「お父さん」
「……何度言っても無駄だぞ」
頑として意志を曲げる素振りも見せない父親に、令は眉を顰めた
父の教え子である道場生達が心配そうに2人を見やっているが、
そんなの目にも入ってないようだった
令は素振られていたその竹刀を掴み取ると父の正面に回りこむ
「いい加減にしてよ、…もう2週間だよ?」
「知らん、アイツが自分から出て行ったんだろう」
「それでも親として心配じゃないの?それにあの子は普通の子とは違うのは判ってるでしょ?」
竹刀を手放して、父親は令を睨んだ
優しい令と、その令の優しい父親が喧嘩をするなんて今までになくて
道場生達も戸惑うばかりだった
道場の入り口で母親も夫と娘の口論を心配そうに見守っている
「そんな事より、お前は最近随分早く帰って来るじゃないか。部活に参加してないのか?」
「そんな事なんかじゃないよ!こんな状況で練習なんか集中出来る訳無いじゃない!」
「毎晩何処をほっつき歩いているんだ?アイツだけじゃなくてお前まで私に逆らうのか」
「累は、私のたった1人の理解者なんだ…」
「…全く、あの子が障害を持っているからとちやほや甘やかしてきた私が間違っていたな」
「…………甘やかしてきた?全然甘やかしてなんかなかったじゃない、お父さん」
規則正しい音が令の部屋を支配する
由乃はそれを取るべきか、戸惑ったが意を決して電話に手を伸ばした
「はい、支倉です」
『あ、私令さんの学校で世話になっている鳥居江利子と申します』
ぎょっ、と受話器を1度耳から放して凝視したが、
一応自分の姉のそのまた姉であるから受け答えする事にする
「もしもし、私です。由乃です。あの、今…令ちゃんは取り込んでいてここには居ないんですけど」
『ああ、由乃ちゃん?まぁ、いいわ。令に夜またこちらへ電話するように伝えておいてくれる?』
まぁいいわって何よ、と気に食わないけれど…
ここは一応令の家でもあるのだから、令の家の電話に無断で出た自分が悪い
とりあえず退く事にした
「はい、判りました。……あの、何かあったんですか?」
『そうね、簡単に言えば祥子のピンチかしら。まぁ、令には確認をしたかっただけだから心配しなくて大丈夫よ』
それじゃまた明日、と電話を切った由乃は首を傾げるしか出来なかった
そこへ丁度部屋の主が戻ってきた
令は幾分か機嫌が悪いようで、乱暴にベッドに寝転がる
「また駄目だったの?おじさん」
「……うん…、あぁ、もうっ!行ってくる!!」
たった今寝転がったばかりだと言うのに、
落ち着かない様子でまた立ち上がった令は掛けてあったコートを羽織る
「うん、…私も行こうか?毎晩探しているんでしょ?令ちゃんにまで何かあったら困るし」
「ありがと、でも私は大丈夫だから」
自分を心配してくれる優しい妹に令は頭を軽く叩いて微笑んだ
でもその笑顔が若干曇っているのは、やっぱり連日の疲れが溜まっているからなのは一目瞭然である
「あ、江利子さまから電話があってね。夜に折り返して電話頂戴って」
「お姉さまが?…うん、判った。何処か公衆電話からかけるよ」
「うん…行ってらっしゃい。累ちゃん見つかるといいね」
「………行ってきます」
外に出ると、まだ冬の風が身体を包み込む
息を吐くとそれも白く風に舞って散った
何処に居るの?
こんな寒い夜に独りで何をしているの?
私を置いて何処へ行こうとしているの?
街中を見渡しても、
街外れまで行ってみても
望む姿は見つけられない苛立ちを落ち込めて、自販機で買ったホットコーヒーで両手を暖める
2人で良く行った公園で今日も、ベンチに座って彼女が現れるのを待つ
こんな時間に公園で遊ぶ子どもなんておらず、令はただ独りベンチに座って星空を眺めた
真っ黒な空に星粒が僅かに明かりを主張している
この星空を、彼女も眺めているのかと令は感傷に浸った
ふと、公園の隅の方に公衆電話があるのに気付き、
先程由乃の言っていた言葉を思い出して小銭があるかどうかポケットを確認する
其処には珈琲を買ったおつりがじゃらりと入っていた
令はその数枚を握り締めて公衆電話の室内に入る
ドアを閉めて完全に個室に入ると、受話器を取って10円玉を数個置いておく
プッシュボタンを間違える事なく順序に押すとプルル、と音が受話器の向こう側から聞こえた
『はい、鳥居です』
「あ、支倉です。あの…江利子さん居ますか?」
『支倉?知らないな、誰だ?男か!?』
「えぇと…支倉令……ですが、江利子さんに学校でお世話になっています」
『うちの江利ちゃんに男は居ない!何だ?新手のナンパか?』
「いや、だから学校でお世話に……」
『ちょっと、何しているのよ!令よ、令。可愛い正真正銘の後輩よ』
『いやっ、だってコレ男だろ?大丈夫大丈夫、お兄ちゃんが追っ払ってあげるから』
『何言ってるの、私の妹の名前ぐらい覚えてよ…。令は男みたいだけど立派な女性です。はい退いて退いて。邪魔!』
「…………………」
『もしもし?令?悪かったわね、面倒なのがウザイ事言って』
後ろでお兄さん達の叫び声が聞こえ、令は苦笑する
「いいえ、先程は電話を頂いたそうなのに出られなくてすみません」
『いいのよ。特に急ぐ用事でも無かったし』
「はぁ、…それで何か?」
『貴方、祥子と付き合ってるの?』
「……はい?」
『だから、祥子と付き合っているのかって聞いているの。もちろん恋人として』
思いもよらぬ言葉に間抜けな声を出してしまった事により、
江利子が少しじれったいというように再度訪ねてくる
片手で持ち余していた10円玉で電話機をコツコツと叩きながら令は笑った
「いいえ、何でですか?いくら仲が良くても祥子は親友でそれ以上でもそれ以下でもありませんよ」
『そう…よね』
「…何かあったんですか?」
しばらく間を置いて、再び受話器から声が聞こえる
『祥子がお付き合いをしている相手が居るらしいのよ、その写真が今日リリアンかわら版に載っちゃってね』
「……はぁっ!!?」
『…ッ煩いわね、大声出さないでよ』
江利子の苦情が聞こえた丁度その時、令の目にあるものが移った
10円玉を電話機へとぶつける動きも止まる
その空間だけ全てが、止まった気がした
通りの向こうからやって来る男女
深くニット帽を被った男のその顔は見えないけれど、
相手の女性ははっきりと判った
学校帰りのままなのか、祥子は制服で
その相手は、見覚えのある懐かしいジャンパーを羽織っている
灰色の毛のファーが付いた黒のジャンパーに、
シルバーの装飾がジャラジャラと付いた真っ黒なズボン
間違うはずもない
あれは、私と一緒に買いに行った服
『令?それでね、その相手が貴方に似ているのよ』
小さい頃から似ている似ていると言われ続けてきたけれど
私のあの人は全然正反対だった
好きな物も、私は女性的な物を好むけれど
あの人は外見からそのまま男性的な物を好んでいた
『貴方、親戚にそっくりな子って居る?』
ふと、あの人が祥子を抱き寄せた
そして2人はどちらかともなく顔を近づけて…キスを交わす
私の視覚はそれだけに囚われて、
あの人の仕草と、
祥子の表情が、私の胸を焼き尽くす
世界が、音を立てて崩れていく
私と、累の、間に
大きな壁が2人を切り裂くように立ちはだかった
私と、祥子の、間に
とてつもなく長い距離が否応無しに置かれた
どちらとも、私から仕掛けたものじゃなくて
この世で1番愛しいと思っていた2人に同時に創られたもの
「……令」
優しい声に呼ばれて、重い頭を上げる
どれくらいここにこうして居たんだろうか
電話BOXの中はとても冷えていて、私の身体中は冷え切っていた
先程買った珈琲も既に冷めていて、身体を温める作用は無い
床に座り込んで蹲っていたためお尻は更に冷えていて痛いくらいに思える
「令、何を見たの?」
この公園は、お姉さまの家から近い
着信歴を見れば公衆電話からのものだと判るだろうし、
携帯電話が普及したこの時代に公衆電話がある場所は限られている
応答しなくなった私を案じて直ぐに探しに来てくれたのか、
お姉さまの頬は赤く染まっていて息が上がっていた
「お姉さま……祥子の、相手…」
「見たの?祥子とその相手を」
「……ええ、その相手……私が良く知っている人でした」
一瞬、お姉さまの私の肩に置かれた手が強張った気がした
何と言葉をかければいいのか困っているのだろうか
でも、今の私にかける言葉は何も無い
「その人は、ある家に双子の姉として生まれました」
「………?」
「その双子は女なのに小さい頃から男の子と間違えられていました」
「………」
「それでも妹は人形遊びとかが大好きな子で、姉は外見を裏切る事なくロボットや電車が大好きな子だったんです」
「…………」
「けれど、ある事件をきっかけに仲の良かったその家庭は崩壊しました」
「…………」
「妹は、一生消える事のない傷を大好きな姉に負わせました」
「…令、それって………」
肩に置かれていた手が、後頭部に寄せられて優しく抱きしめられる
気付かないうちに目からは涙が溢れていてお姉さまの服を濡らしていた
「私は、累に取り返しのつかない事をしたんです……っっ!!」
だから、
私の全てはあの人に譲ろうと思った
望めば、大切な玩具だってあげてきた
望めば、1つしかないお菓子だってあげてきた
望めば、大切な人だってあの人に譲ってきた
……けど
…………祥子だけは譲れない
祥子は、
お嬢様で、
世間知らずで、
短気で、
それでも大切な親友だ
いつしか、祥子を親友以上に見ている自分が居たけれど
彼女も、譲らないといけないのかな…?
そうだ、譲らないといけない
私が、あの人に負わせたものは、
一生消える事のない
とても重い
闇、だから
next...