人は何故

ずっと手に入れたかったものが手に入った途端


冷静になってしまうのでしょう?





どんなに其れまでがむしゃらに求めていたとしても、

手に入れた瞬間ふと身体の中を冷たい水が流れるような錯覚を受けるのだろうか




そんな心無い私の疑問に、
彼女は小さく鼻で笑ってから咥え煙草を外し

そっと目を窓の外に向けた




『多分人は手に入れた後の事を考えずに走っているから…』


再び煙草を咥える
その動作さえがゆっくりで美しい




『突然願いが叶ってしまうとどうすればいいのか判らなくなっちゃうんじゃない?』











ええ、そうね


その通りだわ






私達が離れていた時間は気が遠くなる程長い時間だった
だから

こうして再び巡り会えた時


私は貴方に対してどういう態度を取ればいいのか戸惑っているんだわ













『でも、誰よりも私の事を知っているのは江利子さんだと思うけどな』

『令は?』

『令は姉妹、家族としての私を良く知っている。けど1人の人間として私を知っているのは江利子さんだけだよ』

『そういうものなのね』

『そういうものだよ』







そう言って累は私の肩を引き寄せ、唇を重ねてくる



その行為も全てが愛しい

心が離れた訳なんかじゃない





只、戸惑っているだけだ―――――――

























「江利子が恋する乙女になってる…」




物凄い無礼な事を言う親友に、
私はがゲームをしているテレビ画面を見つめていた視線を外す
 
聖はソファに寄りかかり、煙草を吸いながら笑っていた




「…其れは物凄く馬鹿にされているように聞こえるわ」

「いやはや滅相も御座いません、感心しているだけだって」

「何によ?」

「累のパワーに」

「……はぁ、貴方に相談した私が馬鹿だったわ」





ため息を漏らしながら珈琲を飲むと、
聖は更に可笑しそうにお腹を抱えて笑い転げる

そんな聖を窘める様に背後からお盆を持った蓉子が現れ、
クッキーの乗ったお皿をテーブルに出してくれた




「要するに貴方が人の事で悩む姿は、累なくして見ることが出来なかったって事よ」

「そうかしら」

「ええ、累に出会うまでの貴方は何に対しても無頓着でつまらなさそうだったもの」

「そう…かしら」




「そうだよ、私が知っている江利子はもっと退屈な大人だったもん」









それまでゲームをしていたがふと口を開いた


目はそのままテレビ画面を見つめたままで、手にしているコントローラーを高速で操っているが




余談だが何故かはゲームの類が飛びぬけて上手い
聖の勝負好きが似たのか、
蓉子の運の強さが似たのか、

それとも江利子のギャンブル好きが似たのか


其れは未だに定かではない

しかし其れを証明するかのように先程から画面上で戦っているキャラクターは体力を減らす事もなくあっという間に勝ち続けていた







話を戻そう



只でさえ凄い腕を見せているのに、
其れすら余裕そうには喋っていた








「そんな風に私は見られてたの?、子どもの貴方にさえ」

「判ってないな、子どもの私だからこそ見える部分があるんだよ」

「貴方って子どものくせに時々妙に大人ぶるわね」

「でも今はもう中学生なのにね、いつまでも子ども扱いする聖にはほとほと困る」

「ふふっ、聖は親馬鹿だものね」


「何言ってるの、中学生はまだまだ充分子どもだよ」





が口角を吊り上げてそう言ったので、
蓉子がの脇にもう1つのクッキーの乗ったお皿を置きながら肯定する

そんな2人の家族に聖は憤慨して煙草を灰皿に押し付けながら反論した


江利子も珈琲をテーブルに置きながらに同情する
親馬鹿な親を持つ苦労さは誰よりも江利子が判る

…まぁ、大変なのだ




ふとリビングの隅に掛けてあるの中学の制服

即ちリリアン女学園の中等部の制服


十何年か前までは自分も身に包んでいた懐かしい制服



以前の中学入学祝いのパーティを開いた時に、
聖が面白がって届いたばかりの新品の制服を着た時

この数年でめきめきと背が伸びたのおかげで、
聖は中学生の制服だというのにピッタリだった

子どもの成長の早さに全員が感動するばかりで



そんな感嘆が漏れる中ふと懐かしいものが胸を過ぎった




タイこそは違うものの見慣れた、懐かしい光景だった
私達はいつも一緒で

互いに深いところまで干渉まではしないものの
誰よりも互いを理解していた



そしてその制服を身に包んでいた頃、私は別れを経験したのだ


姿を消した最愛の人

そんな時も側に居て支えてくれた親友2人



年月が幾分か流れた頃
その親友2人に出来た子ども


その子どもを挟んで影からずっと支えてくれていた人の存在に私達は気付いた




其れが、姿を消しその後死んだ筈の累

私の最愛の人









今、私を悩ませている最愛の困った人

いつだって突然に私の心を掻き乱していく人
















「まぁ、江利子のしたいようにすればいいんじゃない?」


「そうね、別にどうこうして欲しくて累は現れた訳じゃないだろうし」


「累さんは江利子の事例えどうであっても大好きだと思うよ」














帰り道コンビ二で缶ビールと煙草を買って行く

2人で借りている家は聖と蓉子の高級マンション(蓉子が弁護士だから金持ちなのだ)の部屋に引けを取らないくらいの大きさで、
累はトラックの運転をして稼いだお金を全て生活費として出してくれている

もう結婚していると言っても過言ではない生活をしている訳だ



私も早く決まった職に就かないと焦るばかりだが、

今度累が以前働いていたという雑誌のモデルに紹介してくれると言っていた


扉を開けるとリビングの奥から何やら良い香りがする




耳の聞こえない彼女は出迎えてくれる事なく、
きっと料理に没頭しているのだろう

江利子は無言で中に上がると、
キッチンへ向かい累の姿を確認する


そして此方へ背を向けている彼女の肩に手を置いた







「うっわ、驚いた。気配消して背後に立つの止めてよ」

「ただいま」

「うん、おかえり」




一瞬肩を竦めてみせるが
江利子だと判ると至極安心したように顔を綻ばせる

そんな累にいつものように背中から手を腰に回し、前を覗き込む




「何、作ってるの?」

「ラザニア」

「そんな洒落たものの作り方何処で教わってきたのよ」

「令に決まってるじゃない」

「そうね、私の妹達は器用で羨ましい限り」






其処まで言うと、正面の累から茹で上がったラザニアの生地を千切ったものを口に押し込まれた


何も言わずに味わうと丁度良い塩加減で
どう?と首を傾げてくる累に頷く

それに満足したのか累は再び黙って料理に没頭し始めた



江利子も無言でその手元を覗き続ける






ふと、昼間に聖の家で話した事を思い出して口を開く






















「ねぇ、累。私の事どう思ってる?」

「えぇ?何、突然」

「いいから答えて」

「良き理解者。こんな障害だらけの私を受け入れてくれるのは江利子さんだけだよ」

「それじゃ答えにならないわ、貴方を受け入れる人なんて世界中にごまんと居るもの」

「う〜ん、難しい質問しといて却下するなんて厳しいなぁ…」

「それで?」

「うん、じゃあ私が初めて心の底から拒絶されるのが怖いと思った人」

「…拒絶?」

「其れが1番怖い」

「……そう」








静かな声でそう呟く累の顎に指を掛けて、
後ろに振り向かせる

そして背中越しにゆっくりと口付ける




累は何も変わっていない


もちろん考えや顔つきは大人になっているけれど、





でも臆病者で甘えん坊な累は昔のまま







なぁんだ、私がビクビク構えている必要なかったのね

此の子はいつだって堂々と物怖じせずに明るく生きている


障害や、傷なんて物ともしていないわ










そう思うと馬鹿らしくなった
自分がくよくよ考えていたのが


其れにこんなの鳥居江利子じゃないもの















「愛しているよ、江利子さん」


「ええ、私もよ。累」



























人が欲しい物を手に入れた時に冷静になるのは


きっとその後どうやって其れを暖め育んでいけば良いのか考え始めるから









其れは決して熱が冷めた訳じゃない


新しい道を進むための準備なのね―――――――


















fin