「リコ」






自分を呼ぶ声がして、乃梨子は振り返る

其処には自分が居た



正確には自分と同じ顔をした双子の妹




けれど妹は乃梨子のように無表情でも不感症でもない

普通に表情はくるくる変わるし、
どちらかと言うと祐巳みたいな子だ


けれど祐巳と違うのは、さすが乃梨子の妹というだけあって策略家だったりする


物事を1歩下がって冷静に眺めて、
その10歩先も100歩先の事も読み取る







しかし、今のには其の冷静沈着な性格は影を潜めてしまっている


そんな妹に乃梨子は気が気で仕方が無かった









「何?

「瞳子は何処」

「…知らないよ」

「そ」







鼻を鳴らして頷くと、
直ぐには乃梨子から背を向けて廊下の向こう側へ消えようとする

そんな妹の腕を咄嗟に取って、引き止める








「…何」

「瞳子は、今が大事な時なんだよ」

「……うん」

「だからが首を突っ込んじゃいけない」

「…判ってる」








低い声で呟くに、乃梨子は腕を掴んでいた手を解く


放課後の廊下は人気も少なくなり静まりかえっている

其の中で2人の姉妹は何とも言えない心と思いと葛藤しているのだった












そして1週間が過ぎた時




紅薔薇の蕾に妹が出来たという噂で校内は持ちきりだった

正式に発表していない今、
その相手が誰なのかまでは流出していないらしいけれど




薔薇の館の住人である乃梨子達は知っている筈もあり、





は瞳子の首筋で光る物を見つけて

その相手は瞳子なのだと知った










「………妹、になったの?」

「ええ、そうよ。いろいろと心配かけて悪かったわね、さん」

「……福沢祐巳の?」

「ええ」

「……………」







至極嬉しそうな瞳子と反比例して、

黙りこくるに瞳子と乃梨子は顔を見合わせる


けれど事情が判っている乃梨子は何も言わずに2人を見守る事にする







「どうしたの?祝福してくださらないの?」

「……おめでとう」

「何だか心此処にあらずって感じね」

「そんな、事はない…よ」

「いいえ、そうよ」

「そんなんじゃないって」







段々鬱陶しくなってきたのか、
の突き放す態度に瞳子は黙る

そしての行動に傷ついたのか、黙って席を立ち教室から出て行ってしまう



瞳子の背中を見送りながらはため息を吐く







「あ〜あ、行っちゃった」

「…煩いなぁ、リコも行けばいいじゃん。同じ薔薇の館の仲間として」

「はいはい、行くよ。も来る?」

「え?……いいの?」

「うん、だって元々一般生徒の立ち入りを禁じた覚えはないもん」

「ふぅん、じゃあ行こうかね」








よっこらせ、と年寄り臭い声を出して立ち上がるに次いで乃梨子も苦笑しながら立ち上がる













そして乃梨子は後に後悔する事になる―――――























「ごきげんよう」

「ごきげんよ〜」





ビスケット扉を開けて入ってくる2人それぞれの挨拶


きちんとした挨拶をする乃梨子

砕けた挨拶をする



中に居たメンバーは後者の方に吃驚してお茶をしていた手を止める










「あら、ちゃん。珍しいわね」

「ども」




祥子に頭を軽く下げて簡単な挨拶を改めてしてから、
乃梨子が向かう先に居る志摩子の所へダッシュして行く





「志摩子〜っ!」

「なっ…!?」

「あら、。相変わらずね、ふふ」





そう言うなり抱きついたに、

乃梨子は普段めったに崩さない表情を崩し、
志摩子は久しぶりのやり取りに可笑しそうに笑う





「離れてよ!何でいつもいつも志摩子さんにっ」

「あれ〜、お姉さまって呼ばないと祥子さまに怒られるよ」

がこんな事しなければいいだけの事だよ!!」

「いいじゃん、志摩子ってマイナスイオン放ってんだもん。癒される〜」

「あぁぁあああっ!!!!」





志摩子に頬ずりして見せるに、

乃梨子は奇声をあげて2人を引き剥がしに改めて志摩子を取り返しに向かうのだった


そんな2人+被害者である志摩子を眺めながら

会議室に集っていた祥子と令と由乃は苦笑している









「本当に久しぶり、ね。あの賑やかさ」

「最近薔薇の館に全然寄り付いてくれなかったからね」

「でも大丈夫なの?令ちゃん。祐巳さんと瞳子ちゃんが来るのにちゃん此処に居て」






にこやかに会話をしていた2人だったが、
由乃の言葉にハッと我に返り

蒼白な顔になっていく







「あ…どうしよう、祥子」

「私に言わないでよ、私は祐巳の姉として喜ぶべき立場に居るんだもの」

「私だって祐巳ちゃんと瞳子ちゃんの事祝福したいよ!」

「じゃあいっその事由乃ちゃん、ちゃんを貴方の妹にしちゃいなさい」

「何でそうなるんですか!!私にはれっきとした奈々という…」








「ごきげんよう!」

「ごきげんよう」






祥子の理不尽な発言に由乃が食って掛かった時
再び扉が開かれ恐れていた2人がやって来てしまった




祐巳と瞳子の元気な声がした途端、

騒いでいたと乃梨子の動きも止まり




唯一何も変わらないのがと乃梨子の2人の間で静かな笑みを浮かべている志摩子だけだ












「……………」

「あれ、ちゃん!久しぶりだね〜」

「……どうも」




機嫌よく話しかけてくる祐巳に、
は小さく礼をする

そしてちらりと瞳子を見やる




「何で此処に居るのよ」

「…志摩子に会いに」

「……あら、そうなの。じゃあおもてなししなくちゃね、何飲む?」





ぶっきらぼうにそう言うに、
瞳子は再び眉間に皺を寄せて気分を悪くする


そしてに対して態度を大きくし、

も瞳子に対してふんぞり返る



お互い相手に意地を張っているだけなのだと乃梨子はハラハラしながら思っていた









「コーラ」

「そんなもの此処にある訳ないでしょう?」

「ラムネ」

「ある訳ないじゃないの」

「ファンタグレープ」

「……何、其れ?」

「えぇっ、瞳子ちゃん知らないの!?」






次々と出される炭酸飲料

所謂此処に置いてなさそうな物ばかりをあげる



最初は判ったものの、
お嬢様である瞳子には知らない名が出てきた時には首を傾げ

その事に対して祐巳が目を丸くした



はしたやったりな顔をし、瞳子を見下ろす












「ファンタも知らないんだ〜?さっすがお嬢様」

「っ…煩いわね、今日はどうしてそんなに突っかかってくるのよ!」

「別に突っかかってなんかないさ」

「じゃあどうして喧嘩腰なのかしら」

「全然喧嘩腰じゃありませんよ」

「…乃梨子さん、代弁して頂ける?」







訳の判らない行動に諦めの意を表し、
助けを求められた乃梨子は苦笑しながら瞳子に席を外すように頼む

そして瞳子を扉の前に連れ出して、扉を閉める



会議室に残されたと山百合会のメンバーは何処かギクシャクしたまま

それぞれの席に着く






一応、紅茶を志摩子に淹れて貰って口に運ぶ


ふと視界の端に捕らわれた祐巳に意識が集中してしまう





祐巳の姉である祥子に甘える様子とか、

親友である由乃や志摩子と楽しく話す様子だとか



何をしていても
何を話していても





苛つくのは








きっと、


瞳子を盗られたせいだから







そう自己認識したら後は止まらなかった
言葉は凶器となって飛び出す















「随分と悠長に構えてますね、瞳子を手篭めに出来た事から来る優越感ですか?」

「えっ?!」

「さぞかし気分が良いんだろうと思いますけど、私からしてみれば調子が良すぎるんじゃないかと思います」

「…ちゃん?」

「何で、瞳子はアンタの事で沢山傷ついたのに、アンタに言いように妹なんかにされているのか納得出来ないんスよ」

「っ……」







どんどん言葉が次いで出てくる


言ってはいけない事だとは判っているけれど
それでも



それでも













だって、私は瞳子がずっと好きだったんだから


初めて会った時から




あのキツイ目に秘められている熱に惹きつけられたんだ








その目が輝きを失ったのは、此の目の前に居る福沢祐巳とひと悶着あった頃だった

だから




私は此の人が嫌いだ














でも好きだ

同じ人を好きになったんだから、


悪い人な訳がない





判ってる
此れが只の八つ当たりだなんて









福沢祐巳は静まり返った会議室で最初こそはショックな顔をしていたけれど、
次第に優しい微笑みに変わり

私を見つめてくる
















「そうだね…ごめんね、瞳子ちゃんを悲しませて。ちゃんも瞳子ちゃん大好きなんだもんね」

「……っ…」

「ずっと見ていたから、瞳子ちゃんの演技の上手な仕草でも見抜けたんだから」

「……」

「凄いなぁ、私はいつもあの笑顔に騙されていたよ」

「…祐巳、さま……」

「でもね、ちゃん。私は頑張ったよ?頑張って自分の気持ちを瞳子ちゃんに伝えた。だから今度はちゃんの番じゃないかな?」












そう言って


優しい眼差しを向けてくる紅薔薇の蕾が、

何故人気があるのか初めて理解出来た気がする


















一礼だけして、皆に注目される中会議室を後にすると

扉の前の廊下で只立っているだけの乃梨子と瞳子と目が合った



何か言いた気な2人から逃げるようにそそくさと立ち去る






薔薇の館を出た所から校門まで続いている並木道がこんなにも長く感じられたのは初めてだった




マリア像の前に来ると、

祈る気分じゃなくて只下から偉大なるマリア様を見上げてみる













ねぇ、マリア



瞳子は、もう福沢祐巳の物になった




ならば、私は瞳子を自分の物にする事は出来ない







諦めるしかないんだね、マリア




でも、
















でも嫌だ





瞳子の居ない世界なんて寂しくて



苦しくて死んでしまいそう

独りぼっちになってしまうと死んでしまう鳥のように






















「貴方はどうして泣いているの?」


「っ…」















突然の声に振り返ると、

独特な髪を風になびやかせて此方をジッと見つめている瞳子が居た












「泣いてなんかないよ」

「じゃあ其の頬を伝っている液体は何なのかしら?」

「…汗」

「貴方は目から汗を流せるのね、器用なこと」

「……んな訳ないじゃん」






大袈裟に驚いてみせる瞳子に、はぼそっと呟く
自分から吹っかけたネタなのに自分でツッコむなんてなかなか出来ない事だろう

其れもこれも此のノリの良い瞳子のおかげだ


少し噴き出してしまうと、瞳子も頬を緩ませながら歩み寄ってくる



そしての頬から優しく涙を拭ってくれる








「そうね、汗が目に溜まっていたら痛くて開けられないと思うわ」

「リアルに痛そうだ、其れ」

「ふふ」







瞳子の笑った顔が好き








「あら、貴方の肌って肌理が細かくて綺麗ね」

「そりゃ若いから」

「羨ましいわ」

「っていうか瞳子も充分若いじゃん」






瞳子の細い指が好き







「ねぇ、瞳子」

「何?」









瞳子の細い手首を掴んで、引き寄せる


きょとんとしている彼女の耳元に唇を寄せ、囁く
















「好きだ、瞳子が。福沢祐巳に負けないくらい」

「……」

「好きで好きで、どうかなっちゃいそうなくらいに好き」

「…さん……」

「そんな他人行儀な呼び方は嫌だ。って呼んで」

「…………」










再び風が吹き、
瞳子の驚愕に見開かれた大きな目が潤んでくる


その小さな頬に口付けをしてみた














「好きだよ、瞳子」













もう1度

否、何度でも





何度でも愛の言葉を囁こう







貴方が好きだから




















、私は」

「福沢祐巳が好きなんでしょ?でも、私には1人の人間として愛を向けて欲しい」

「其れはっ…」

「福沢祐巳を裏切る行為になるって?」

「……ええ」

「其れなら大丈夫だ、福沢祐巳も認めてくれたから。想いを告げる事」

「えっ!?」

「もちろん、瞳子を愛する姉として」

「…そう、ならば躊躇する必要はないわね」

「ん?」












俯かせていた顔を上げて、


瞳子は飛び切り綺麗な笑顔でこう言ってくれた






















「私はずっと前から貴方の事が好きだったわよ」


























さあ、愛の言葉を囁こう







其れは、風の囁き


其れは、太陽の囁き


其れは、大地の囁き














全てが私達を祝福してくれるのだから――――――――


















fin