はぁっ…はぁはぁ……はっ…
心臓が突き破れそうに痛い
お腹も痛い
足も、痛くて
走れない仕組みの足のせいで何度も転び
膝小僧には痛々しい擦り傷が幾つも出来ている
けれど怪我は膝小僧だけでなく身体中にあるのだから今更気にせずに走り続ける
足がこんなにももどかしく
邪魔だと思ったのは生まれて初めてかもしれない
けれど、今は
今は走らないとあの人達に捕まってしまう
アパートの階段を一気に駆け下りている時に家のドアが開きあの人達が血相を変えて追いかけてきたのが見えたから
道はこっちで合っていると思う
けれども数週間ぶりの外は体力的にも精神的にも苦痛だった
足は裸足
コンクリートに直接打ち付けられるせいで皮は擦り剥けていて血も滲んでいる
息が切れ切れになる肺を押し付けて
空腹のために身体中に栄養がいかずに力が出ない身体に鞭を打って
目指すはあの人達の元へ
ちらりと背後を振り返るとあの人達の姿は見えず
何とか振り切れたかと安心して取り合えず商店街の真ん中で壁に手を突いて息を整える
日曜日の昼間という事もあって沢山の家族連れの客達が通るたびにをぎょっとした目で見てくる
大きな壁に付けられている時計を見ると、
家を飛び出した時から既に1時間は過ぎていて
1時間も走り続けていたのかと思うと
其処までしてあそこから逃げ出して2人の元へ戻りたかったのかと自分に苦笑する
目を伏せてみる
もう、思い出せないんだ
2人が笑っている顔が…
あまりにも笑わない日々が続いた
あまりにも苦痛な日々が続いた
だから、
あんなに大好きだった皆の笑顔が思い出せない
あいつらを振り切ったと確認して安堵した途端に目の前がふら付いて、
身体中に力が入らずに膝から地面に足を着いてしまう
擦り傷があった膝がコンクリートに打ち付けられた瞬間あまりの痛みに悶えて体勢を整える
壁に背中を預けるようにして、座り込むと
昼間の家族連れが通っていくのが目に入る
私も、こういう風景を望んでいた
けれどあの人達は1度ならず2度までも裏切った
もう信じたくない
もう、笑い方なんて忘れてしまった
あぁ…私は
聖と蓉子と居た時あんな風に幸せそうに笑っていたのかな………
「…っちゃん!?」
「えっ?…!?」
ふとぼやける景色の中で聞き慣れた声が聞こえて、
俯いてしまった顔を何とか持ち上げて通りの向こうを見る
たった1ヶ月ぶりなのに何だか凄く随分前に別れたきりの錯覚を覚える
その2人は通りの向こうから血相を変えて駆け寄ってきた
「嘘!ちゃん!こんな所で会うなんて…ってどうしたの!?」
「……あ…祐巳ちゃん……?」
「貴方靴はどうしたのよ!少し痩せたわね…」
「由乃も、居る…デート?」
2人はかなり心配そうに、
そして少し怒っているような雰囲気を出して
のボロボロの身体を見て口を開いた
そんな2人には喉が潰れているのを頑張って声を出したが、
やはりガラガラの声で、途切れ途切れになってしまう
そんなの異変に気付いた2人は何やら携帯を取り出して何処かに電話をしようとする
けれどはそんな祐巳の腕を掴んで呟く
「とに、かく…ご飯食べ……たい。限界………」
「え…」
「………、貴方まさか…」
祐巳と由乃は顔を見合わせて、息を呑む
そして由乃に促されて祐巳は再び携帯操作を開始して何処かに電話をかけた
其の間由乃がミネラルウォーターをハンカチに滲ませて、
擦り傷の箇所の汚れをそっと拭き取る
「っ…よし、の……祐巳ちゃん、何処に…かけてるの?」
「令ちゃんよ。令ちゃんのお店此の商店街を突き抜けた辺りにあるし、其処なら空腹も満たせるでしょ」
「あぁ…なるほど」
そういえば令の店を目指して走り続けていたのだと思い出した
壁に頭を預けて息を吐く
額からドッと汗が噴き出し、
今までの忍耐が緒を切ったように身体中のあちこちが軋みだす
とにかく、足が痛い
そういえばこの足も昔あの人達に駄目にされたんだっけな、と思うと
少し悲しくなってきた
どうして…私は親に恵まれなかったんだろう
目の前を歩いていっている家族達は皆幸せそうに笑っているのに
電話を終えた祐巳の腕と
擦り傷を拭っている由乃の腕を
掴んで引き寄せ、抱き締める
自分より全然大きい2人だけどとても温かくて柔らかい
2人の肩に額を預けて強く抱きつく
「ちゃん…」
「……」
「っ、会いたかっ…た…」
「あ…」
「……」
涙交じりの声になってしまうけれど
前みたいに頬を涙が伝う事は無く
何だか泣き方まで忘れてしまったようだと
祐巳と由乃が現れた通りの反対側から、
長身のコック服を着た人が人混みを掻き分けながらこっちに来るのが見える
「!!!」
駆け寄ってきて、しゃがむなりの身体を抱き締める令にはすぅっと息を吸う
「令、良い…匂い。……懐かしい」
「何言ってるの、…どうしたの、ずっと連絡も無くて心配していたんだよ!?」
「ん〜……お腹、空いた…」
「あ、直ぐあっちに私の店があるから其処へ行こう?其処なら食べる物沢山あるから!」
「……ん…」
そう言うなりの身体を抱きかかえて走り出す令の後ろを、
祐巳と由乃が付いて来る
「…あ〜、あんまり揺すられると身体中痛いんだけどな……」
「えっ?何か言った?」
「何でもない」
小さなぼやきは商店街の喧騒掻き消され、
聞き返す令には首を横に振った
令の腕の中が温かくて、眠気が襲ってくる
数日振りに訪れた睡魔に打ち勝てずには直ぐに落ちてしまった
久しぶりに旅立った夢の世界は、
前に行った時とは違ってとても温かい世界だった
ふと前を見るとあの日見たオレンジ色の綺麗な夕日が1つ
を迎え入れるように輝いている
幾度もどんなに手を伸ばしても届かなかった太陽が直ぐ其処にある
まるで「おかえり」とでも言っているようだった
「ただいま」
手を夕日に翳して、そしてその拳を軽く握る
そして、うっすら目を開けると、其処にはもう1つ太陽があった…
「………眩しい、江利子」
「…眩しいってこの額の事を言ってるのかしら?」
「うん、すんごい反射してる」
「…………」
いつの間にか横になっているの顔を覗き込んでいる江利子に、手を翳して再び目を瞑ると
江利子が妖しい笑みを浮かべての両頬を抓る
「……いひゃい」
「全く、久しぶりに会っても変わらないわね。少なくとも中身は」
「えぇ〜、1ヶ月そこらで変わらないよ」
「変わったわ、随分と痩せた」
「…気のせいだよ」
気だるそうに上半身を起こすと、
此処は令の店の従業員達の休憩室なのだと判る
江利子はの寝ていた小さな備え付けのベッドに腰掛けていて
先程まで抓っていたの頬を大事そうに撫でて呟く
「気のせいだったらどんなに良かったかしら」
そう言う江利子には苦笑で返して、
お腹を擦りながら辺りを見回す
「お腹空いた…」
「今、令が厨房を借りて何か作ってくれているから待ってなさい」
「ん。祐巳ちゃんと由乃は?」
「貴方の服と靴を買いに行ってる」
「あぁ、いいのに…。で、江利子は何故此処にいるの?」
「令に呼ばれたから」
「……ふぅん」
江利子の言葉に、は少し安心して
再びベッドに横になる
身体中に力が入らないのは元からで、
今度は頭までグルグル回転し出す
いろいろ考え過ぎたせいか
其れとも逃亡する際に持ち得る特有の胸の高鳴りが失せたせいか
「聖と蓉子は今此処に向かっているわ」
其の言葉に眉を僅かに顰める
そしてゆっくりと江利子の顔を見上げる
小さく笑うと、
今度は目を逸らし手の甲を額に当てて目を閉じた
思い出せ、ないんだ
聖と蓉子が笑っている顔が
聖と蓉子が怒っている顔が
聖と蓉子が悲しんでいる顔が
聖と蓉子の、顔が…
『』
聖と蓉子が名前を呼ぶ声すらも………
「、どうしたの?」
「…江利子、やっぱり駄目だったよ」
「……うん」
「私は、家族の愛が判らない…。愛してさえ貰えなかったから、あの人達に」
「………貴方が痩せて、身体中が痣だらけなのと関係あるの?」
「…愛している人をこんな目に合わせないと思うよ」
「……そう」
江利子が額に口付けを落としてくれる
其れがとても気持ちが良かった
「どうして貴方といいあの人といい、私の傍に居る人達は苦しまなければならないのかしらね…」
小さな声でそう言った江利子の顔を見上げると、
その綺麗な瞳は潤んでいた
いつの日だったかあの夜あの人の言っていた言葉を告げた時の顔と同じ
切ない
儚い
苦しい
幸せ
様々は感情が混ざり合って複雑な顔
小学生だったには、江利子が言いたい意味が良く判らなかった―――――――
next...