恐れていた時が訪れる事は
覚悟なんてとうに出来ていた
けれど、まさか
まさかこんな形で訪れるとは―――
「携帯電話をお風呂に持ち込むと、内部の機械がサビちゃうんだよ」
突然背後からの声に、
蓉子は肩を竦ませてから慌てて携帯を閉じる
振り向くと、きょとんとしているが居た
「っ…そうね、仕舞ってくるわ」
「……待って」
「ん?」
湯から上がろうとする蓉子の腕を掴む小さな手に、
蓉子は行動を止めて再び顔を見る
出来るだけ優しい笑みで
いつもと同じ笑みで
悟られてはいけない
そんな思いでいっぱいだった
「…私が仕舞ってくるよ、ちょっと部屋にシャンプー忘れたから取りに戻るついで」
「シャンプーなら私のを使いなさい」
「いい、本当直ぐに戻るから其れも蓉子の服の所に置いてくるよ」
「……判ったわ、お願い」
「うん」
ニコニコしながら、はたった今しがた入ったばかりの湯から身体を脱出させる
ざば、という音に広い風呂の中をそれぞれ寛いでいた皆が目を集めた
もう上がるの?とか、
何処行くの?という声には先程蓉子に告げた言葉と同じ事を言う
そして脱衣所へと姿を消す我が子の背中を見送りながら、蓉子は小さくため息を吐く
「ひゃっ!?」
今度は側面から変な声がして、目を向けると
累が自分の身体を抱きかかえるようにして江利子と聖から距離を取っている
少なからずともその顔は赤面していて
何やら良からぬ出来事があったのだと想像出来てしまう
「……ど、どうしたの?」
「うぅ…私、蓉子さんと付き合えば良かったな」
「は?」
一応声を掛けてみると、
累は涙目になりながら蓉子の細い肩を抱き締めてそんな事を言ってくる
思わず間抜けな返答をしてしまうと、
江利子と聖が少し離れた所から不機嫌なオーラを出していた
「何よ、突然」
「苛められた」
「いつもの事じゃない」
「いつもより酷いの!私の敏感な傷痕をお湯の中から触りまくるんだって!」
「……あぁ、そう…」
蓉子の身体にベタベタ纏わりつきながら、
そう訴えてくる背後霊に蓉子は再びため息を吐かざるをえなかった
「いいじゃない、別に。私は恋人なんだから」
「私は違うけど何か触りたかったから?」
「2人とも馬鹿!ろくでなし!人の弱点を責めるなんて酷い!!」
「………」
後ろで喚く累の腕の中で身体を反転させて向き直るようにすると、
蓉子はしばらく考える素振りをする
そして人差し指を徐に伸ばすと、累の顔を横切っている最も大きな傷に這わせる
「っ……」
「…………」
思わず目を瞑ってしまい、何かに耐えるような顔をする累を観察しながら
蓉子はその人差し指を上下へと何度か往復させてみせる
痛くないようにそっと
その力加減が逆効果なようで、累は蓉子の肩を抱く腕に力が入ってしまっている
「……んっ、ちょっ……蓉子さ…」
「ふふっ、可愛いわね」
「いや、本当…ヤバ……」
「其の顔そそられるわ」
「……恥ずかしい事言わ、ないでよっ……」
「ちょっと、累」
「ちょっと、蓉子」
少し離れていた所に居た令達一行はその時聖と江利子の背後に龍と虎を見たそうな
物凄い剣幕で立ち上がり、
真っ裸なのも気にしないでズカズカと湯を掻き分けて2人の元へ詰め寄る
「ふあっ」
「きゃっ」
2人分の悲鳴と共に、
密着していた2人の身体はそれぞれの恋人によって引き剥がされていた
江利子の腕の中で顔を真っ赤にさせたまま俯いている累と、
聖の腕の中できょとんとしている蓉子
「貴方、私以外の人間にあんな顔見せていいわけ?」
「そ、そんな事言われても不可抗力…」
「貴方が理性を保てばいいだけの話でしょう」
「っていうか全ての元凶って江利子さんと聖さんだよね?ねぇ」
「知らないわよ、蓉子に抱きついたり甘えたりした貴方が悪いわ」
「…………」
「蓉子!何であんな事するのさ!累完璧悦んでんじゃん!」
「何よ、貴方達だってやっていたじゃない」
「私はいいの!蓉子は駄目!大体なにさ、あんなに楽しそうな顔しちゃって」
「…じゃあ貴方が可愛い顔を見せてくれる?」
「っ……!?」
江利子に負けた累
聖に勝った蓉子
それぞれの内部情勢を知った令と祥子達は引きつった笑みを浮かべる
其の頃、は1人で部屋のベッドに寝転がり天井を仰いでいた
直ぐ戻ると言ったため、濡れた身体は水分拭き取っていない
髪も濡れてシーツに大きな染みを作っている
「はぁ……」
1人口から漏れるため息は、
宙に彷徨って消える
静かな部屋
山奥だから、人々の喧騒も車の走る音も何もしない
開け放たれた窓から聞こえる、僅かな楽しそうな声だけ
温泉では皆水入らずで親睦を深め合っているんだろう
まぁ、ちょっと違う意味の親睦を深めている所もあるだろうけど
何だか何を思う訳でもなく笑えてくる
本当は蓉子の背後から見えた携帯の画面
母親からのメールの内容は、
自分の事に関するものだった
顔を手で覆って、もう1度盛大なため息を吐く
「参ったな、蓉子のお母さんも私を邪険にしているなんて」
「キツイよ、…"世間体が悪くなる"なんて……」
言葉は時に凶器だ
の心の傷を掻き分けて貫いてくる
鋭い刃が、ずぶずぶと入り込んでくる
其処からあふれ出した血はもう止まらない
"警察から電話があったわよ。
いい加減にあの子を手放しなさい。
犬猫を飼うのとは訳が違うのよ?
貴方の将来もあるでしょう?
聖ちゃんの将来もあるでしょう?
其れを今此処で全て無駄にしてしまっていいの?
何かが起こってからは後戻り出来ないのよ
あの子は、孤児院に返しなさい。
警察に引き渡しなさい。
其の方が貴方達のためよ
警察には貴方達が帰ってくる日付を教えてあるから、
あの子にもちゃんと全てを話して準備しておきなさい"
「私は、只皆と一緒に居たいだけなのに…。蓉子と、聖と、皆と……只一緒に居られたら、其れでいいのに…」
頬を伝う涙すら、冷たく感じる
身体葉いつの間にか冷え切っていた――――――
独りぼっちの心に突然飛び込んできた
少し痛かったとこ やさしく包んでくれた
こんなにホッとすることは初めてだから
その温もりをそっとポケットに詰め込んで歩いて行きたい…
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