『聖はさ、脆いんだろうね。きっと』









そう言ったのは、


私より2つ年上の恋人だった













初めて大学で出会った時に全身を駆け抜ける電気のようなもの




それが恋なのだと、

呆れ顔で江利子に教えて貰った時


何処と無く嬉しかったのは






きっとその相手が貴方だったから









外部受験生の彼女を、

高等部在籍の時に知るはずも無く



それでなくとも他人に興味など持ち得なかった頃だったから








私にとってとても新鮮な











とても大切な恋人となったんだ…



















「おっかえり〜」





玄関先で彼女の足音が聞こえたから、

ドアを開けられる前にこちらから開けて





満面の笑みで受け入れると








さんは吃驚したのか、しばらく固まってたけど




すぐに私の大好きな笑顔で微笑んでくれた











「…ただいま」






「遅かったねぇ、そんなに大変なものなの?自営業ってのは」












2人の家から歩いて10分くらいの処に、カフェを営み始めたさんは


連日泊り込みで開店の準備をしていた




まだ大学生の私と彼女の生活は否応なしにすれ違いが多くなる





それが嫌でほとんど押しかけ女房みたいにさんの家に頻繁に通っているうちに

気付けばさんの部屋に増えつつある私物達






そして更に気付けば、




同棲という形で








はっきりとしたキッカケがあった訳じゃないけれど




それでも私は嬉しくて



幸せで








泣きそうなくらい

















「まぁねぇ、ゼロから全部自分でやらなきゃいけないからさ…」





「明日蓉子達も手伝いに行くってさ」





「おぉ、蓉子ちゃんと江利子ちゃんは優しいな〜」










珈琲を差し出しながら、


ソファに全身を埋めるさんに言付けを伝えると嬉しそうにハニかんだ




それが何だか気に入らなくて

軽く蹴りをかます









「うぉっ、なんだなんだ。反抗期か?うちの犬は」




「…お生憎様、反抗期はとっくに過ぎてます」




「じゃあブルーデーか、そりゃイライラするわな。ほれ、カルシウム」








隣に座ると、さんはそう言いながらポケットの中から飴を取り出して差し出してきた

牛乳がふんだんに練りこまれたミルクキャンディをとりあえず受け取る










「違うってば。あ〜もう…さんは女心判ってないんだもんなぁ」


「え?聖に女心なんてあったの?」


「…うっさい、イッペン殺したろか」


「いやいや、まだまだ長生きしたいもんでね」








もちろん、殺すってのは冗談だけど…


だってこの人が居なかったら私は生きている意味がない







それにそりゃ二十歳そこらで死にたい訳ないだろう



…でもこの人の生活を見ていると本気で長生きできないと思う





喫煙に、夜更かしに、栄養の偏った食物生活に、挙句の果てにお酒が大好きときたもんだ


いつも蓉子に会うたびにいろいろと怒られている処を見るのは嫌いじゃない







困ったように苦笑する顔も、好きだから








隣に座る彼女の肩に頭を乗せると、

一服してからさんはまた笑う










「そして、うちの犬は甘えん坊だ」




「そりゃ愛がありますから」




「更に手が焼ける…まぁ手が焼けない犬なんて居ないだろうけど」













「私は、貴方が居ないと生きていけないよ」


















ふと、隣から聞こえてきていた乾いた笑い声が途切れる



不審に思って見上げると




さっきまで和やかだったその表情が









苦々しく変化していた…















「…さん?」











何か、傷つけるような




何か、癪に障るような事を言ったのだろうか





不安と恐怖が渦巻く





呼びかけても彼女は応えてくれず、ただ黙ったままソファから立ち上がる


そして2人の物と変わり果てているベッドに寝転がる彼女を見届けてから




動悸が収まらない胸を抱いてその後に続いた




意識して目を合わさないようにしているのか、

さんの顔は窓辺に向けられている





そんな筈ない、と


自分に言い聞かせながら彼女の足元へ腰掛けると


ベッドのスプリングがぎしりと鈍い音を立てて軋んだ











さん、怒ったの?」




「…………」





「だったら謝るから…だから、嫌いにならないでよ」





「………………聖さぁ」












やがて重たげに開かれた口から覗く、白い歯が綺麗だった



でもその白さに反抗するかのように





その口から出てきた言葉は私の胸を刺す

















「正直言って依存してるんだよ」



































「………え?」













上半身を起こして、

やっと望んでいた目が合うと
何だか数十年ぶりに会った錯覚を思わせる





だって、目の前に居る彼女の瞳は



私が知っているあの人とは全く違うものだった











「私が居なくても生きていけるようじゃないといけないんだって」




「そんな…だって……」





「誰か人が居ないと生きてけないようじゃ、…駄目だよ」





「でも!さんは、私の事好いてくれているんじゃないの…?」








真っ直ぐに見つめ返してくるその瞳が


視線が





痛い














「好きだからこそ、聖のその気持ちは重い」













「…………っ……」
















気付けば、頬を伝う温かい涙



後頭部に手を回されて、そっとさんの胸元に引き寄せられる













「しばらく、離れよう?このままじゃ聖も私も駄目になっちゃう」







「……嫌だ」







「別れるんじゃないよ、今の暮らしの習慣を改めるだけだ」








「でも…離れればその分心も、離れちゃいそうで怖いよ」












まるで、小さな子どもが駄々をこねているみたいに


私はたださんの胸の中で泣きじゃくるしかできなかった






あやすかのように背中をぽんぽんと叩いてくれる


あやすかのようにギュッと抱きしめていてくれる







そんな優しさが




苦しくて





愛しくて













悲しい…














好きじゃなくなったんなら、


突き放して欲しい



傷つけて








傷つけて












立ち直れないくらいに傷つけて欲しい























「聖さ、私と付き合い始めてから…大学ほとんど行ってないよね?」







「…大学、ある日はさんが家に居る事が多いから」








「私のせいで聖の暮らしが疎かになってる、これって良い事じゃないよね?」









「……………」










「私の帰りを待って、洗濯して、掃除して、ご飯を作って…そんなの聖がやるべき事じゃないよね?」












「でも、そうすればさんが喜ぶと思って…さんのために…っ……」























「違うよ、聖」



























私達のこの暮らしの先に





待つ未来は、







きっとどちらかが滅びるだけ




それしかない、と










さんは、


いつもの優しい笑みでそう言った














「それじゃあ…ね」




「………」







「他の荷物は宅配便で送るから」







さん」









「蓉子ちゃんや江利子ちゃんと一緒に、お店の方にいつでもおいで」









さんっ」



















目の前で、バタンとドアが閉められる







私は、






行き場を無くした









還る人を、還る場所を





失った…









この人だけには見捨てられないように、と














一生懸命

















一生懸命生きてきたのに










全ては、そう



硝子のように儚く崩れ去る

















「………さよなら…、聖」










月が輝く夜空に、



煙草の灯火がうっすらと光り輝いた



その僅かな明かりから、見える顔に








一筋の涙が流れ落ちる















「さよなら………ごめんね、聖…っ……ごめん」













好きだったよ










誰よりも貴方が







大好きだった







この世の全ては貴方で成り立っていると、思えるくらい















私の世界は貴方を中心に回っていた
























だからかな…











私の世界は崩れ落ちたんだね























数年が流れて、


私は何とか大学を卒業した




一時は周りに心配をかけたけれど


特に2人の親友には心配をかけた…けれど








私はこうして自分の道を歩き始める事ができた
















貴方のお陰だよ












それに気付かせてくれたのは貴方だったよ







桜舞い散る丘で


貴方とのたくさんの思い出が眠る丘で





貴方の好きだった煙草を吸う





煙は、ゆらゆらと街へ流れていく


風は、ゆらゆらと私を揺らしていく








ざあぁっ







一風の、強い風が舞って、

目にゴミが入る



眼球を傷つけないように、擦って居る時に









首に温かいものが触れた







まだ少し痛い目をなんとか開けて、後ろを振り返ると




あの笑顔があった












「…貴方のお陰で、本当に大切な物を守る事ができたよ」














幻の貴方は、あの笑顔で優しく微笑んでくれた




その腕に、手を添えて目を閉じる






もう2度と、同じ過ちを繰り返さないように





もう2度と、この温もりを忘れないように
















身体に刻み付ける


















 

「大好きだったよ、貴方が」










「私も大好きだよ、聖が」





















「……っ!?」












幻が喋るはずも無く、


私は勢い良く後ろを振り返った






私よりも少し背の高い彼女が、

そこで無邪気に笑っていた












「久しぶり、聖…大人っぽくなったね」










私の口から煙草を取って、自らの唇に挟み込むさんが居た




彼女の頬に手を添えて



幻じゃない事を確かめる











「本当に…本当にさん?」




「え?足あるでしょ」





「本当に…、さん……」












「ただいま、聖」



















桜の聳え立つ丘で








私達は












出会った





















「おかえりなさい、さん」



















貴方は、私のたった1つの


































貴方は、私のたった1人の、



















太陽でした…



































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