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夜も幾分か過ぎた頃、蓉子はやっと寛げる時間を得てノートパソコンと淹れたての珈琲を手にソファへと座る
キッチンで洗い物をしながら聖は苦笑して口を開く
水音と食器達のぶつかる音がリビングにまで響き、静かな夜を少しだけ賑やかにしてくれる
「また仕事?家に居る時ぐらいのんびりしたら?」
「そういう訳にもいかないのよ、仕事が山積みなの」
「いい加減にしないと
馨
に愛想つかされちゃうよ」
「そうね…じゃあ今度の日曜日に動物園でも連れて行ってあげましょうか」
パソコンを開いて立ち上げている間、蓉子は脇に山積みになっている書類達をペラペラと捲りながら提案した
すると今度は聖の手が止まり、言い辛そうに頬を掻く
「あ……ごめん、日曜はちょっと」
「何よ、貴方も仕事仕事って言ってると愛想つかされるわよ」
蓉子も苦笑しながらちらりと聖に目をやると項垂れている彼女が目に入る
聖が何だかんだ言って家族との交流を大切にしたがっている事は百も承知の上で、蓉子が提案し直す
「じゃあ令達に頼む?」
「それさぁ…私心配なんだけど」
「あら、いつも頼んでいるじゃない。今更何よ」
「そうじゃなくてね、
馨
が…私達よりも令と祥子に懐いちゃいそうで」
洗い物を終えたのか、布巾で手を拭きながら聖はキッチンからリビングへとやって来る
そう言う彼女に蓉子は声をあげて短く笑った
「あははっ、それは言えてるわね」
「でしょ?実際馨最近口を開けば令だとか祥子だとかばっかだよ?妬けちゃうじゃない」
「じゃあちゃんと構ってあげなきゃ。動物園行きたいってテレビ見ながら呟いてたのよ?馨。私達に遠慮しているんだろうけど…」
「もう~、遠慮なんかする年じゃないのに必要以上に気を遣っちゃって」
「そういう環境に生まれてきた子だもの」
蓉子の隣に腰掛けながら聖は自らの頭を掻き毟る
そんな聖の膝を書類の束で軽く叩いて蓉子がフォローすると、聖は微笑んで蓉子に顔を近づけた
「じゃあ、土曜日ならどう?」
「土曜日…そうね、何とか大丈夫よ。行く?」
「うん、馨の喜ぶ姿が目に見えるよ」
「ええ」
2人して微笑み合いながら更に顔を近づけていく
軽く触れるか触れないかの口付けに持ち込んだ時
背後から声がした
「……らぶらぶだね」
「「っ!!?」」
慌てて離れて声のした方を見ると
お気に入りの大きなクマの縫い包みを抱えて眠そうな娘が目を擦りながら立っていた
「馨!どうしたの?おトイレ?」
「ん~ん、眠たいのに眠れないの」
「昼寝しちゃったの?じゃあこっちで聖に遊んで貰う?遊び疲れたら眠れるわよ」
「うん!」
顔を輝かせて2人の居るソファに駆け寄ってきて、蓉子と聖の間に座る娘に
2人とも顔を緩ませるが
ふと聖の表情が硬くなる
そして馨を挟んで蓉子の耳へ唇を寄せて囁く
「此れからは2人の触れ合う時間じゃないの?」
「そんな事言ったって起きて来ちゃったんだから仕方ないじゃない。大体私仕事あるもの」
「じゃあまた今日もエッチはお預け!?」
「エッチってなぁに~?」
子どもが居る事も弁えずに叫ぶ聖の顔を、
純粋無垢な子どもが見上げながら尋ねる
慌てて蓉子が馨の気を自分の方へ向かせる
「何でもないのよ、聖はちょっと疲れているの」
「ねぇ、えっちって何~?」
「それは、もう少し大きくなったら判るわ」
「む~…、そぉだっ!江利子に聞けば教えてくれるかな」
「駄目!!絶対聞いちゃ駄目!!!」
「…蓉子のいけずぅ」
「何処で習ってくるのよ、そんな言葉」
「江利子」
「……江利子、覚えておきなさいよ。余計な教育ばかりして…」
こっそりと呟きながら、蓉子が舌打ちするも
小さな子どもは事の次第が読めておらずに首を傾げる
聖が隣で喉を震わせて笑っていた
蓉子はとりあえず馨は聖に任せて仕事に入る事にする
紙が擦れ合う音や、キーボードが鳴る音が11時のリビングに響く
仕事中の彼女の隣で聖と馨は何をする訳でもなくただ寄り添って囁き合っていた
聖の手の中のマグカップの中身が気になってせがむ馨に、
其れを笑いながら飲ませてあげる聖
たちまち子どもにはキツイ珈琲の苦さに顔を顰める娘に聖は微笑みながらホットミルクを差し出す
そして手の中のクマの縫い包みを遣って飯事を始める2人を蓉子はちらりと見て、温かい眼差しで見守った
「クマさん、ご挨拶しましょう」
「こんにちわ、クマさん」
「違うよ~、こんばんわだよ!」
「あ、そっか。こんばんわ、クマさん。君は馨ちゃんのお友達かな?」
「『うん、そうだよ。馨ちゃんはいつも僕の事を可愛がってくれるの』」
「へぇ、うん?君は男の子かい?」
「『もちろん!僕は生粋の日本男児だ』」
「…馨、良くそんな難しい言葉知ってるね」
「馨じゃないよ!クマさんが物知りなんだよ」
クマさんを挟んで会話をする2人は傍から見たら全然偽りのない親子に見えるくらいだった
パソコンを見ながらそれでいて可笑しさを堪え切れずに緩んでしまう蓉子の顔に、
馨が気づいてクマを聖の前から退かして蓉子に向き直らせる
突然の事にキョトンとしている蓉子に、馨はクマを後ろから抱いたまま上半身を傾けてにへらっと笑う
「『こんばんわ、クマさんです。蓉子さんはお綺麗ですね』」
「…ふふっ、有難う。クマさんも可愛いわね」
「『蓉子さんにそう言われると照れちゃうなぁ』」
「あら、私はもう人妻なの。ごめんなさいね」
「『じゃあ馨ちゃん、僕と結婚してくれる?』」
「おいおいクマさん、変わり身早くないかい」
珈琲を一口飲みながら笑う蓉子に語り掛けるクマに対して、
聖が真顔で鋭い突っ込みを入れる
すると馨もお腹を抱えてケラケラ笑い出した
「そう言えば馨は好きな人とか居ないの?」
「えっ!?馨、居るの!?」
ふと思い出したかのように言う蓉子に、聖がソファに埋めていた身体を勢い良く起こして愛娘を凝視する
2人に至近距離で見つめられて頬を紅潮させながら馨はクマの縫い包みに顔を埋めてしまう
そして聞き取れるか聞き取れないか程の小さな声で
「良いなぁ、って思ってる人は居るよ」
と呟いた
聖の手に握られていたマグカップが勢い良く机の上に叩きつけられる
幸い中身は空だったお陰で中身がぶちまけられる事は無かったが
そんな彼女を迷惑そうに一瞥してから再びパソコンに目をやり、蓉子が一言付け加える
「まぁ、初恋しててもおかしくはない年齢なんだから別に変じゃないわね」
「良くない!馨、誰!?」
「聖、貴方結構頑固親父だったのね。それに親馬鹿を上乗せで世の中の娘の天敵」
「なっ…蓉子、其れ傷つく。聖さんの繊細なハートはボロボロになっちゃったよ」
「あのね、その人はとっても綺麗なの!」
放って置いたらいつもの口論に持ち込まれてしまいそうな気が子どもながらに感じ取れた馨が、
叫ぶように言葉を紡ぐと予想通り2人とも会話を止めて間に居る子どもを見る
引きつった笑顔の聖と対照的に余裕のある蓉子
「あら、その子は私も知っている人?」
「うん、よぉく知ってるよ!いつもおうちに来てくれるから大好きなの」
「いつも家に?じゃあ…江利子か令か祥子、もしくは祐巳先生?」
「駄目駄目駄目っ!まだ馨には早い!!幾ら祐巳ちゃんでも…」
「聖、煩いわよ。それで誰なの?」
「ふふふっ秘密だよぉ」
「馨ちゃん馨ちゃん、怒らないから聖ちゃんと蓉子ちゃんに言ってごらん?」
「その顔自体既に怖いわ、貴方鏡見て来なさい。そうね、簡単に口に出せるものじゃないものね。もし旨く言ったら教えてくれるかしら?」
「うん!蓉子には教えてあげる!!聖は怖いからヤダ」
「ちょっと…君達酷くないかい」
1人取り残された聖が寂しく独り言を放つのに誰も対応せずに、
何やら蓉子と馨は良い雰囲気だったりする
哀れな聖を他所に蓉子と馨は顔を近づけ合って微笑み合っていた
「そうだ、馨。今度の土曜日動物園に行きましょう、3人で」
「動物園っ!?本当!?やったぁ!!!」
クマを抱えて嬉しそうに微笑む娘に笑いかけると、笑顔で返してくれる
そして1人拗ねている聖の肩に手を預ける
いじけた目で自分を見返す彼女に、そっと軽い口付けを一瞬だけ送った
「っ!?」
たった今しがた起こった出来事を理解出来ないらしい聖が、口元を抑えて馨を見るが
馨は嬉しくて仕方ないらしくクマを相手に夢中で騒いでいるだけで今の出来事を見てないらしい
それを見てホッと安心したのか、聖は身を乗り出して蓉子にお返しのキスをする
「ねぇ、土曜日もう1人一緒に行きたい人が居るんだけどいい?」
「「っ!!?」」
いつの間にやら此方を見ていたのか、馨が首を真上に上げてきょとんとそう言った
2度目の、慌てて身体を離して咳払いすると馨を笑顔で見下ろす
「んっ?もう1人?誰かな?」
「それは当日のお楽しみなの!」
「そう、まぁ1人くらい変わらないしね。いいわよ」
「うんっ、やったぁ!!」
「ねぇ、蓉子。…いいの?」
「大丈夫でしょ、1人くらい…。学校の友達じゃないの?」
「ううん、多分…その好きな人だと思う」
「……あぁ、なるほどね。なら其れは其れでいいんじゃない?念願の対面出来るじゃない」
「で、でも心の準備が…」
「遅いなぁ、本当に此処だって判ってるの?その人」
「うん…ちゃんと言ったもん。行くって約束してくれたもん」
「電話してみる?ほら携帯電話」
「判った、えぇと…」
動物園の前のロータリーで3人の女が居た
今時代稀に見る美人が2人、その中でひと際小さな女の子を覗き込むようにしゃがんでいる
およぼつかない手つきで蓉子の携帯のボタンを1つ1つ確実に押していく様子を2人は見守っていた
やっと電話番号を押し終えたのか、
受話器を耳に当てて相手が電話に出るのを待つ馨を目前に、聖と蓉子は顔を見合わせる
「あっ、もしもし?私だよ、馨」
(………………)
「うん、そう。もう待ってるんだよ、うん…うん」
(………………)
「えぇっ、遅れるの?……うん」
(………………)
「うん、判った!あのね…、浮気しちゃ駄目だよ?」
「「…ぶっ………!?」」
「約束だよ、浮気したら蓉子に頼んで訴えるからね!令ちゃん!!」
「「令!!?」」
fin