何時からだった?











私は何時からこの子の顔を正面から見る事が出来なくなった?











































目の前でぴょこぴょこ揺れているツインテールが可愛らしく跳ねる兎みたいだ



何も知らない無垢な彼女に私はどうしたら想いを告げる事が出来るのだろう

それともずっとこのまま…彼女が私に飽きるまで私からは何も言わない方がいいのだろうか









「聖さま!見てください、これ可愛いと思いません?」


「ん〜、祐巳ちゃんの方が可愛いよ」


「またそんな事言って…」


「あははっ、本当だって本当」








夕方のショッピングモールで、2人手を繋いで歩いていると

やっぱり年頃な祐巳ちゃんは店頭に並んでいる物に惹かれてちょくちょく足を止めてしまう






祐巳ちゃんは可愛い


好きだ、と思う


一緒に居てとても楽しい






発する言葉に偽りは無い

顔に仮面を貼り付けている訳でも無い





でも、常に私の中には別のあの人が居るから


そのせいか引け目を感じてしまってここ数週間は祐巳ちゃんの顔を真っ直ぐに見られない






ねぇ、どうしよう…




どうすればいいの?




祐巳ちゃんを傷つけないで、

周りを傷つけないで、



私も傷つかないためにはどうすればいい?










教えてよ、蓉子―――――


















「そんなの無理に決まってるじゃない」




「…………相変わらず厳しいこって」










親友の切り捨てる物言いには慣れているけれど、やっぱりキツイと思う


珈琲を一口飲みながら苦笑すると親友は缶麦酒を手にして鼻で笑った











「そんなの貴方のエゴよ。誰も傷つかずに今の状況を180度変えようなんて無理に決まってるじゃない」




「うん、判ってるよ」




「それでも今の状況から抜け出したいんでしょう」




「……うん…、ねぇ江利子」










江利子の手から麦酒を取って一口飲むと再びその手に返す

机の上に散らばったツマミの中からさきいかを1本食べる江利子を見ながら、ため息を1つ吐いた











「蓉子……には、何て言えばいいのかな」




「こういう事を1番嫌がるのは蓉子ね」




「…だよね……、蓉子にも祐巳ちゃんにも嫌われちゃうのかなぁ。キツイなぁ、そりゃ」




「あとは祥子辺りね」




「そんな追い討ちをかけるような事言わないでよ」











自分もさきいかを1本つまみながら、盛大なため息を吐くと江利子が可笑しそうに付け加えてきた


机に突っ伏してうな垂れると木製の机から木の独特な香りが鼻を擽る











「祥子がどうかしたの?」














がたたっ





勢い良く身体を起こすとその振動で江利子の缶麦酒が倒れそうになった

寸のところで江利子がそれを掴んで中身をぶちまける事は無かったが多少机の上に零れてしまう



小さな声で「ごめん…」とだけ述べて布巾でそれを拭きながら顔を上げた











「何でも無いよ、蓉子。それより電話は終わったの?」



「ええ……江利子、私にも麦酒頂戴」



「はい」



「ありがとう。……何よ、聖」
















高校を出てから1人暮らしを始めた私の部屋に3人が集うのはいつもの事

でもたまに其処に祐巳ちゃんが居る時もあって…蓉子と鉢合わせた時の状況がとても怖い




今日は夕方のデートを終えてすぐに別れたから祐巳ちゃんがこの部屋に来る事は無い



そして夜に2人がやって来てこうして何時もの如く飲み会を開いている訳だ











蓉子に会うたびにどんどん綺麗になっていく




蓉子に会うたびにどんどん好きになっている自分が居る




蓉子に会うたびに抱きしめたくてしょうがない




蓉子に会うたびに…2年前のクリスマスを思い出して………蓉子が大好きなんだと改めて思わせる













息が詰まって呼吸が出来ない


苦しい












じっと見つめていた私の視線を感じ取って蓉子が訝しげに眉を顰めた

私は慌てて布巾をキッチンの流しに投げ込む












「何でもないよ、電話は誰だったの?」






「大学の先輩よ、…最近ちょっと誘いを受けてるの」



「あら、やるわね。顔は良いの?」



「まぁハンサムな種類に入ると思うわ」



「へぇ…うかうかしてられないわね、聖」










ぶっ





江利子の言葉に私は口に含んでいた珈琲を勢い良く吐いた



再び眉を顰めてこちらを見る蓉子と、

肘杖をついて可笑しそうにこちらを見てる江利子の、



2人の視線が集まる中で顎からぼたぼた垂れ落ちる珈琲が無残にもさきいかの色を染めていく
























蓉子を家まで送り届ける車の中は沈黙が立ち込めていた


息苦しい車内をどうしたものかと考えながら運転していると、
ふと隣の助手席から声がする











「最近祐巳ちゃんとはどうなの?」










いきなりその話題か…痛いなぁ……


咥え煙草だったそれを車の窓から灰を落とす









「至って順調だよ、蓉子こそ恋人出来そうな勢いじゃない」



「そんなんじゃないわよ、丁重にお断りしてもしつこいだけなの」



「かっこいいねぇ、そんな台詞死ぬまでにはいっぺん言ってみたいな」



「貴方はしょっちゅうでしょ?」



「そんな事ないよ、蓉子みたいに要領よくないから欲しい物は手に入らないもん」













すると、一瞬車の中が凍った感じがした

2人共息もしてないんじゃないかと思えるくらい静かになる車の中にはステレオから流れる洋楽だけが痛い程に響く



目の前の硝子から移り変わる夜景をただ注視して、蓉子の方を見ないように気をつけている自分が居る






けれど、迂闊だった










もしもそのまま家まで送り届けてじゃあねって別れていれば…


きっと私達は狂わなかったんだ










音楽が、止まった




今度こそ何も聞こえてこない車は大通りの交差点で赤信号に捉まってしまった


窓に肘杖をついて対向車線から流れる車達を眺めながら、

私は思わず蓉子の顔を見てしまったんだ














「…っ蓉子……?」


















その目に映ったのは、ずっとこちらを見ていたのか

泣きそうな顔で見上げてくる顔だった



恐る恐る何とか声を発するもの、それしか言えなくて









物凄く自分が悪い事をしているような錯覚に追われた


胸が締め付けられた







どうしてそんな目で私を見るの?


















「蓉子………」



















「ねぇ聖…私は本当に欲しい物だけは手に入らないのよ」




















「……蓉子…どうし……」






























ふいにその目から涙が零れた


私は呆気に取られてその瞳を見つめる事しか出来なくて

























「聖、…貴方だけは手に入らなかったわ」





























これだけはいけないと思ってたけど…

どうしても私は私を押さえつけられなかった











静かにシートベルトを外して、

私は蓉子へと上半身を近づける









きょとんとしている彼女の綺麗な唇へ自分の唇を重ねた―――――














ごめんね、祐巳ちゃん



君の事は大好きだ







君と居る時間はとても大切で、とても楽しかった




でも私は














それじゃ満たされなかったんだ







これは完璧なエゴだ



判ってる、頭の中じゃどうしようもないくらいに判ってるんだ













でも私はあの人を、ずっと…欲しかったんだ






ずっと抱きしめたくて



ずっと口付けを交わしたくて














蓉子が、欲しかった―――――――







































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