人間予想だにしていなかった出来事に出くわすと、
どんなに冷静沈着な人でも腰を抜かすというけれど
正にその通りだと思った――――――
「はい、印鑑お願いします!」
そう言って、10年近く振りに会った累は自分の右手平を差し出す
私は情けなく突然の出来事に付いていく事が出来ずに間抜けに返事をしてその手の平に印鑑を押してしまった
其れを確認してから、累はを丁重に私の腕に押し付けて自分の頭に巻いていたタオルを取って一礼する
「確かに、お届け致しました!それでは失礼しま〜す!!」
何だか妙に元気の良い累
昔は無かった人懐こい此の笑顔で今までやりくりして来たんだろうと想像出来る
令と同じような体格だったのに、
今では累の方ががっしりしていて心なしか日焼けもしており
いかにも健康的そのものだ
駆け出してしまう体勢の累を、
私は恐らく間抜けな顔をしてを抱えたまま見送ろうとしていたんだろう
その累の背中
正確には累の青色のタンクトップの腰辺りを、背後から伸びてきた手がガッシリと掴む
「おぅっ?」
変な声を出して、累は立ち止まり後ろを振り返る
私も後ろを振り返る
其処には累の元・恋人の姿が
そして其の笑みは今まで見たどの物より1番怖かった
「待ちなさい」
擬音・にっこり
序でにその語尾にハートが付きそうな声
「…あ、でもまだ届け物とか溜まっているので早く行かないと……」
其の江利子の笑顔に一突きされた累が冷や汗をタラリと流しながら外の方を指差しながら口篭って言う
「待ちなさい」
擬音・にっこり
更にハートマーク追加
「……でも仕事…」
「待・ち・な・さ・い」
「…ハイ」
とうとう最後にはハートマークすら消えて、
背後に殺気が漂う江利子に累は素直ににっこりと微笑んで答える
その顔に青筋が入っているのはきっと見間違いじゃないと思う
その後は半ば江利子に引き摺られるように家の中に上がりこませる
玄関まで来ていた令と祥子と、青ざめている蓉子の前を通り過ぎ
私はドアの前に立ち尽くしたまま、腕の中ですやすやと眠っているの頬にキスをする
「とんでもないサプライズを連れてきたものだね、」
リビングに勢揃い
ソファに深刻な面差しで座り込んでいる私達を他所に、
累は我が物顔でキッチンにて自分の珈琲を淹れている
「…あ、令。砂糖何処にあんの?」
「え?あ、其処にアリマス…」
「此れか、さんきゅ」
キッチンから手を振り令にお礼を言う累に、令ははてなマークを辺りに撒き散らしている
けれど意味が判らないという顔をしているのは令に限らず
祥子も
蓉子も
私もそうだった
江利子だけ只静かに寛いで、累がやって来るのを待っている
「ん、美味い。さすが令の姉なだけあるね、私」
淹れ終えた累がお行儀悪くも珈琲を飲みながらソファまでやって来る
そして江利子の隣に座り、欠伸なんてしやがった
「あ〜、仕事どうしよう。…後で即行で届ければいっか」
「…まず訊ねたいんだけど……」
「はい?」
咳払いをして、改まって私が声をかけると
累はにこにこしながら質問を許す
「…………幽霊…じゃないよね?」
「…や〜だなぁ、幽霊だったら足無いでしょ!」
ケラケラ笑いながら累は自分の足を上げる
確かにその足は存在している
となると更に訳が判らなくなってきた
ふと、隣に座っていた江利子の綺麗な手が累の額に伸びる
そして大きな傷跡にそって指を這わせた後
後頭部に手をやる
何かを探る感じで手を動かした後、ため息を吐いた
「確かに、そっくりさんて云う訳じゃないみたいね。あの事故の傷もあるわ」
「うん、綺麗に痕残っちゃってんだよ」
江利子の手が離れた自分の後頭部を擦りながら累は顔を顰める
「…じゃあどういう事か説明してくれる?私達は貴方の葬式もしたのよ」
気を取り直したらしい蓉子が身を乗り出して、
真剣な顔つきで累に問い詰める
すると累は困った顔で頬を掻いてからポケットから煙草を取り出し、
私がいつも使っているガラス製の灰皿を自分の方に引き寄せてから
見慣れた累愛用のZIPPOで火を点ける
一息大きく吸って吐き出してから、
その吐き出された息に乗せるように言葉を紡ぎ出した
「直球に言うと私は死んでなんかいないんですよ」
「…そりゃまた随分と直球だね」
「聖黙って」
苦笑しながら言う私を、蓉子が咎める
そんな私に累は苦笑を返してくれる
「貴方達は私の葬式をやったと言うけれど、私の遺体は見ました?」
「……いや、言われてみれば遺影だけで…」
「そう、そしてその葬式に親類や知り合いなどが集いましたか?」
「…いや……令の家族と、由乃ちゃんの家族、そして私達だけだった…」
私の言葉に、累は指をパチンと鳴らす
そしてニヤリと不敵な笑みを浮かべた
「そう!私の両親と由乃の両親の計らいだったって訳だ。まぁ提案者は私だけど」
「……はぁ?」
「だから、私はあの後1晩死生を漂って息を吹き返したという訳。令は1人で家で留守番していたんでしょ?由乃と」
「…あ……」
「でも一体全体何故隠して…」
令はあの夜の事を思い出したらしく、
息をハッと呑む
その隣で祥子が最もな疑問を投げかける
「其れは私が頼んだから。1度無に還って、そして支倉 累としてもう1度成長していくって父さんと母さんに頼んだから」
「………なら、どうして私達の前から姿を眩ましたの?」
蓉子が訊ねると、累は煙草を咥え煙草に変えて足を組む
そして遠い所を眺める目つきで、息を吐く
「武者修行の旅」
ばしっ
「痛っ」
累がそう言うなり隣に居た江利子が累の膝を叩く
累は笑いながら叩かれた箇所を擦りながら江利子の顔を見る
「というのは冗談で、私には皆と一緒に笑いながら暮らしてく権利はないと思ったんだ。皆の日常から私を消して、そして無から独りで生きる。そう決めた」
「そんな…」
「だから、約束を守ってたんだよ。令、江利子さん」
苦しそうに息をする令に、累は微笑みを投げかけて
そして令と江利子の顔を見渡す
「約束、したでしょ?"いつでも側に居る"って…"あの人と幸せになれるように祈っている"って」
「なら、今此処にいる貴方は紛れも無く私の愛した累なのね?」
それまで黙っていた江利子が、累の頬に手をやり
何年振りかに見た愛している人にしか見せない微笑みを見せた
「うん。今度こそ、ただいま。江利子さん」
「…ええ、おかえりなさい」
「此処数年見守ってたよ、皆を。そしてという子に見せる笑顔は皆素敵だった」
「……ええ」
「だからの事もずっと守っていた。あの両親から。そしての望む事をしてあげようと思って此処に届けに現れたんだ」
「…有難う、累。本当に、有難う………」
「有難う、累」
「有難う」
「有難う」
「有難うね、累」
蓉子が搾り出すように、お礼を言うと次いで皆が礼を言う
「に言われたんだ、夕方」
私達からの謝礼に、累は首を横に振ってから
蓉子に大事に抱き締められたまま眠っているの顔を見る
「『令と江利子との約束は守るのに、との約束は守らないの?』って」
「との約束?」
私が聞き返すと累は可笑しそうに笑う
そして頬に当てたままだった江利子の手を握り返して、自分の膝の上に江利子の手を握ったまま置く
そして、眉間を掻くと私を見返す
「私とが小さい頃に会っているのは、存じてます?」
「あぁ…去年だったかがそんな事言ってたよ」
「其の時に約束を交わしたんですよ、"互いに大事な人に大事だと言えたら其の時四葉のクローバーを交換しよう"と」
「……の言っていた約束って其の事なのね」
「うん、其れで私はクローバーを渡したんだ。今日。でもは『約束が違う』と言うんだよ」
「…が…」
「『江利子さんに笑顔をプレゼントしていないのに、此れを渡すのは約束違反だよ』って。凄い子どもですよね〜、此の子」
笑いながら煙草を指に持ち帰る累に、蓉子はを見やって愛しそうに頭を撫でる
そして、累は優しく微笑んで天井を仰いだ
「はきっと私達を結びつけるために、幸せを運んできた神様からのプレゼントなんでしょうね」
そうかもしれない、と思った
はきっと四葉のクローバーの精なのかもしれない―――――
其の夜、私達は2人もの大事な人を取り返して
本当に幸せで
眠りに付く時幸せで明日が来るのが楽しみでしょうがなかった
こんな気分、子どもの時の遠足の前夜以来だった
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