「今日はオフだけれど片付けたい仕事が山程あるの、お願いだから邪魔しないで」

 

 

work

 

 

 

夏の風が窓からカーテンを持ち上げて部屋の中に入ってきている

顔を生ぬるい風が撫でていくのを感じた

テレビからは何かの特番をやっているらしく、観客の歓声が聞こえてくる

二人掛けのソファに横になって額から染み出てくる汗を手の甲で拭うと余計刷り込んだ感じがして気持ち悪い

綺麗に磨かれたガラスで出来ている灰皿に煙草を押し付けると、ため息が漏れる

愛しい恋人は今、向かいのソファでノートパソコンと睨めっこ

 

先程までこの二人掛けのソファに座って指を動かしていたのだが、

絡んでくる聖のうっとおしさに席をかえてその場に収まったのだ

 

あぁそんなに眉間に皺を寄せたらせっかくの綺麗な顔が台無しだ

でもそんな蓉子も綺麗で見惚れてしまうなんて事を考えながらリモコンをいじりテレビを消すと雑音が一気に消えた

座りなおすとサイドテーブルにある煙草の箱とZIPPOに手を伸ばす

 

「……そんなに吸うと肺ガンになるわよ」

 

蓉子の声にふと目をやると相変わらず視線はパソコンのディスクで、

左手に持った資料を右手でキーボードに叩き込んでいた

 

「暇なんだもん」

 

少し拗ねるように口を尖らして言うと、ふと蓉子の口元が緩んだのがわかった

 

「これが終わったら構ってあげられると思うから辛抱して」

 

そういえば、と蓉子はコーヒーに手を伸ばしながら続けた

私は手に持った箱の蓋を開いて煙草を1本取り出す

残り少ないのを確認してZIPPOをつけると、小さな火が強く燃え始めた

 

「店の方はいいの?」

 

 

「蓉子が今日は久しぶりのオフだっていうから空けといたんだよ」

「…ごめんなさい」

 

そう言いながらも脇に詰まれている紙の束をめくる蓉子に私はまたため息をついた

「蓉子、煙草の買い置きどこにあったっけ」

 

「引き出しの中じゃない」

 

私は立ち上がって部屋の隅にある引き出しを開けると、確かに10箱入りのパックが3つぐらいあった

その1つを取り出してまたソファに座ると、パックを空けて箱を一つ取り出してサイドテーブルに置く

持て余した手をZIPPOに伸ばし、火をつけたり蓋を閉めたり、そんな作業を繰り返していると、

その音が気に障ったのか静かにしてと咎められた

ちょっと悔しかったから口から吐き出した煙を蓉子に向けてみた

 

「……ちょっと聖」

 

ごほ、と1つ咳をしてやっとこっちを見た蓉子の綺麗な目にニッコリと微笑みかけた

膝の上に乗せていたノートパソコンを脇に置いて蓉子がこっちへと詰め寄って来る

お、やるか、とファイティングポーズをとって見せると呆れたような困ったような表情になった

 

「あなたねぇ、何がしたいのよ」

「何って?」

「さっきは勝手に入力するし」

 

さっきまで隣にいた蓉子が席をかえた原因はいわゆる私にあった

資料を確認している隙にキーボードに指を触れ、でたらめに文字を打ったりの繰り返しをしていたからだ

 

「だってさ〜、暇なんだもん」

「それはわかってるわよ、本当にあなたには悪いと思ってるわ」

 

そう言いながら私の隣に座って足を組む

 

「でも仕事に関しては中途半端にしたくないの」

「……仕事以外でも中途半端なんて嫌なくせに」

 

ね?と同意を求める眼差しで首を傾げる蓉子にくらっときながらも減らず口を叩くとため息をつかれた

全く、ため息をつきたいのはこっちだというのに

 

「ねぇ、聖」

 

ふと蓉子の手が口に咥えてた煙草に伸びる

灰皿にそれを置くと、私の膝の上に乗った

いつもだったらしない、蓉子にしては大胆な行動に目を丸くすると、両腕を首に絡めてきた

 

「暇なだけじゃないんでしょ?」

「え?」

「本当に暇なだけだったら散歩にでもどこかフラフラしに出かけるじゃない」

「………」

 

ふふっと笑ってキスできそうな距離まで顔を近づけてくる蓉子の視線が恥ずかしくて目を逸らす

さっきまではあんなにこっちを見て欲しかったのに今はこっちが目を逸らしている

 

「寂しいんでしょ」

「…そんなことないよ」

「あら、意地張っちゃって」

「だって本当にそんなことないんだもん」

「そう、じゃあいいわよね、別にキスしなくて」

 

そう言って離れようとする蓉子の腕を掴んで胸の中に閉じ込める

腕の中で笑いを漏らす蓉子に私はきっと顔を真っ赤にしているに決まっている

 

「天邪鬼ね、 聖さまは」

「………だって、ヤキモチしたんだもん」

「え?何に?」

すっかり子ども口調の聖に蓉子は顔を上げて訪ねた

聖はソレに目をやって、あれ、と促す

 

「……ふっ、パソコンに嫉妬してたの?あなた」

 

みるみる更に顔に笑みが広がるのを見て、私は照れ隠しに蓉子を抱いたままソファに寝転がった

上半身を上げた蓉子の両手に自分の両手を絡める

 

しばらく二人で笑いながら繋がっている両腕を押し合いをしてふざけていると、

どんどんエスカレートしたそれは掴み合い取っ組み合いへと発展した

時折お互いの耳に口を寄せて冗談を囁き、そしてまた笑い合って脇腹をくすぐったり片方の腕を掴んだり、

そんな子どもの遊びをしているうちにお互いの息がきれた

 

「……はぁ」

「…何やってるのかしら、私達」

「…あははっ」

 

蓉子は可愛い

甘えてくる蓉子が好きだ

でも一番好きなのは、私をそっと優しく包んでくれる高揚さ

蓉子の肩を抱きながら馬鹿笑いをする私に蓉子もつられて笑ってた

 

私の胸にうっすら汗ばんだ頬を擦りつけてくる蓉子は猫みたいだと思った

指を伸ばしてその顎を撫でてみた

 

 

「っ!?……何やってるの、あなたは」

 

くすぐったいのか、顔を思わず背けて指から逃げると、じとりと蓉子が睨む

その手を頭へ持っていき綺麗な黒い髪を梳くように撫でながら私は口を開いた

 

「ん〜?蓉子ってさ、猫みたいだよね」

 

 

「…子狸じゃなくて?」

 

 

「ははっ、それは祐巳ちゃん特典」

そう言うと、身体を離しながら蓉子が言う

 

「確かにね、そうだ、皆を動物に例えるならあなたはどう例える?」

 

皆とは歴代の薔薇の館の皆の事だろう

もう皆大学生か社会人だからあの薔薇の館には居ないけれど、

私達の過ごしていたあの時の住人を思い浮かべた

私も身体を起こして、新しい煙草を取り出しながら考えた

 

「祐巳ちゃんが子狸なら祥子は鷲かな」

「どうして?」

 

「気高く、プライドも高い」

 

「でも鷲はヒステリーをおこさないわよ」

「そんな細かい事考えてないよ」

 

「そうね、あなただもの、で?他は?」

 

「そうだな、令は犬で由乃ちゃんは猪、江利子はライオン」

 

令は忠犬ハチ公しか思いつかないからそう言ってみた

由乃ちゃんは青信号が灯ると誰にも止められないから猪が適当だろう

そんな猪さえも食い止められる江利子はライオン

気ままでそれでいても強い

 

そう説明すると蓉子は私の肩に頭をもたげて微笑みながら同意して聞いていた

要するに黄薔薇ファミリーは例えやすい

 

「志摩子は鳥、乃梨子ちゃんは狼」

 

 

いつもふわふわしてて目を離すとどこかへ飛んでいってしまいそうな志摩子には鳥という敬称がよく合う

常に冷静に周りを判断している乃梨子ちゃんは狼かなぁと言うと、

蓉子が顔を私に向けた

 

 

「狼って…あなたじゃないの?」

 

 

 

思いもがけない言葉に私は首を傾げて蓉子の顔を見る

その意味を得た私は眉を顰めて否定した

「失礼な、そこまで盛ってませんよ」

「どうだか」

 

 

 

そのまま顔を近づけて口付ける

顔を離すと蓉子は少し顔を顰めて、

「苦いわ、煙草吸った時はキスは嫌って言ったじゃない」

 

と抗議してきた

いつものことだけど

 

 

「でもね」

 

 

「ん?」

 

「私、猫は私じゃなくて聖だと思うわ」

 

 

 

「何で?」

 

 

睫毛が触れるくらいの近さで発された言葉に私は意味を問う

 

 

「いつも一人でどこかへ行ってしまいそう」

 

 

 

ああ、似た者同士ってこういう事をいうんだなと思った

志摩子と私

いつも江利子や蓉子は似た者同士って言っていたのを思い出した

ふわふわしてて目を離すとどこかへ飛んで行ってしまいそう

さっき自分が敬した言葉を思い浮かべて、確かにそれは私もあてはまるのかもしれないと思った

 

「私は、どこにも行かないよ」

 

 

蓉子の自分より華奢な身体を抱き締めながら言い聞かせるように囁くと、

どうかしらと納得いかな気な声で答える蓉子を更に強く抱き締めた

 

 

 

 

さっきから放っとかれているパソコンはすでにスタンバイウィンドウになっている

 

 

蓉子はわかっていない

 

 

私はいつもいつも蓉子が自分の手の届かない所へ行ってしまうんじゃないかと不安で堪らないというのに

夜遅く帰って来る時も、仕事の接待相手を連れて店に来る時も、出張の時も、

こうして久しぶりに二人でのんびり過ごせる日もパソコンと向かい合っていると。

どうしようもない不安と孤独感に襲われる

 

 

 

 

「構って、寂しい」

先程素直に口にできなかった事を言ってみた

 

 

ああ、この暖かい温もりが大好きなんだ

首に回された手が強く抱き締めてきた

その心地よさに目を閉じる

 

 

 

そして私は何かを言いかける蓉子を翻弄させ、

ソファの上で抱いた

 

白い綺麗な肌が桜色に染まっていくのを感じながら、

その黒い髪をかきあげて顔がよく見えるようにする

 

 

 

 

仕事と、私、どっちが大切?

これは一度は恋人に聞きたいこと

でも、私は口にしない

 

だってそれは蓉子を幻滅させるだけで、

道に迷わせるだけだから

 

 

 

 

 

でも、きっと蓉子はこう答えてくれる

 

聖に決まってるじゃない

 

 

自惚れかもしれないけど、私はそう信じたい

 

 

ソファで疲れて寝てしまった蓉子の身体に寝室から持ってきた毛布をかけると、

煙草を咥えながら蓉子が座っていた席に座った

ノートパソコンを膝の上に置いて、蓉子が目を通していた資料と画面を見比べ、

どういう順で入力していけばいいのか把握するとキーボードに指を伸ばした

 

 

 

 

夏の昼下がり

部屋に響くのは、風の音と、キーボードを叩く音と、愛しい恋人の寝息

 

 

 

 

これだけで幸せと感じてしまう

 

 

 

 

とても心地よいぬるま湯に使っている気分

 

 

 

 

 

 

 

Fin