[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。






















『もしも1つだけ願いが叶うとしたら何をお願いする?』









馨がまだ小さい頃に1度だけ訊ねた事がある

すると馨はきょとん、として顔を上げたのを覚えている

そして


朗らかな顔でにっこりと微笑んだ










『いらない』

『…え?要らないって?』

『だってねがいごとなんてないもん』

『そんな事はないでしょ、ほら何か欲しいとか…』








想像外だった返答に、
私は苦笑しながら馨に言った

すると馨は学校の宿題を見てから、もう1度私を見上げた







『じゃあけしごむがほしい』

『…消しゴム?』

『うん、そろそろなくなっちゃうの。だからそれをおねがいするなぁ』

『…ふふっ、あははは』








だから、私は声を出して笑い出してしまった
欲のない人間なんて存在しない筈なのになんて子だろうと思ったから

カウンター席に居た蓉子が微笑して仕事用の鞄から筆箱を取り出し、
其処からまだほとんど新品同様の消しゴムを取り出して馨に差し出す


蓉子の隣で宿題をしていた馨は嬉しそうに其れを受け取り、私を見る








馨のねがいはせいとようこがかなえてくれるからじゅうぶんなの』








嬉しそうに消しゴムを掲げてみせる馨に、

私と蓉子は顔を見合わせて笑った




馨の願い事なんていっても大した事のない本当にちっぽけなものばかりだ
其れを叶えるなんて容易い事

其れだけでも喜んでくれる此の子がとても愛しくて


もっともっと大きな欲を言ってもらえるように頑張ろう、と蓉子と話したんだ















『ねぇ、せい。ようこ』

『ん?』

『どうしたの?』





日曜日、3人で少し遠出をした
その帰り道2人に挟まれるように手を繋いで歩いていた馨がふと足を止め、私と蓉子の名を呼ぶ

私達は夕日を背に、小さな我が娘を見つめる






『ゆうひって、どうしてみてるとさみしくなるの?』

『……あぁ…』

『そうね、どうしてかしら』





馨は小さい頃から不思議な質問をしてくる子だった
数学のように決まった答えのある質問なんかじゃなくて、
人によってそれぞれ違う事を言いそうな質問ばかりで

其れでも私達は頭を捻って自分が思った事を在りのままに伝えた





『きっと1日が終わるって事を表しているからじゃないかしらね』

『いちにちのおわり?』

『そう。"あぁ今日も楽しかった1日が終ってしまったわ。明日は今日と同じくらい楽しいかしら"』

『…』

『でも其処で気付くのよ。同じ時間は2度と過ごせない、って。だから其の1日が終ってしまう事がとても寂しくなるんだと思うわ』

『…うん……』

『でもね、夕日だけは変わらないわ。毎日顔を出して毎日沈んでいく…そう思うと心強くない?』

『そっか。うん…ゆうひだけはかわらないもんね!せいは?』

『え?私?う~ん、私は…。蓉子の後で言いづらい内容なんだけど…』

『だいじょうぶ!』

『ふふっ、了解。えっとね、夕日って何だか温かい気持ちになるでしょ』

『うん』

『だから多分切なくなっちゃうんだろうなぁ、温かいものを見ると心の奥まで染みこんで来て。理論的じゃなくて悪いんだけどそうなんじゃないかなって思う』

『うん、わかる。そっかぁ、ゆうひってふしぎだね』

『うん』

『ええ』

『でもせいとようことみるゆうひはなんでかさみしいきもちにならないんだ』















"聖と蓉子と見る夕日は何でか寂しい気持ちにならないんだ"


そう言って笑う馨の横顔が鮮明に脳裏に焼きついている













其れから何年か経った後、何時だったか馨は私達皆が集うリビングを見て、
小さく微笑みながらポツリと言ったんだ





『紅と黄と白が混ざるとオレンジだよね。だから夕日を見ると温かい気持ちになるのかな』





何年も前に私と蓉子が言った事を覚えててくれていたのかと思うと、
嬉しくて堪らなかった――――――


























ねぇ、




今でもあの夕日を見ると寂しい気持ちになるの?

今でも独りでポツリと夕日を見上げたりする事はあるの?



その隣に、お父さんとお母さんは居る?

居たら、安心だけど…でも私は寂しいなぁ





あの日、あの場所で3人で見た夕日は2度と見れないんだから―――――












































鳴り響くお腹

もう何度も宥めすかせてきた筈なのにどうしてこのお腹は言う事を聞いてくれないのだろうか



冷蔵庫を見ても何も入っていない
仕方なく、氷を1つ口に入れて小さな和風のリビングをちらりと見る


聖と蓉子と暮らしていたあの家はとても居心地が良くて

今のこの家はとても居心地が悪い
居るだけで気分が悪くなる





カップ麺の空き容器やらゴミが放られて

着替えも放られていて

異臭が漂う部屋の中で男が1人
テレビを見ながら横になっている






ズキン、と頬が痛む

昨晩話しかけた時に喰らった打撃により、青い痣が出来ていた



冷凍庫から氷をもう1つ取り出して頬に当てる事にする











あの家を出て、1ヶ月が過ぎようとしていた










聖と蓉子の顔を思い出すだけで目頭が熱くなる

どうして、私はこんな所でまた苦しい思いをしているんだろう






会いたいよ




聖に

蓉子に

江利子に

令に

祥子に

祐巳ちゃんに

由乃に

志摩子に

乃梨子に









私に与えられた部屋という名目の小さな2畳程の物置
其処に散らばっている小さな機械の部品達


唯一の皆との連絡手段は

2週間前にあの親という生き物達によって断たれてしまっていた


何度も直してみようと心がけたけれど、
真っ二つに折られた携帯電話は

もう2度と復旧する事なく


あの人達が修理に出すお金を出してくれる筈もなく




家には電話すら無かった


だから外との接触は断たれてしまい、
そして


行く筈だった学校にも行かせて貰えずに







外に出る事すら許されず
食欲を満たす事すら許されず


只唯一許されるのは睡眠だけ

静かにして話しかけなければ許される存在



其れだけ











其れだけの存在って何なんだろう

























私は、私は籠の中の鳥じゃないんだよ……





聖に
蓉子に


凄く会いたい













会いたいよ………っ―――――――








窓の外から見える夕日が目を通して心に澄み渡っていく

今は



温かい気持ちになって夕日を見る事が出来ない







とても

とても

寂しい気持ちになる



涙が頬を伝う


































next...