ある休日の昼下がり

昼食も済ませ、恋人達はそれぞれの趣味に没頭する




恋人の片割れは女なのに何故かメンズの雑誌を読み耽っており、

もう片割れは女らしく大人のファッション系の雑誌に目を通している





紙を捲る音が断続的に室内に響く



ふと、メンズ雑誌を読んでいる方が机の上にあるマグカップを取り口に運ぶ
だが目は相変わらず雑誌に向けられているので上手く口まで運ばれない


ふとそんな危なっかしい恋人の動向に気付いたもう1人は顔だけ雑誌に向けたまま静かに見守る







悲劇は起こった








口に運び損なったマグカップがソファの上で豪快に傾けられたのだ

それが雑誌に飛び散って、其処で初めて彼女は気付く
















「……あ〜…」












幸いアイスコーヒーだったので火傷の心配は無いが、
の服や顔、雑誌、ソファに豪快に飛び散った其れは相当なものだった


感情が乏しいは只カップから残りがちょろちょろと落ちていくのを見つめている



蓉子はやっぱり…と盛大にため息を吐いてソファから立ち上がり、キッチンから布巾を持ってくる













「何度も言っているでしょ、何か飲む時くらいはちゃんと見なさいって」


「…あ、此れ染みになっかな」


「聞きなさいよ、人の話」


「うわぁ、この雑誌もう読めないかねぇ」


「……もういいわ、ほら洗面所に行って着替えてらっしゃい。序でにその服も洗濯機に入れちゃって」


「おぉ、此れ珈琲の味がする」


「…普通舐めないわよ」











お世話人の蓉子の言葉など我関せずで、
雑誌を持ち上げてぺろりと舐めた恋人に蓉子は呆れる

こんな人間絶滅奇種だと思う

否むしろ突然変異系の新種かもしれない





まだソファの上で珈琲を浴びたままのたりと過ごしているを立ち上がらせて、
ソファの隙間に入ってしまわないうちに布巾で拭き取る

皮製のソファだから色が染みる心配はないとはいえ、
下に敷かれている絨毯はもうお手上げだ
とりあえず水分っ気が無くなるまで拭き取った


自分の家の家具よりも雑誌が心配らしく手で拭ったりいろいろ無駄な足掻きをしているの背中を無理矢理押して洗面所へ押し入れる






幾ら何でも子どもじゃないんだからその後は自分で出来るだろうと扉を閉めるが、
その向こう側からとんでもない言葉が聞こえる











「あ、シャンプーで擦れば落ちるかな」



「…………」











今しがた閉めた扉をもう1度開けて自分もその中に入り込む
案の定は洗濯機の上に雑誌を広げてシャンプーを手にしていた


そのシャンプーを取り上げて服を脱がしにかかる












「ね、蓉子。早く洗わないと落ちないよ?」


「ええ、貴方の服がね」


「其れはいいよ、別に。捨てればいいもん。其れより…」


「…400円ちょっとの雑誌と、3000円を越える服どっちが大切なの?」


「452円の雑誌」








即答で答える、
しかも値段を正確に答えるに蓉子はため息を吐きながら茶色く染まったシャツのボタンを外していく








「……其れはもう新しいのを買ってあげるから諦めなさい」


「ほんと!?やった!まだ読み終えてないんだよね、あのコーナー」


「はい、腕上げて。何のコーナーなの?」


「"彼女に効率よくおねだりする方法"」


「……今何て?」


「10人のホストが体験談とアドバイスを載せているんだ、此れが結構参考になるんだよ」











下着を残して全て脱ぎきったを洗面所の蛇口の所に頭を押して近づける

そして先程のシャンプーをスタンバイして、風呂場からリンスも手にする



俯いたまま、そう言ったの後頭部に蓉子は呆れの眼差しをやった

何でこんな人を好きになったのかもう1度自問自答してみたいものだ
そして程良い熱さを放っている蛇口を髪に浴びせてシャンプーを泡立てる










「例えば?」


「女性のタイプによって違うみたいね。蓉子みたいなタイプには面と向かってお願いすれば大丈夫だって」


「あら、じゃあ言ってみなさいよ」









シャンプーを終えて、次いでリンスを頭に掛けて指を立て髪の1本1本に馴染むように撫でていく


俯いたまま、は突如笑い出す

ぎょっとした蓉子は手の動きを止め、恋人の不審な行動を見やる










「ふふふふ……言っても良いのかなぁ?」


「何よ、気持ち悪いわね。早く言いなさい」


「叶えてくれるのかなぁ?」


「内容によってはね。まぁ出来る限りの事はするわよ」


「…ふふふ………」










未だに肩を震わせて笑っているに、蓉子は肩を竦めてリンスを流す作業に移る
そして全て終えるとの上半身を起こしてバスタオルを被せる

蓉子は余計な詮索をしない方が吉とみたのか、服を洗濯機に投げ入れてから

洗面所を出て着替えを取りに行く



しかし蓉子の配慮などお構いなしでは下着姿のまま蓉子の後を付いて来る












「ねぇ、蓉子ちゃ〜ん。叶えてくれるのかなぁ?」


「だから内容によるって言っているでしょ!」


「蓉子は絶対断れないよ〜?」


「何でよ!選択権は私にあるでしょう!」


「んっふっふっ…」


「ああもう!本当気持ち悪いわ」










気味の悪い恋人に肩を震わせて、
睨みを利かせてから寝室へ向かい箪笥を開ける

其処から適当な服を選び、に着せ出す


さすがに服を着ることぐらい1人で出来るというのに此処までやってくれるという事は、やっぱり世話好きなのかもしれない














「キスして」


「……はぁ?」













やはりも凄腕だった

あれだけ焦らしておいて、突然言い放つものだから
蓉子は一瞬意図が判らなくて眉を顰める



服を着せて貰いながら、は上機嫌で語りだす














「キス、いつも私からじゃない?たまには蓉子からして欲しいなぁ、と」


「…それがおねだりって訳?」


「そそっ」


「……嫌よ、恥ずかしくて死んじゃうわ」


「大丈夫大丈夫、落ち着いてやれば」


「そんな言い方しないんじゃない?キスの仕方のアドバイスって」


「だって恥ずかしい事なんてな〜んも無いよ」


「貴方は慣れているからいいでしょうけど、私は何もかも初めてなのよ?」










ぶつくさ言いながらズボンまで着せ終えると、
蓉子はリビングへと戻っていってしまう


再びその後を、タオルで髪を拭き取りながら付いていく















「だからエッチする時に情熱的にやれば蓉子も熱に浮かされて自分からキスしてくれると思ったんだけどさ」


「…もう1度珈琲ぶっ掛けるわよ?其れも飛びっきり熱いやつ」


「そしたら蓉子がもう1度面倒見てくれる」


「…嫌よ、2回も」


「蓉子なら、見てくれる」


「……判ったわよ、すればいいんでしょ!?」


「えっ?ちょっ、待っ……」














もう最後には自棄になっての肩を掴む

そして勢いに任せて顔を近づける蓉子に、は急いで目を瞑る
この勢いだと拙い

起こる事は決まっている













ガチッ…














「っ……」


「…っう……想像以上に痛いね、此れって」















そう




只顔を勢いに任せて近づけたら、歯と歯がぶつかるという悲劇が起こるのだ

蓉子は何が起こったのか判らず、唇を押さえての肩にもたれる
は想像付いていたから構えていて多少は痛みが和らいでいるけれど、
想像以上の痛みに顔を歪ませる



自らの唇の裏を舌で拭ってみると、


血の味











「うわぁ…切れてるよ、そりゃあんな勢い良くやったらねぇ……」

「…ごめんなさい……」

「良いけど、蓉子は大丈夫?口の中切れてない?」

「切れ…てるわね」







蓉子の背中を抱き締めながら、が可笑しそうに笑う
その腕の中で蓉子はバツ悪そうに苦笑するだけ



そしてそんな恋人の肩を押し返して、身体を少し離すと軽く触れるだけのキスをおくる












「こうやるんだよ、ただ唇を合わせるだけじゃなくて相手に自分の気持ちを伝えるつもりで」


「そんな事言われても…」


「だからさ、相手が愛しい。大好きだ、だから少しの間だけでも繋がっていたい。例えば唇でも」


「…う〜ん……、貴方自分に自信があるでしょ?そんなさらりと自分への愛を言い切れないわよ」


「もちろん、確信してるもん。蓉子は私が大好きで大好きで堪らない」


「…そうね、それくらいの方がお互い気持ちが良いのかもしれないわ。恋人同士って」


「そうそう」











くすり、と蓉子が笑うと


にやり、とも笑う






そしてはそっと目を閉じる








今度は蓉子は迷わず、ゆっくりと顔を近づける事が出来た








本当に重ねるだけのものだったけれど、

その時間は長くて
一瞬触れ合うだけじゃ貴方への想いは伝えきれないというように


長い時間触れ合わせていた




















口付けは想いを伝える方法の1つ



例えば其れは、





恋文だとか


言の葉だとか


行動だとか






沢山あるけれど

お互い既に好き合っている時に、最も伝わる方法は




これしかないのかもしれない







身体を重ねるよりも軽く、

其れでいて何時でも気軽に出来る






それは、とても心地よいもの




















それがキスという名のラブレター



































fin