「ねぇ、蓉子」


「何?」














あんな事があった後にいつも通り朝方まで仕事をしているなんて真っ平ごめんだった

令に促されたのもあって、夜中の1時には帰宅する
すると既に帰ってきていた蓉子が吃驚した


1日の疲れをお風呂で取ってから、髪をタオルで拭きながらリビングに入る

の学校の連絡帳に目を通していた蓉子の名を呼ぶと顔は上げずにそのまま返事がくる


私は蓉子の隣に座って肩に寄りかかり一緒に連絡帳を覗き込みながらボソリと呟く
















「今日さぁ、に馬鹿って言われたよ」


「…また何かしたんでしょ」











人を罵倒しても、絶対に悪く取られないは蓉子達の信頼をもぎ取っているんだろうなぁ

全く賢くなったものだ


私もそれぐらい器用だったらいろいろな問題を起こさずに済んだのかもしれない



仕事用のボールペンを口元に当てながら蓉子は何か考えているようで、
恐らくの担任の先生に連絡をする内容を考えているのだろう

連絡帳には毎日その担任の先生からの1日を書き綴られている


あまり友達と一緒にはしゃぐタイプではないらしいと最近知った

祐巳ちゃんがまだ担任の先生だったら少なくともはもう少し違った成長をしたのかもしれない



けれど小学4年生になった時、は転校した

入学した頃から仲の悪かった女の子達のうち1人にとうとう病院沙汰にまで持ち込んでしまったのだ


昔から知っている学園長は大丈夫だと言ってくれたけれど、
同い年のあの子達とはこの先何年も続いていくのだからにとってはリリアンから離した方が良いと判断して

普通の公立の小学校に入れた



祐巳ちゃんもと女の子達がうまくいくように死力を尽くしてくれたらしいけれど、

誰に似たのか、はとても頑固だったから嫌いな人達とうまくやっていけと言われても無理だろう






其の頃から私達は仕事が軌道に乗り、

今まで以上に忙しくなってしまった


今までのようにしょっちゅう皆で集まる事すら困難になり

全員が集うのは半年に1回あるかないかにまでなってしまう





けれど令や祥子、江利子はしばしば家に来てくれての相手をしていてくれた




なのにはどんどん無口になって

次第には私の顔さえ見ないようになってしまった




けれど自体がおかしい訳じゃないのは判っている
何故なら蓉子には昔から変わらない態度を取っているから

普通に笑って話しかける
時々キッチンで2人になったりすると抱きついていたりする



は、私にだけ…態度が冷たくなっていってしまった―――

















「してないよぉ、いつも通り店の手伝いを頼んで…」


「また頼んだの?もう少し控えなさいよ、にだって学校があるんだし」


「だって今日はあの曾孫達が来る日だったんだよ。ゆっくり話してみたかったし、店も最近忙しくてね」


「あら、瞳子ちゃんと可南子ちゃん達来たの?」


「うん、あと由乃ちゃんの妹の有馬サン」


「何で奈々ちゃんだけそんな他人行儀なのよ」


「だって江利子にそっくりなんだもん、何か構えちゃって。つぅか戦闘態勢?」


「ふふっ、昔由乃ちゃんも言ってたわね」












ボールペンは連絡帳の上を走っている
其れを動かしている操縦士である蓉子の肩に寄りかかっていた顔を上げて、
舌を出してみる

小さい頃からのの癖
何か嫌な事があったり、気まずくなったりするとこうして場を誤魔化す


すると蓉子は私をちらりと見て、可笑しそうに笑った












「其れで、に馬鹿なんて言われた理由は見当が付かないの?」


「皆無」


「そんな筈ないわよ、あの子はハッキリ言う子でも人を傷つけるような事は言わないもの」


「判ってるよ、そんな事。でも全然判らないんだもん、令は判ってたみたいだけど」









を送り届けて再びやって来た令が、
私を今日は早く帰るように促したのだから理由を知っている筈だ

じゃなければ仕事に真剣なあの子が早く終るように言ってくる筈がないのだ




ふと蓉子のボールペンの先を見つめて、
出来上がっていく文字を読み取る






『いつも有難う御座います。保健室に入り浸っているというのは、は昔から偏頭痛持ちでしょっちゅう気分が悪くなるからだと思います。

   今日はの誕生日でした。けれど私達は仕事で一緒に祝ってあげる事が出来ませんでした。』






其処まで読んで私はハッとする

そしてテレビの横に掛けられているカレンダーを見て今日の日付を確認して、絶句した

















「今日、誕生日…?」


「…忘れてたの?呆れた、が怒ったのって其れじゃない」








    
ぽかんと呆けている私の横顔に、蓉子はため息を吐いて眉を顰める


そっか、だから令が店を開ける前に何か入った包みにリボンを掛けていたりしてたんだ





『祥子にあげるの?』

『え?あ…いえ』

『じゃあ由乃ちゃん?』

『……聖さま、今日は……』







令が何か言いたげだったけれど、
丁度其処でお客さんがやって来て私達の会話は途切れてしまったのだ


特に気にも留めていなかったせいで、その会話が再開される事もなく
は店にやってきて

そして私は何も知らない顔でに接していて




其れでは怒ったのだ









自分の情けなさに呆れて頭を抱える

ソファで自己嫌悪に蹲っている私の背中を蓉子が叩く











「明日、が登校する前に謝りなさい」


「え?でも寝てるって」


「起きなさい」


「…ハイ」










強く言い放つと、蓉子は連絡帳を閉じてサイドテーブルの上に置く

私は2度寝をすれば良いか、と開き直ってふと其のテーブルの上を見るけれど
求めていた物は置いてなくて

ポケットの中を手で弄り確認する


其れでも其処にも何も無い












「ねぇ、蓉子。煙草知らない?」


「知らないわよ、車の中か店に忘れたんじゃないの」


「違うよ、店に行った時既に忘れてたんだ。だから此処にある筈なんだけど…」


「車の中じゃない」


「ん〜、まぁいいや」










肩を竦めて、諦めた私は引き出しの中から新しい煙草を取り出して封を切る






今思えば、この時もう少し真剣に探せば良かったのかもしれない


けれど既に全ては後の祭りだった―――――





















「聖」









身体を揺り動かされて、
私は夢の世界へと旅立っていた意識を取り戻す

寝ぼけ眼で上を見上げると仕事用スーツに着替え終えた蓉子がエプロンを着用してこっちを見ている








「今言わないと出ちゃうわよ」

「あ〜……うぅ、眠い…」

「相当怒ってるわ、アレは」

「…マジ?」

「ええ、朝から機嫌悪いもの」

「………はぁ、気が重いなぁ」









盛大なため息を吐いてから、
まだ眠りたがる身体に鞭を打って起きる

2人の寝室から出ると食卓で此方に背を向けて朝食を摂っているが見えた


其の背は明らかに不機嫌オーラを放っている

ドアの後ろで蓉子が私の背中を押してくる














「…、おはよう」


「…………」


「おはよ〜っ!」


「…………」








普通に声をかけても黙々と食事をしている

思い切って顔を覗き込んで不自然なくらい明るく言ってみるけれど、
やはり完璧無視を貫き通すらしい

その手にはオレンジ色のリストバンドが付けられている

きっと蓉子からのプレゼントなんだろう


ランドセルの上には青と黒のニット帽子
此れは令に間違いない
こんな物作れるのは令以外他に居ない













「…朝食の邪魔なんですけど」


「……あ、ごめん」


「…………」









はそう言いながら私を一瞥だけして、
そして再び朝食の続きに取り掛かる

の隣で立ち尽くす私を、蓉子の視線が責める


声は出さずに顔だけ横に振ってお手上げだと伝えるが、
蓉子は其れでは許してくれない


どうやらの機嫌を直すまで立ち向かわせるつもりらしい













、昨日はごめんね」


「…………」


「遅くなったけど、誕生日おめでとう」


「…………」


「幾つになったの?もう12歳かな」


「………11…」


「あ、11歳か」


「…………」









またしても訪れる沈黙

蓉子に視線で助けを求めている間には食事を終えて、席を立つ

ランドセルを背負い、帽子を被ると蓉子の方を見る




「いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」




そんな会話を交わした後、は学校に行ってしまう

1人取り残された哀れな此の私
其処でため息を吐かないで欲しい、蓉子

何よりもヘコんでいるのは私なんだから




今までが座っていた席に座って、
腕を組む









「プレゼントでも買いに行こうかな」

「物で釣られるような子じゃないと思うけど、今は手段を選ぶ暇はなさそうね」

「う〜ん、江利子達も皆プレゼント用意してあるだろうから…被らないように慎重に選ばないと」

「何だったら本人に聞いてみたら?其れで会話を取り持つキッカケになるだろうし」

「そうだね、判った。聞いてみるよ」








蓉子はが使い終えた食器を目の前で片付けながら、
アドバイスをしてくれた




私は2度寝をする事を諦めて、

背伸びをする



完璧に覚醒するために蓉子に珈琲を頼む


























その日、事件は起こった―――――


























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