「また、この季節が来たんだね」
「ええ、そうね」
「この時期になると、あの人を思い出すわ」
志摩子の言葉に、
親友2人は僅かに微笑んで頷く
目の前を飾る綺麗な真っ白な雪を手の平に受け止めると
それは体温に逆らえずに静かに消えゆく
「……あの人は…暖かい日に降った雪のようにいつの間にか消えちゃったね」
両手を広げて、
空から降臨し続ける雪の精達を仰ぐ祐巳には
あの頃のツインテールはもう無かった
肩に下ろした髪は少しだけ伸びており、
顔も心なしか大人びている
その隣でただ無言で空を見上げる由乃も
あの長い髪を2つに三つ編みにしていたゴムも姿を消していた
結ぶ事はせずに下ろしているだけ
それだけで印象は変わったようだ
志摩子だけは、髪にこれといった変化は無いけれど
此処には
あの頃の3人の面影はもう無い
「もう…7年ね、あれから……」
毎日がとても輝いて見えていたあの高校生活から
既に7年経っており
姉や妹とすれ違ったり、通じたり
いろいろと毎日絶え間なく悩んでいた日々はもう無い
この長い年月の間に、
いろいろなことがあった
高校を卒業した後、
大学に進んだり
そして大学を卒業した後
就職したり…
あんなに大好きで、少しでも離れると不安になっていた姉と妹
でも今は、もう
それぞれ別の道を歩んでいた
――――私達は、23歳になっていた
都会の隅にポツンと経っている其処は
青白いスポットライトで照らされており、確かにとてつもない存在感を放っている
道を歩いていて目につけば、ふらりと立ち寄ってしまいそうな
そんな神秘的な光りを放っていた
こげ茶色の木製の大きな扉を開けると、
頭上にあるベルがちりんちりんと音を立てる
先程まで白かった吐く息も、全てが暖かく変わり果てた
きっと、店の雰囲気だけじゃなくて
きっと、暖房のお陰だけでもなくて
其処にいつも待ち構えていてくれているとても頼りになるあの人達が居るから
「いらっしゃい、待ってたよ」
「寒かったでしょ?ほら、早く入って」
マスターと呼ぶには若い女性がカウンター内で笑顔をこちらに向けてきた
次いで、扉の側の床を掃いていたバーテンダーも微笑みながら私達を中へと促して扉を閉める
「ごきげんよう、聖さま、令さま」
「ごきげんよう、聖さま、令ちゃん」
「ごきげんよう、お姉さま、令さま」
頭を下げて、
お決まりの挨拶をすると
2人共優しく微笑んで
「「ごきげんよう」」
と返してくれる
社会に出ると全く使わなくなった懐かしい挨拶を交わす事が出来る大切な仲間達
祐巳は大切にしたい、と思っていた
かけがえの無い人々だから…
両脇に居る親友2人も、最初の挨拶だけは済ますと
それぞれ最愛の姉の元へ素顔を見せる
由乃はショルダーバックを側にある机に置いて、
令の手伝いに向かい
志摩子は1番聖に近いカウンターの席に着くと、
聖と向き直る
祐巳はとりあえず志摩子に付いて、一緒にカウンターに着いた
そして聖さまから差し出されたホットココアに
ずっと尊敬している聖さまの鋭い気遣いは変わっていないんだと安心する
「お客は私達だけなんですか?」
「貸切だよ、特別にね。蓉子達も来るからさ」
志摩子の問いに、聖は咥えていた煙草の火を消しながら答えた
「え?呼んだのって私達だけじゃないんですか?」
「うん、私が薔薇さまの時の山百合会のメンバー全員。乃梨子ちゃん達には悪いけど今回は外れて貰ったよ」
「何かあったんですか?」
祐巳が驚いて、そう聞き返すと
聖は静かに微笑んで頷いた
そして、店の奥に飾られている写真を見つめる
その視線に釣られるように祐巳と志摩子も振り返ってその額を見た
其処には、懐かしい制服を着こんで微笑んでいる皆が中庭で過ごしている写真が入っている
何時だったか、
今日は天気が良いから中庭でお茶をしようという事になった日の事
たまたま近くに居た蔦子に頼んで取ってもらった写真達
紅薔薇様だった蓉子
白薔薇様だった聖
黄薔薇様だった江利子
紅薔薇の蕾だった祥子
黄薔薇の蕾だった令
白薔薇の蕾だった志摩子
紅薔薇の蕾の妹だった祐巳
黄薔薇の蕾の妹だった由乃
そして、
それぞれ姉妹達が仲良く談笑している中で
黄薔薇様であった江利子に寄りかかって寝ているあの人…
支倉累
もう私達の前に何年も現れていない人
生きているのか、
死んでいるのかどうかでさえ判らない
私達の平和だった日々を大きく揺り動かした人
「聖さま…」
「ん?」
写真から目を離さずに
祐巳はどうしても聞きたい事があった
「江利子さまはまだ累さんの帰りを待っているんですか?」
「江利子は……山辺氏と婚約したそうだよ」
静かに
それでいて何処か寂しげにそう呟く聖に
箒を手にしていた令と由乃も談笑を止めて彼女を見た
祐巳は居ても立ってもいられなく、
令の方を見る
祐巳の視線に気付いた令は苦笑して、
ただ言葉を発するだけ
「その方がお姉さまにとっても良い事だよ」
「それじゃ!もう誰も累ちゃんの帰りを待たないって事!?」
令に詰め寄って叫ぶ由乃に、
令は何も言わずに目を伏せる
「お姉さまにずっと累を待ってろなんて言える?」
「でもっ…私は!私は……」
「由乃、7年も待っていられる?恋人を」
「っ……」
「もうそろそろ…皆それぞれの道を歩み始めてるんだから」
「…令ちゃんの馬鹿!!」
姉妹喧嘩に発展してしまった2人を
聖の一言が制した
「累の事で皆に報告があるから、今日呼んだんだよ。今からモメないで」
それだけ言って、珈琲を飲み始める聖に
誰もその話題を掘り起こせなかった
だって、そのことを1番に聞くべきの人はまだ此処には居ないから
それを押しのけて自分達が聞いてはいけない気がしたから
本場で学んだ事はたくさんある
歌の事
カトリック教の事
そして1人になって学んだ事はたくさんある
何と狭い世界で
何と狭い視野で世界を見ていたのか、という事
あの頃の私はあの人だけが世界の全てに思えて
それだけ好きで
でもあの人は私に手を差し伸ばしてくれる事なんて無かった
でも、私はそれでも良いわ
だって、手を差し伸ばしてくれる事は1度も無かったけれど
あの瞳に私を映してくれたから
私を見てくれたから
蟹名静を、ちゃんと見つめてくれたから私はそれで良かった
イタリアの大きな橋に吹き渡る風を全身で受け止めながら空を仰ぐ
あの人も
家族も
同じ空の下に居るんだと思えばちっとも寂しく無い事を知っているから
乱れる髪を押さえながら流れる雲を見た
ふと、視界に映った見覚えのある人陰に
静は川沿いにあるベンチに目を落とす
その人物は煙草を吸いながらベンチに腰掛けて
ボーっとしているだけ
イタリアの人にしては髪の色が濃いその人影は
日本人だとすぐに判った
そして、身体のラインからして女性なのだと判るけれど
スラリとした身長と、短い髪から
1人の人物しか思い浮かばない
「令さん…?」
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