「貴方ねぇ!いい加減時計を持ち歩きなさいよ、待たされる身にもなってくれない?」






「い〜や〜だ〜ぁ」



「ふざけてないで、ちゃんと聞いて。携帯電話だって持ち歩かなきゃ意味がないの」




「重い」




「重い訳ないでしょう…。何キロあるのよ貴方の携帯は」




「100キロ」





「…おかしいわね、私が買ってあげた時には片手で普通に持てたのだけれど」




「怪力なんだよ、蓉子が」




「…………」








興味が無いのか、カウンター内に居る店長に声をかけてしまう

まるでトラックの運転手というか…どう見ても元レディーズの頭領な女店長とは結構仲が良かった


私と付き合っている事も知っているし、
聖と江利子も含めてここの常連だから気さくに声をかけられる





「あ、姐さんナンコツ3本!」

「了解、ちゃん砂肝食べない?良いのが入ったんだけど」

「んじゃ、それも3本頂戴」

「これはサービスね」

「マジでっ、姐さん大好き」

「まぁたそういう事を…彼女さんが怒るよ?」

「だって本当だもん」

「嬉しいけど、ま、気持ちだけはとっとくわ」

「む〜」






さらさら真剣に話す気がないらしいに、

蓉子はため息をついてチューハイを飲む



の隣と、その向かい側つまり私の隣で2人が声を押し殺して笑っていた





「蓉子もさ〜、諦めなって。時計はこの子の天敵なんだから」



咥え煙草をしながら聖がの頭を撫でると、

江利子がサラダを突きながら聖の助太刀をする




「野菜もいくら言っても食べないんでしょ?嫌いなものはとことん嫌い、克服なんて出来ないのよ」





確かに、はいくら言っても脅しても懇願してみても野菜だけは口に含もうとしない

部屋にも時計がないのには正直、蓉子は困り果てていた



身体を重ねている時にも、時間帯が判らないし

気付けば窓の外が明るくなっていて慌てて一眠りの体勢に入った事もしばしばだ



今日のように、5時に駅で待ち合わせをしても



時間前に来たのは蓉子で

時間通りに来たのは江利子で

時間を少し過ぎた頃に来たのは聖で



時間を大分過ぎた頃にやっとは来たくらいで







を待っている間に3人は空き缶を数個作り上げていた







当の本人は現れた時に何も悪びれる様子もなく、

そして江利子と聖も怒りもしないものだから




だから直らないのよ、この子の時間へのルーズさは……










「いただきま〜す」



追加で運ばれて来た馬刺しを、割り箸で美味しそうに頬張る


と付き合い始めてから数年は経つけど

何とか躾られたのは食事は箸を使う事、とルウイのご飯はお皿に盛る事





その他には、相変わらず風呂上りに髪を拭かないし、夜や雨の日には蓉子から離れないし、


この通り時計を持ち歩かない



何とか説得して渋がるに携帯を買ってあげたはいいけど…


それすら持ち歩きもしないから

連絡の取り様がない訳だ




そこまでズボラなんだから想像は付いていたけど、

やっぱりメールに返事を出してくれないのは悲しいものがある





『今日の夕飯何が良い?学校帰りに買って行くわ』

『肉』




一文字だけ


肉、と返ってきた時には涙が出そうだった


あまりにも情けないというか、





何でこんな子が好きになったんだろうと考えさせられてしまう程悲しかったのだ









「そういえばさぁ、何で時計嫌いなの?」



最もな疑問を投げかける聖に、

は動かしていた口を止める



食べている体勢のまま固まってただ聖を見つめていた




聖自身も何か言ってはいけない事だったのかと引いているのが目に見える







「……何つぅかさ、時計って怖いじゃん」



「怖い?何で?」






江利子が肘杖をついて、その会話に加わった





なんと言うか深刻な雰囲気を自分で作りだしておきながら馬刺しを食べ続けている

ふと空いている手を、店の中に添えられている時計に向けた





「あの針、止めたくならない?」





蓉子と聖と江利子

3人揃ってその指の先を追うが…



何の変哲のない、普通の時計だった



時と、分と、秒を、刻んでいる3つの針







「猫か、君は」







煙草を肺いっぱいに吸い込んでため息をつきながら聖が苦笑してそう言う

それに対して、も苦笑しながら時計に向けていた手を顔の横に持ってきた






「にゃあ?…じゃなくて。時間て止まらないじゃん?」



「あら、貴方猫のコスプレ合うかもね。猫耳とか尻尾とか」



「江利子、そんなの合いたくないから。ま、止められないじゃん?」





くくくっと笑う江利子を一応ツッこんでおいて、は話を続ける




そういえば、随分昔にの部屋を掃除していた時に


引き出しの奥底から時計の残骸が幾つも出てきた




その時は、落として壊したとか言っていたけど

本当はそんな事じゃなかったのかもしれない、と蓉子は思った








「だからね、時計とか正確なものを見ちゃうと…針を止めたくなる。毟り取りたくなるんだ」




「どうして?」




「今、この時間が幸せだから…もし明日になったら、時計が明日を告げたら……もしかしたら幸せじゃないかもしれない」






そう思うとね…、



は最後の馬刺しを口に運びながら弱々しげに聖に言った








「……なるほどね、そう思っちゃうから時計が苦手なんだ?」


「つくづく悲観者ねぇ」






2人に鋭い言葉を貰ったは、コーラを飲み干す




「ま、苦手なものを無理矢理直させる理由も見当たらないし…それでいいんじゃない?」






「駄目よ」











きょとん、と蓉子を見つめる3つの視線に耐えながら蓉子は口を開いた








「じゃあ貴方はこれから先ずっと時計も携帯も持ち歩かない、野菜も食べない、夜と雨の日には誰かに引っ付いている、そんな暮らしを続けるの?」







「蓉子」


「…仕方ないじゃない、それは」












仕方なくなんかない




私はこれから先ずっとの側にいつでも居られる訳じゃない


聖や江利子もそうだ


祥子も、令も、祐巳ちゃんも、志摩子も、由乃ちゃんも、





それぞれ自分の道を歩み始めたら







貴方の側にずっと居られる訳じゃない




側に、居たいと思ってもそれはなかなか叶わなくなるかもしれない













「ねぇ、貴方は私と…私達と出会ってから1度でも過去に戻りたいと思った事はある?」




「ないっ、ないよ!!」





首を精一杯、取れてしまうのではないかというくらい勢いよく左右に振る

聖と江利子が心配そうに私とを交互に見交わしていた






「じゃあ、今よりもっともっと幸せになりたいとは思わないの?」



「思う、思うよ。でも…与えられた物で満足しなきゃ、貪欲になってキリがなくなっちゃうじゃないか」







本当にこの子は…と蓉子はため息をつく



生い立ちのせいか、欲が無い

少し手を伸ばせば手に入れられるものも、手を伸ばす事さえ躊躇う





もう少し、貪欲になっても良いと思うわ












「大丈夫よ、醜いけれどそれが人間だもの。じゃなかったらマリア様よ、まるで」





「醜い…?」






「そう。貴方はもう少し欲しい物は欲しいって言いなさい。私達はそれに答えられるだけの事はするわよ」









独りで抱えこまないで






ねぇ







私は、私達は何のためにここに居るの?


貴方の側に居るの?








誓ったじゃない



貴方に

人生の楽しさを教える、と

光を与える、と










「いくら時計を持たなくても、壊しても、時間は流れていくのよ」




「……」






「太陽を見ればわかるでしょう?沈めば夜が来て、昇れば朝が来る。そして1日が始まるって」







「………でも、怖い」

















「ねぇ、毎日同じ時を過ごすなんてつまらなくない?明日は昨日よりももっと幸せかもしれないわよ」





















机を挟んで、向かい側に座る白い髪をくしゃっと撫でる



















「悲しみや苦しみも来るだろうけど、それらも乗り越えて貴方を幸せにしてあげるわ」

















時は




誰にも止められない




何をするわけでもなくただ過ごしている間も



時は過ぎて






その時はもう2度とやって来なくて







そう思うとやっぱり怖いけれど










でも、明日が来るから



人は生きていられるんだ

希望を持てるんだ



夢を持てるんだ










きっと、



明日は




誰にでも必要なものなのかもしれない






















fin