

「もちろん、令の晴れ姿を見るために」

「はは、有難う。今朝はご飯ちゃんと食べた?」

「食べてる食べてる。ほら、此れも」

「…チョコバナナ大好きだねぇ……、じゃなくて!ちゃんとお米とかお肉食べてる?」

「昨日さぁ、夜11時に帰ったら親父激怒してて。夕飯貰えなかった」

「…………11時から夕飯食べるのも不健康だけど」









折角江利子と同じような綺麗な顔をしているというのに、
長女溺愛という複雑な家庭の中で育ったせいで目つきも悪くなり口も悪い

其の上健康状態もあまり良いとは言えない


自分より遥かに軽いを抱きかかえたまま、令は江利子に苦笑する



先程まであんなに目をギラギラに光らせて『俺に触れると死ぬぜ』みたいなオーラを放っていたというのに、
今は令に犬のようにじゃれ付いて其の上令の身体に足を巻きつかせたままチョコバナナを頬張っているにその場にいた誰もが絶句した










「はい、其処。其処の柄の悪い人、江利子、聖、令。劇の片付けがあるからこっち来なさい」

「あっ、蓉子!!」

「きゃっ!?」






此の場を唯一静められる救世主、紅薔薇様こと水野 蓉子


蓉子が青筋を立てたまま似非笑顔でその場に現れると、
令に巻きついていたはパッと降り

自分より小さい蓉子に飛びつく訳にはいかずに上から覆い被るように抱きつく


いきなり熊に背後から襲われたような格好になりながら、蓉子は前のめりになる










「……、悪いけど離れてくれる?後で沢山遊んであげるから」

「蓉子も最近うち来てくれないんだもんな〜、すっげ〜寂しかった!!」

「判った判った。とにかく平穏な高校最後の学園祭を送りたいんだから場所を変えましょう」

「…食べる?」

「食べない」

「…美味しいよ、食べる?}

「食べない」

「勿体無い、全部食べちゃうよ?本当に食べないの?」

「食べない!」







蓉子に食べかけのチョコバナナを背後から差し出しながらしつこく訊ねるに、蓉子も辛抱強く断りを入れ続ける

辛抱強くというよりもむしろもう慣れているふうだった




蓉子と令に対してまるで犬耳と犬尾が見えそうな雰囲気で纏わりつき、

場所を変えようと移動する2人の後を追うの後姿を見ながら聖は江利子に声を掛ける






どうかしたの?随分とあの2人に懐いてるじゃん」

「…さぁ」

「……ヤキモチ?お姉ちゃん」

「煩いわよ」






可笑しそうに笑いながら自分に人差し指を向けてくる聖の腕を払って、
江利子も3人の後を追う

事の発端は昨夜だった


珍しく江利子と妹のは喧嘩をしてしまい、
は朝から不機嫌だった


けれど文化祭に来て劇を見るように念を押されたため、はしぶしぶリリアンに来て先程まで劇を見ていた訳だ



恐らく蓉子と令に異様にじゃれてみせるのは江利子へのあてつけだろう










「喧嘩?喧嘩したの?珍しいね」

「そうね、確かに珍しいわ」

「原因は?」

「さっき11時に帰ってきたって言ったじゃない、

「うん、晩御飯抜きにされたんだよね」

「帰りが遅いからという以外にもう1つ理由もあるのよ」

「え?」

「あの子ったら何処で誰と居たんだか知らないけど、お酒を飲んでいてべろんべろんに酔っ払っていたの」

「…うわぁ……」









薔薇の館への道を歩きながら、聖と江利子は言葉を交わすが
江利子の台詞に聖は苦笑して呻き声を漏らす


その江利子はというとかなり不機嫌そうで、

丁度さっきまでのの顔に凄く似ている



其処でやっぱり姉妹なのだと思えた










「其れで?お酒を飲んでいた事ぐらいで江利子が怒る訳ないでしょ?」

「もちろん、普段はね。でも…」

「でも?」

「……あの子って酔うとキス魔になるのよ」

「…マジ?」

「ええ、だから私にはいつも通りキスしたり甘えてきたりして…」

「見たいかも、其れ」

「でも何処の誰か知らない人達にもああいう事をしていたのかと思うと頭に血が上っちゃって」

「……………」

「誰と居たのか問い詰めたらもお酒が入っていたせいかキレちゃったのよ」

「…………やっぱり見たくないかも…」























「…あ、男嫌いのシンデレラ」






薔薇の館に着いたは着替え終えたらしい祥子を見るなりそう言った
の格好と、言葉に突然不意打ちを喰らった祥子は目を丸くしてしまう

そしては次いで祐巳を発見すると再び口を開く







「全然意地悪じゃない姉発見」

「え?え…っ?」

、貴方劇見たの?」

「うん、一応」





未だに蓉子に抱きついたままのに訊ねる蓉子
彼女の頭の上で頷く

目の前の人物が一体全体誰なのか不思議そうにしている後輩達を見て、
蓉子と令は苦笑する


聖と江利子はまだ薔薇の館に到着していないらしい

其れは入り口のドアが開かれた時に聞こえる音がしないから認識出来る事で









「どうして私が男嫌いだなんて判ったのかしら?」

「だってあの似非笑顔王子と一緒のシーンは必ず貴方も似非笑顔だったから」

「……見破ったの?初対面で?」

「というよりも前々から姉貴から男嫌いだって聞いていたから、先入観もあって判っただけ」

「…姉貴?」








「あ、彼女はね…」









眉をぴくぴく痙攣させながら訊ねてくる祥子に、はチョコバナナの姿が消えた竹串を咥えながら答える
姉という言葉に反応した祥子達を見て、令が説明しようと口を開くが其の時を見計らったかのように会議室のドアが開いた







「私の妹よ」

「こう見えてもね〜」







堂々と、劇の衣装のまま腕を組んで言う江利子と
同じく劇中の王子の服を着てへらへらした笑顔で言う聖は、何だか本当に異世界の人物のような感じがする


2人の台詞に会議室に居たほとんどの人物が目を丸くした








「令ちゃん…もしかして噂の?」

「うん、お姉さまの実の妹さん」

「あぁ…」





令にこそこそと耳打ちする由乃
そして理解できたのか、頷く由乃を目敏く見つけたは蓉子から離れて令に再び引っ付く






「何、噂って何?令ってば俺の事何て言ってるの?」

「えっ?えぇと…其れはもうお姉さまに似て聡明な…」

「お姉さまに楯突ける人物を紅薔薇様と白薔薇様以外に初めて見た、って聞いたわ」

「由乃!?」

「何よ、本当の事じゃない」

「はぁん…そういう事言ってんだ……」







事実を言ってのける由乃に抗議の声を上げるが、
時は既に遅し

はニヤニヤした顔で令を見やる


そして由乃の顔を見ると、軽くウインクしてみせた


由乃の顔は一瞬にして真っ赤になり、から目を逸らせなくなってしまう







「他には?」

「っ……えぇと、江利子さまが怒っている所も初めて見たとか」

「…他には?」

「う〜ん…あ!そうそう。酔うとキス魔になるって!」

「…………」

「…………」







小さいお下げ髪の子がそう言うと、
一気にと令の顔が青ざめる

そしてしばらく沈黙が続いた








「…ははは、じゃあ俺劇も見たしチョコバナナも食べたし……帰ろうかな」

「あ、うん!それじゃ門の所まで送るよ!」

「お、サンキュ!!それじゃ、ほなさいなら!」







微妙な空気の室内で妙なテンションで会話をすると令

乾いた笑いをしたり、何故か方言が混じっていたり


似非笑顔でメンバーに手を挙げてドアから退散しようとするの首根っこを掴む人物が現れた












「待ちなさい、



「……嫌です」











自分の姉の異変を鋭く感じ取った妹は、姉の顔を見る事すら出来ずに精一杯の抵抗をする
けれど姉は獲物を逃した例がない人物だ


の服を掴んだまま正面に回りこんで、令との顔を見比べる










「貴方、昨夜…令の所に居たの?」

「……いやはやそんな滅相もございません」

「それで令の所で飲んでいた訳ね?」

「いえいえ」

「そして令とキスをしまくっていたという事かしら」

「…………まっさかぁ!!そんな訳ないでしょ!」

「していたのね」

「………」








段々言葉が失われると、
令の引きつった顔で江利子は確信した

そしての胸元を掴むと自分の方に引き寄せ、顔を至近距離に持っていく











「令に手を出したら只じゃおかないって言ったわよね?」

「てっ、手を出すなんて…」

「大方令のファーストキスを奪ったのも貴方でしょ」

「……だから、飲んだら記憶が無くなる…んだって。ノーカウントでしょ!」

「いい?貴方のファーストキスは私よ。だから他の人のファーストキスを奪う事だけは許さないって言ったわよ」

「言った、言ったけどさぁ・・・其れこそノーカウントじゃん。身内なんだし」

「私の言う事が全て貴方のルールになる、って誓ったわよね?」

「……」










物凄い目つきで我が妹を脅す江利子を見て、薔薇の館の全員は絶句する


そして普通に「うるせぇな!」とか言ってキレそうな身なりのが素直に言う事に従っている事にも呆気に取られていた









「という訳で、令。今度からがお酒持参でやって来ても追い返すように」

「はっ、はい!!」

「それでいいわ」









もう1人の妹の怯えた反応に、江利子は満足そうに頷く















「貴方達も、此の子に手を出したら殺すわよ」















親友達、後輩達にけん制を持ちかけると、江利子はの胸倉をもう1度掴んで引き寄せる
そして唇に自分の唇を重ねた










「んっ…!?」


「……貴方は私の物。私だけの物よ。例え令であろうと兄貴達であろうと貴方は私以外の人間に屈する事は認めない」


「…………はい」



























鳥居家はやはり普通とかなりかけ離れていた―――――――


























fin











聖「殺されるらしいよ」
蓉「そうらしいわね」
聖「にだけは手を出さない方が賢明らしいね」
蓉「そうみたいね」
聖「……怖い」
蓉「……ええ」
聖「…があんな風になっちゃったのは案外江利子のせいだと思う」
蓉「全く持って同感だわ」






親友の新たな一面を知った2人はこそこそとそんな事を喋っていた

つい半年程前までは2人が江利子の家に遊びに行くと素直で屈託の無い笑顔を向けてくれていたが、
あんなに口が悪くなったのはどう考えても其の姉の理不尽な態度のせいだろう








「やっぱり姉貴は姉よりも継母役が合う」
江「何か言った?」
「いえ、何でもありません」






fin